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「アートか工芸か」なんて悩んでいた陶芸。忘れていたのは、「無用の好奇心」だ


京セラギャラリー「無用の好奇心」展
京都新聞 2023年12月2日掲載原稿をリライト

釉薬が流れ散り不規則な凹凸をつけられたタイル、陶土で描いた絵、ランダムな柄が描かれたコンプラ瓶(江戸時代の輸出用の醤油瓶)など、一見して陶芸家の作品でなさそうなやきもの。京都芸術大学「表現研究」の成果作品だ。

試しているのは釉調だけでない、、、超テストピース
好奇心で覆われた、賑やかなコンプラ瓶

陶芸家の福本双紅が総合ディレクターをつとめ、異なる領域の学生たちが初めて陶芸を体験。作家である指導教員たちも、陶から触発されてコンセプチュアルな作品を制作した。多和田有希は、学生たちと持ち寄った写真を燃やしてその灰で釉薬をつくり、写真に記録された時間を永久的なガラス質の被膜として手びねりの涙壺に結晶させた。高橋耕平は、焼成前の壺を高所から落下させてひしゃげさせるパフォーマンスを映像と写真に記録し、やきものづくりと自然現象との結びつきを想起させた。

「陶芸は、アートになれるか」などと、無用の議論をしていた陶芸家さんたちに、決定的に欠けていたもの

陶芸には、土の可塑性の自由、焼成の偶然、技法の蓄積がある。しかし「実用か、美術か」という長年の領域論は、作家たちの好奇心を枠にはめてきた。結果、陶芸には手付かずの表現の余地が広く残されている。近年、それを発見した現代アーティストたちが、やきもの作品を手がける現象がある。

無用の好奇心が生んだやきものが、「有用」な陶であるファインセラミックスのメーカーの社内に並ぶ景色も面白い。有用、無用に関わらず、創造に欠かせないものは好奇心だ。



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