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【noteを書く理由】文章は「孤独な学生」だった私を世界と繋げる鍵だった



子どもの頃から、
ずっと、漠然と、一人だった。

友達は、いたけど。

何かさみしかったし、心細かったし、
誰かにふれたい、と切実に願っていた。


家族も友達もいるのに
こんなにさみしい自分は、
何かおかしいんだろうなって思ってた。


中学生の時に「抱き枕」が流行って、
少ないお小遣いをはたいて、
期待を込めて買ってみたけど、

抱き枕をギュッと抱いてみたところで、
自分の心も体も、空虚でさみしいままだった。

浜崎あゆみの全盛期に、
セール品として1000円で売られていたその抱き枕は、
派手なヒョウ柄だった。

大きくて、部屋に馴染まなくて、
しばらく、私の部屋のやっかいな同居人として、
無駄にスペースを取っていた。

あれは、いつ捨てたんだろう。



高校2年生の時、初めて付き合った人に振られて、
世界と隔絶されたような気持ちになった。

たくさん泣いたら、
一晩で体重が2キロも減っていた。

涙だけでは2キロはいかないと思うから、
私の体から、何か、
生きるために大事なものが
抜け出ていったんじゃないかと思った。


自分の毎日から、
全部の色がなくなって、
食べ物の味もしなくなって、
全部に意味がないように思えた。


もう、誰にも、さわっちゃいけないんだ。
誰も、私のことなんて見てくれないんだ。

チアリーディングの部活に入っていたけれど、
「こんな衣装を着たって、誰も見てくれないから、意味ないな」って
心がプツッと切れて、辞めてしまった。

そんな理由で辞めたなんてことは、
当時、誰にも言えなかった。

そして、こんなに深く、長いこと落ち込んでいる自分はカッコ悪くて、変で、
友達を困らせちゃうから、嫌われちゃうから、
これ以上、泣きごとを言ってもいけない。


そんなふうに思っていた。



大学生になって、
大学生は本を読むというのが、
なんだか知的で、お洒落風味で、かっこいいってことになってるぞ、と思って、

兄の本棚にあった、
よしもとばななさんの『バナタイム』というエッセイを手に取った。

当時の私にとって、よしもとばななさんは、
ただの「知らないおばさん」だった。


その、「知らないおばさん」が、ただ日常をつづったものが、

こんなに、面白いだなんて。
こんなに、胸を打つだなんて。


その本の中には、「私の知っている感情」がたくさんあった。

その時に初めて、

「あ、私は一人じゃなかったんだ

と気づいた。


初めて、
世界とつながった気がした。


こんなにいろんな気持ちを抱えていたのは、
私だけじゃなかった。


口に出せなくても、

こんなに悲しくて、
こんなに怒ったりして、
こんなに情けなかったりして、
こんなに好きだったりして、

それで、大丈夫だった。

私だけじゃなかった


それから私は、いろんな本を読んで、
いろんな人の文章のなかで、
自分が感じてきた様々な感情を見つけた。

見つけられるとすごく安心して、
「存在しないもの」として固く蓋を閉ざされていた感情たちは、
安心して、成仏していくみたいだった。

たくさんの感情が出口を見つけていき、
涙といっしょに流れ出ていった。



社会人になってからブログを書き始めると、
(当時はアメブロを書いていた)
私の文章を読んで、見知らぬ誰かが、
共感した、とか、泣いた、とかコメントをくれるようになった。

私がたくさんの文章に助けられたみたいに、
だれかが、蓋をしてきた感情と再会するための
手助けを自分もできたのなら、
それは、すごく嬉しいことだと思った。


私は、文書を書くうえで、
正直になればなるほど、
自分をさらけだせばだすほど、

誰かの感情を「解放」できるんじゃないかなって、思ってる。

だから、これは「解放運動」。



誰の心にもたくさんの気持ちがあるし、
存在しちゃいけない気持ちなんて、ない。

たぶんみんな、
心の中は、
めちゃくちゃゲスの極みで、
同時に、めちゃくちゃ、キラキラ綺麗。


それが、面白くって、可愛い。


何を感じても、
どう思っても、
どう生きても、

なんでもいいから、

今日も、できれば、楽しく生きようね。って、

自分と、顔も知らない誰かに向かって、
ひっそりコツコツ書いております。



1mmくらい、世界を救うよ。



本日もお読みいただきありがとうございました♪

コメント、フォロー、サポート、泣いて喜ぶよ❤️


みけ みわ子

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