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おばあちゃんに向き合うのが怖くてnoteを書くしかなくなっている

一言で言うとしょんぼりしている。めちゃめちゃ泣きながら書いているのであまり画面が見えないけど書いている。

こんなときにnoteを書くんじゃねぇという感じだけど、私は本当に喋るのが得意じゃないので文章でしか気持ちを吐露できない。

昨日母から「おばあちゃんがあと1週間かもしれない」と言われて、慌てて予定を調整して実家にすっ飛んできた。

とはいえ私の日常は続く。

当たり前に仕事の連絡は来るし、友だちから「ヤッホー、今度遊ばない?」みたいなLINEも来るので脳がバグりそうである。いろいろそれどころじゃないんですけど??な感じだけど仕方がない。私だけが日常から逸脱している感じなのだから。

前々から約束している飲み会とか、調整してもらった取材とか、書籍執筆の締め切りとか、定例で行われているMTGとか、何度も練習を重ねたバンドの本番ライブとか、一生懸命とったフェスとか、そういう普通の日常があるなかで、いきなりドカァンと差し込まれるライフイベントについていけない。

それらに大人たちはどう対処してるんだろう。

「祖母が危篤なので3日ほど休暇をいただきます」とサクッと帰省してサクッと済ませてまた日常に戻っていくんだろうか。

そういう大人たちを見て「無理」と思いながらも、「私がいなくなったらライブは中止になっちゃうんだろうか」とか、「友だちはひとりでフェスに行かなくちゃならないんだろうか」とか考えている自分もとてつもなく嫌だ。

おばあちゃんの具合はここのところ芳しくなかった。あまり先が長くないのも何となくわかっていた。

とはいえ、そのことをおばあちゃんには知らせない方向でいこう、と母が決めたので、しんみりとするわけにも思い出話をするわけにも行かず、たまに会いに行って近況報告をする程度だった。

それでも、だんだんと小さくなっていくようなおばあちゃんの姿を見て、どんどん弱っていく姿を見たくないな…と足が遠のいてしまうこともあった。行きたくない、見たくない、いなくなってしまうという事実を受け止めたくない。

そんなんだから、多分わたしの態度はそっけなかったと思う。母に「冷たい」とも言われた。でもどうすればいいのかわからなかった。何を話したらいいのかもわからなかった。

そんなもんだから、さっきおばあちゃんの家に行ってびっくりしてしまった。先週まで普通に歩いて普通に会話していたおばあちゃんが、ベッドの上でもう何も喋れずに苦しそうに横たわっている。もう今にもいなくなってしまいそうな姿で。

母に「多分目はもう見えないから声をかけてあげて」と言われたけど、話そうとすると泣いてしまうので、結局おばあちゃんの手を握って泣いただけで家に戻ってきてしまった。長い間いられなかった。やっぱり見られないのである。情けない。

母に「この空気感ダメだ…」と漏らしたら、「でも見なきゃいけないと思うよ」と冷静に諭されてしまった。そんなん言われても1時間も2時間もじっとベッドの傍らにいるのは何だか耐えられない。

それで父と妹が一度家に帰ると言うのでそれについてきて、今は父が料理をして、妹が音楽を流して、私は部屋でパソコンを叩いているというよくわからない状況なのだけど、もう本当にどうしたらいいのかわからない。

人の死に立ち会ったことがないのだけど、こうも日常のなかに溶け込んでいる感じなんだろうか。

「おなか空いてる?」と聞かれて「おなか空いた」と答えている自分も嫌だし、目を背けて文章に逃げている自分も嫌だ。

妹も社会人なので今日は21時に寝て5時から働くといっているし、悲しみのなかで適応しすぎていて嫌だ。

・・・

これは、おばあちゃんが亡くなる3日前に書いたもの。残しておく。

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