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文学フリマの熱気に励まされた

いよいよ冬服はしまおう、と心が決まり、おもむろに衣替えをした。

昔よんだ『コボちゃん』に、衣替えを「こども替え」と聴き間違えて、いい子にするから取り替えないで、とコボちゃんが泣く、というせつなかわいいシーンがあって、この季節になるといつもセットで思い出す。

衣類の入れ替えでクローゼットに手を入れたのをきっかけに、部屋の片付けも捗った。こういうことは、一向によくなる気配がふだんはないのに、1箇所どこかに手をつけると、芋づる式に連なっていく。

ところで、数ヶ月のあいだ、気をかけてやれてなかった部屋の区画を、ふとしたきっかけに再び認知し認識するとき、面白いと感じる。同じ空間にいたのに、急に現れたような気がする。

今日は、クローゼットの上の棚と、本棚の半分くらいがそうだった。毎日目にしているはずなのに忘れていて、こんな形してたっけな、としみじみ思う。

失礼な話だ。でも、たぶん、クローゼットさんサイドからしても、僕の印象など薄いのだろう。あいつ、毎日ふがふがとパソコンに向かって話しかけてるな、くらいに思われてそうだ。


文学フリマ東京38、に行ってきた。たのしいお祭りだった。

この企画について、こってりと書き残すには、ごく個人的な動機で参加した催しだったので、日記的にさらっと書いておくことにする。

朝いちばんにVoicyの収録をした。作家のあずまさんと1時間で2本収録することができた。週1くらいでこういう時間をとれているの、なかなか素晴らしい。

その後、支度をして文フリの会場である「流通センター」へ向かう。Xを調べてみたら、前回きたのは2019年だった。ああ、5年経ってるのか。

あの頃より、コロナ禍をはさんでなお、人出は多く、熱量があがっているように感じた。なんか次回はビッグサイトでやるらしいですね。すごい。

フリーランスになってから、生きていることを確かめ合うような時間が不足する。そういう時間の暑苦しさが苦手で、ひとりで働く選択をしているというのもあるが、交流がなさ過ぎても身体によくないと感じる。

5年ぶりの文フリ、ほんとうに行ってよかった。同窓会のようでもあり、生存報告会のようでもあった。うかれてXでたくさんpostしてしまった。たのしかったなあ。好きな人に会いまくりハイ、みたいな状態だった。

それと、つくることを大切にしている人がぎゅっと集まっている場所がすがすがしかった。いろいろと買い求めてしまった。時間をかけて読んでいくのが楽しみだ。


たのしい出来事ばっかりSNSに書くようにしているが、最高にたのしい思い出の真っ最中にも5%くらい、うしろ暗い思い出がよぎって胃を痛めたりすることが最近、わりとずっとあった。

以前に、「出版社の人間でもないのに、なにが編集者だ」というような事を言われたことがあって、けっこうショックだったから、ずっと引っかかっている。

引っかかってるシリーズの中でも、けっこうしぶといやつだ。

40年も生きていると、のどに刺さっている小骨のコレクションも立派になってきていて、紹介し始めたらきりがないが、この小骨が刺さる痛みが、今日、すこしだけ和らいだような気がした。


こんなにたくさん、つくりたい、かきたいという人がいるんだから、つくることを手伝う仕事の可能性だって、まだまだあるよね、と思えたのだった。

買った本を手渡しで受け取るたびに、バトンを渡されているような気になっていた。好きでしている、まごうことなき消費行動なんだけど、勝手に、エールを交換してもらえているような気になれた。

がんばろう。明日からもやっていきます。

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