見出し画像

かじった桃を渡したら──コーネリアス問題を振り返る夜──

先週あたりがピークだったコーネリアスこと小山田圭吾の過去記事におけるいじめ自慢問題について、今さら少しばかり書いてみようと思う。人の憎悪も7.5時間というから、たぶんもう極度に憎悪を持っていた人たちはニワトリ並みの高速さでこの話題自体を忘れてしまっていることだろうし、私としては私の読者に理解してもらえればいい程度の意味合いで書いておくことにする。

この問題については、珍しくネットをみるかぎり9割くらいの人が断罪に動いていたように思う。理由はいろいろだ。冷静な意見としては「単にそういう過去発言のある者はこの行事に相応しくない。辞退したらあとは咎めない」という人。もう少し熱い人は「過去でも何でもあの内容はおぞましい、そんな人をオリパラの担当には絶対許さない」といった感じであった。中には「過去にあんなことをした人間は今も性根は変わっていないからダメ」という人もいるし、また冷静派の中には「これまできちんとした謝罪をしてこなかった。社会的手続きをしてこなかったからそりゃダメだ」と。

私自身はスポーツ選手はどんなにクソみたいな性格でクソみたいな自慢をしていても記録さえ打ち立てていれば国を背負って戦えばいいと思う(警察に捕まったら諦めるしかないが)し、音楽も現犯罪者以外ならべつに、という感じだ。ただ、まあこれがいささかラジカルすぎるらしいことは世の中を見ていると「あ、そう」という程度には理解できる。なので、あんまりそこの持論を押し通す気はない。

しかし、私自身の考えはさておいても、冷静だったり激熱だったりと差こそあれ、こうも世論全体が一つの方向に向かうのは、いささか不思議だった。自分も思想においてはマイノリティを自覚してはいるが、こうもマイノリティだとさすがに不安を覚えた。この問題、自分の感覚がおかしいのか? と。何しろ、尊敬する同業者までほぼほぼみんなが同じ意見とくれば、むむ、自説を曲げる時がきたか、という気がちょっとばかりしたのも確かだ。しかし……腑に落ちない。腑に落ちないんだからしょうがない。

そもそもこの小山田問題というのを最初に私が目にしたのは15年以上前のことだ。たしか、コーネリアスの音楽にハマって(きっかけは『point』というアルバムだった)しばらくして、テレオペをやり出した頃、夜中の勤務が暇だったからネットで調べて2ちゃんねるなんかを漁っていて過去記事を発見したのだ。その2ちゃんスレは小山田憎しで大盛り上がりだった。

しかし、実際の雑誌掲載からすでに数年経っていたが、私はその当時に音楽通の友人からでさえその話題を耳にしたことはなかった。私が知ったのは2004年か5年かそのあたりだから、これって結構な歳月のスルーだ。

たぶん、90年代の雑誌発売直後から、ネットの片隅や、もしくは雑誌を読んだ人の何割かは「許せない」という気持ちをもったり、胸がざわついたりしたのだろうが、表立って大きな動きにはならなかったのだろう。

で、初めてその記事を目にした時どう思ったかというと、全身にぞわぞわと悪寒が走った。いま自分がドハマリしているアーティストが過去にこんな過激なことを言っていたのか、とぎょっとした。

だが、すぐに冷静になった。待てよ、と。94年とか95年と言ったら自分が高校の頃だ。その頃のフリッパーズギター絶頂期の解散とその後のオザケン、コーネリアス人気のさなかのインタビューか、これはどこまで本当か怪しいもんだな、と。

いや、いじめはやってたんだろうが、ごめんなさい、しょうじき小山田氏の外見や言動から、とてもいじめのリーダーやブレイン張れるタイプには見えなかった。だからこれだいぶ誇張入ってんなぁ、というのが正直な手ごたえだった。たぶん居酒屋トークだったんじゃないだろうか。

で、肝心のいじめの内容だが、凄惨だな、とは思った。さすがに顔が引きつるレベル。だが、である。では「こんないじめ本当にあるのか!」と思ったかというと、ちがう。「まああっただろうな」というのが正直な感想だ。くわえて、小山田氏は私より10歳年上だ。つまり、学生時代は90年代ではなく80年代。となれば、確実に「ふつう」とは言わないまでも「あっただろうな」と。最近話題になっている山形マット事件は93年だから、小山田氏が青春を送った時期よりずっと後だ。

ゴキブリを一匹見つけたらその裏には100匹いる、とはよく言うが、山形マット事件のような死亡事件になったからようやく社会問題になったが、おそらく当時いくつもの学校で似たようないじめはあったのだ。というか、私が青春を送っていた90年代でさえも、そういった苛烈ないじめの話は皆無ではなかったからだ。

たとえば、高校時代の野外活動か何かの折、中学時代のいじめ自慢を誰かが始めたことがあった。みんな出身中学は違ったが、出てくる出てくる、いじめ自慢が。そのどれも、もちろん自慢するために多少盛っているにせよ、なかなかに苛烈な内容であったと記憶している。さっきも言ったように、みんな出身中学は違う。ということは、それだけの学校で似たような現象が、やはり同時に許容されていたということなのだ。それも、山形マット事件以降ですら、だ。

もちろん山形マット事件以降(いや他にもいくつかあったと思うが)、社会は多少なりともいじめ問題に真剣に取り組むようになった。それは確かだ。だが、私が中学の頃はまだ教師は平気で生徒を殴り倒していたし、生徒同士の喧嘩は日常茶飯事、いじめだって小山田氏の記事ほどではないにせよ苛烈なものは多かった。それでも、たしかに80年代よりはいくらかナーバスだった。たぶんね。

だが、それをもとにして「90年代だってあんないじめは許されていない」は、さすがに歴史修正主義が過ぎるだろう、という気がする。もしかしたら、そう言った人は本当に知らなかったのかもしれない。あるいは、公式な記録が存在しないことを指して言っているのかも知れない。だとしたら、それは「従軍慰安婦問題はなかった」という連中と大差ない、ということになるだろう。「俺たちの90年代を汚すな!」「サブカルはそんなもの許容しちゃいねえよ!」と声高に40代、50代が吠える。だが、あえて問いたい。

本当に? 本気でそれ言ってます?

90年代やサブカルのすべてがそうだった、とは誰も言っていないのだ。ただ、一部にそれを許容する空気があったことまで否定できるだろうか。なぜそうも90年代をクリーンなものだったように「断言」しようとするのか。そこがわからない。

当時そうしたものをわずかでも許容できる空気があった根拠は、これは先日投稿もしたことだが、「今日に至るまで小山田問題がアンダーグラウンドに留まっていたこと」自体ではないか。これが、最大の根拠だ。

もちろんクレームもそれなりにあったろうが、それは、「渋谷系」という特大ブームの結界に守られていた特殊な状況があって、その中のすべてではなく、ほんの一時的な超過として見過ごすレベルであったんではないかと私は思う。

『エマニュエル夫人』のヒットで味をしめてやりすぎた『続・エマニュエル夫人』みたいなことが、どのジャンルにおいても起こる。先日、話題になったビートルズのブッチャーカバーみたいなのもそうだが、ブームの中で「どこまでの過激さが許容されるか」というのは、つねに手探りだと思われる。尖ったイメージで売り出したアーティストの尖った発言をどこまで引き出し、どこまでを載せるべきか。

あの時代、少なくとも、あの発言を雑誌がOKを出し、読者はそれを読んで、何割かはぎょっとしたにせよ、ネットでひっそりと声を上げたり、知り合いに吹聴するにとどめたし、不買運動や出版社殴り込み、あるいはメディアがそれを取り上げて大騒動に発展するようなことにはなっていない。つまり、ああいった露悪的な自慢を、いくらかドン引きする層が出ることは知りつつも、一方ではそれ以上の層が「もっと言ってくれ!」と喜んでいる気配を感じていないかぎり、出版に至らないだろうと思うのだ。

「ずっとこのことは知っていた、許せない」という人もいる。そういう人もいるんだろうし、その人は周りの人たちに布教し続けていたのだろうが、それでもビッグムーヴメントにはならないくらい、90年代の多々ある物騒な話題の中では胡麻なみに小粒だったのだ。

だって、小山田の発言は、嫌悪感を誘いはするが、聞いて衝撃で立ち直れないほど「斬新」ではなかったから。90年代に青春を経験した自分でさえそうだったのだから、90年代当時にすでに20代を迎えていた人たちやもっと上の世代の大勢が、自分ほどの嫌悪感を抱けたかは疑問に思う。だって、90年代以上に、そういったことは80年代はもっとゴロゴロしていたはずだから。

ここで小山田氏の罪を四つに分けねばならない。
①80年代にいじめを行なったこと。
②90年代にそれを自慢したこと。
③現在まで明確な謝罪や奉仕活動をしてこなかったこと。
④そんな過去を持ちながら国の大任を引き受けたこと。

②の自慢については、これまで述べてきた。では①のいじめ自体についてはどうなのか。これは、これが罪に当たるかどうかは司法のみが知る。もしこれを我々大衆が、村社会で「法が許しても我々が許さん。そうだそうだ」で有罪とできるのであれば、あの時代に、ああしたいじめをしていた人間はもれなく有罪だろう。

小山田氏は一人でいじめをしていたわけではないだろうから、仲間の名を全員告げねばならない。また、その過程で、小山田一人のインタビュー記事に基づくのではなく、当時本当はどんなことがあったのかを明らかにせねばならないし、同時にほかの学校で似た案件はなかったかの告発合戦を始めねばならない。

なかなか大変な光景だと思う。コロナ禍に輪をかけた悲劇となるだろう。なぜならいじめのない学校のほうが探すのが困難なくらいだろうから。

法に委ねず、村社会が現在の価値観をもとに過去を断じ始めたら、もう終わりはない。それこそ「村社会が飽きるまで」が限度となるだろう。本当にそれでいいのか。

さて、問題は③④だ。
③これまで明確な謝罪をしてこなかった、と。これはしかし、どうだろうか、先に述べたような社会情勢にあったと(そうじゃないと言う人もいようが)考えると、2ちゃんねるが騒いでいるからという程度で謝罪や弁明が必要だったかというと、決してそうではなかっただろう。謝罪文にもあったように、インタビューの時と多少なりとも脚色された記事であった場合、それをどこからどう謝ればいいのか、というのは難しい問題だし、加えてマスコミが注目してもいないのに謝罪会見を開いても、誰も記者が来ないだろう。せいぜい音楽雑誌の記者が数名きて、内輪盛り上がりで終わるはずだ。今みたいにSNS発信が主体の時代でもない。そうしてそのうち問題は風化していった。
「謝罪の機会」と簡単に言うが、いまこれほど大騒ぎしているマスコミが、ほぼほぼスルーしていた時代にそんな機会が訪れるわけがない。

ただ、奉仕活動──これは私は精神的にはずっとあったと信じている。私はずっと何年も小山田氏の活動をアルバムなどを通じて観察してきた。その楽曲はあの尖っていた人間が?と疑うほどに変化していった。とくに『sensuous』というアルバムでの変化は劇的だった。その前の年にYMOのツアーにギターリストとして参加して裏方に徹したという経験も、フリッパーズギター時代を知るファンなら「小山田が裏方に徹しているだと?」と思ったはずだ。そう、彼は大先輩たちの音楽の中で、音だけの存在になるという修行をし、音の中に蔓延っていたエゴをできるかぎり削っていった。YMOだけではない。ブラーやベック、スティングといった海外の大物たちのアレンジという仕事においても、彼は矜持をもちつつも、音の一つとなることをつねに心がけていった。それは明らかに『ファンタズマ』の頃の姿勢とは違っていた。

それらの楽曲は言葉はなく、謝罪でこそないが、反省ではあったように、少なくとも私は受け止めた。私は謝罪にはいつの時代も意味なんかないと思っている。必要なのはどの局面であれ、反省だ。「もう二度と繰り返さないぞ」という意志。それが見せられるのであれば、謝罪があるかないかは、いじめられた本人以外にとってはどうでもいいことではないか、と思う。口ばかりで謝罪して何も悪いと思っていない政治家の多い世の中では、とくにそう思う。Eテレの「デザインあ」などの楽曲制作も、確実な変化だったのでは、と。というか、このような言葉のない精神的な反省以外にとれる道があったとは思えないのだ。

そして④このような傷を抱えた人間が五輪の音楽を引き受けた罪。恐らくだが、小山田氏も今回引き受ける時に、この問題が蒸し返されるだろうことは予想していただろう。過去に何度かネット民が蒸し返してきた。そして、時代は令和となり、かつて2ちゃんねるで冷や飯を食ってきた連中の中にはいまや立派なフォロワーを携えたツイッタラーに成長した者もいる。そうした者たちが手ぐすね引いて待っていることは、彼だって想像できていたはず。t
ただ、時期的に国に泣きつかれれば引き受けざるを得ない状況に追い込まれていたのではないか。だからクレームはある程度出るだろうが、そこは覚悟で、というつもりだったのだろう。
 さんざんEテレの音楽なんかもやった後で、五輪だからと言って急に「じつは私は過去にいじめ問題で2ちゃんで叩かれたことがあったんですが大丈夫でしょうか」なんてそんな確認が必要かどうか。これはしょうじき判断のむずかしいところではないか、という気がする。

 ところで、国の動きはどうだっただろうか? 椎名林檎たちの音楽チームが解散し、現在かなりの実績がありつつも世間的にはあまり名の知られぬ三名の音楽家たちに加え、大きな話題作りとして新たに小山田氏に依頼がゆく。恐らく流れはEテレへの貢献度などだろう。実際、この20年あまりの活動を振り返れば、コーネリアスほど海外のアーティストに信頼を得てきた者はコーネリアスより下の世代ではほぼ皆無だ。そうなれば、斬新な開会式として、「ジャポニスム」の神髄をみせる椎名林檎とある意味正反対のところにあるコーネリアスに辿り着くというのは、選択肢としては理解できる。きっと電通の誰かとかNHKプロデューサーとかその周辺が推したのだろう。

そこで「あの記事」がむし返されると思わなかったか? 思っただろう。だが、たぶんナメていた。なぜなら、ナメるにじゅうぶんな理由があった。2ちゃんねるなどで叩かれたことは何度かあるにせよ、この20年あまりの間、細長い日本列島全体で考えれば、それほど問題にされてこなかったからだ。

だから今回も、過去がむし返されるにせよ、それほど問題ではなかろう、と。第一、何と言われようと、それは過去の、青臭い若者のどこまで本当かも測りかねる「盛り話」の一つに過ぎないのだから。

だから私は組織委員会の身体チェックが甘かった、という指摘にもしょうじき首を傾げるところがある。たぶん身体チェックはしているし、ネットの評判も知っていたはずだ。調べないほど無能ならもはや脳ではなくパンが詰まっているのだろう。

いくら「まったく知らなかった」と口で言ったにせよ、そこは二枚舌、三枚舌だと想像したい(おもに彼らのために)。そのうえで、彼らは「90年代にはひどいとは言っても何となく沈黙していた問題」を、現在若い世代が初めて聞いたときにどう思うかを見くびっていたのだ。

そしてそのときにわきおこる「おぞましい」という感情。この感覚は、私がまったく好きではないひょうひょうとした論者ひろゆきや古市がいさめようとしても収まらないほどに大衆の主観を肥大化させた。「こんなひどいことをするなんて許せない」という感情。それ自体は理解できる。くわえて、この十数年ほどで、教育現場は変わり、いじめは少なくとも表向きは暴力行為は激減した。代わりに精神的ないじめが増えた。だからこそ、そういう中でかつてのもろに強烈な暴力の匂ういじめの話はショッキングなのだろう。

私がどうしても解せないのは、あの時代を知りながら「あの頃だってあんないじめは許されてないですよ」と言い切って喝采を集められる者たち。これはさすがにかまととが過ぎる。

かつて、「うつくしい国、日本」と謳った人間が二度も総理になったことがある。私はどうも日本人というのは形容詞によわいんじゃないかと思う。うつくしい、尊い、すばらしい……これらは主観と結びついている。客観的属性ではない。主観の主語を肥大化させることで「我々」の感性を一つにしてしまおうという姑息な狙いがある。

同じことが、じつはまったく逆の形容詞「おぞましい」にも言えるんではないか。人は誰かのいう「おぞましい」には容易に共感してしまう。そして共感すれば、それは正しい感覚だ、というふうに確信することができる。もちろん、たしかに、おぞましい。私もそう思う。だが同時にそれが客観的属性でないことも知っている。

主観には程度の差がある。「おぞましい」と言ってみたって、それが2021年現在に10代20代30代の若者が感じる「おぞましい」と同じじゃないことくらいわかる。だが、ネットでは発言に年齢も男女も、その人間の人生経験も関係ない。ゆえに「おぞましい」は平面的に等価な「おぞましい」となる。

そしてこのような平面的な世界では「過去悪いことした人間は永遠に悪人」という平面化が容易であり、「過去の罪は今の罪」という時間概念の平面化もまた可能なのである。

それを阻止するのは、今のところ司法しかない。主観は暴走する。だから「司法に委ねる」という形式が、戦後ずっと続いてきた。だが、その司法にたずさわるはずの法律家たちまでもが一緒になって彼を叩き出した。これは長すぎたコロナ禍と、国家の五輪強行突破のツケだろうか。だとしたら、そのツケが民間人に至るのは著しい問題ではないか、という気がする。

この問題で、ふと、中国の古いことわざ「余桃の罪」という言葉を思い出した。君主の寵愛を受けていたある子どもが、母親が病気なのを見舞うため君主の車を盗んで向かった。本来なら足切りの刑に処すところだが、君主は親孝行で偉い、などと言って褒め湛えた。
また果樹園に行ったときに君主にこの桃美味しいですよ、とかじりかけの桃を差し出すと、美味しい桃を一人で食べず自分にも分けようとするとは優しい奴よ、と喜んだ。
ところが、寵愛が冷めると、君主はこの二つの罪をもってその人物を罰した。

かつてこの国で〈渋谷系〉と呼ばれ寵愛を受け、調子に乗った発言をすればするほど「過激、かっこいい」と喜ばれた者が、時が変わるとその発言がもとで罰せられる。君主は、大衆。

私はそれ自体は仕方のない流れなのかな、と思っている。だが、ここでミスチルの歌詞を出すまでもなく、我々は連鎖する生き物である。それを忘れることはできない。

いま「ルックバック」が流行っていて、京アニの事件が思い返されるが、あの犯人の妄想でさえも、たった一人の異常としては切り離せないのだ。それはいつなんどき、誰だって持ちうる狂気なのだ。たとえば、いまの時代、なにげなくぬるりと過ぎている「多少行き過ぎてみえるがまあええか」なものが、やがて完全にアウトと分かる時がくる。本当に、そうなるのだ。

私はこの10年、小説の世界にいた。10年のうちに使えない言葉はどんどん増えた。また、使うことが正しい、と自分でも思えない言葉も増えた。だが数年前には、すでにその言葉を使ったまま出版されてしまったものだってある。取返しはつかない。いつだって最善を尽くしたいと思っているし、その文には編集氏も関わり、校正氏も関わっているが、それでも数年後には許されない表現は出てきてしまうのだ。

そして、10年前に使っていた言葉をふと小説の中で目にすると、やはり「おぞましい」と感じる。だが、その感情をもとに、過去の作品を否定したり、焼き捨てたりすることはできない。謝罪会見にも意味はない。

そのような「おぞましさ」さえも、もしかしたら一瞬の感情かもしれない。10年後には、あるいは、100年後には感じないのかも知れない。それくらい、時代の価値観なんてその場かぎりのものでしかない、ということも、頭のどこかには考えておいてもいいんではないか、と思ったり思わなかったり。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?