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ここが死に場所だろうと。~『沙漠と青のアルゴリズム』あとがきのようなもの~

デビュー3年目くらいから、終わりを意識しはじめた。
こう書くと、何を急に言い出すのかと思うかも知れない。
でも本当の話だ。

黒猫シリーズは順調に売り上げを伸ばしていたが、それにしたって「遊歩」より売れる作品があるわけではなかった。
発行部数だって、巻を追うごとに少しずつ右肩下がりになる。それは仕方のないこと。どれだけ最善の状態にしても、シリーズものというのは、映像化とか新聞やテレビでレビューが出るとか、芸能人が好きと公言するとか、そういう起爆剤でもないかぎり、大抵は右肩下がりになるものなのだ。

偽恋愛小説家シリーズにせよ、花酔いロジックシリーズにせよ、葬偽屋シリーズにせよ、それなりの人気はあったにせよ、いずれも黒猫シリーズを超える人気には至らなかった。それでも、出版社は「黒猫シリーズみたいな、蘊蓄のある、キャラの立ったバディものを」というし、読者も当時はそれを求める声が大きかった。

じつを言えば私はデビューした時は、黒猫シリーズでさえ続編を書くつもりはなかったくらいだ。依頼され、そういうことなら、と初めて考えた。しょうじきあれを生み出した段階では、「一生に一度くらいはポップなものを」みたいな気持ちがあったが、それをメインでやっていくという覚悟はなかったのだ。それが、気が付けばそういう他社の依頼にすらこたえて次々とバディものを生み出していた。

そんなことをしたって黒猫シリーズを超えられるわけがない。しかし、ではそうしたバディもの以外ならどうかといえば、こっちはまたいばらの道であることがわかってきた。まず読者が反応しきれない。キャラの立ったバディものを求めているのだから。そして話題にならなければ、売れることもない。プロの書評はノンシリーズならよほどエッジを立たせ、ロジックも際立たせないと難しい。

そういう限界が見えてきたのが3年目だった。たぶん5年か、7年もすると今ある連載も刊行も徐々に減っていくだろう。そう思ったときに、いつまでも求められるままにキャラの立ったバディものばかり書いているわけにはいかないということがわかってきた。

ぶっちゃけ言えば書きたいキャラクターというのが脳内にそれほどいないのだ。キャラクターを書きたくて小説を書き始めた人間ではない。黒猫シリーズは、本来、「最初で最後の」キャラもの、というつもりだったのだから。

終わりを意識して、自分はどういう作家でありたいのか、と考えた。べつに無数に愛されるキャラクターを生み出したいなんてこれっぽっちも思っていなかった。私はただ死ぬ直前まで文字を紡いでいられればそれでよかった。

たとえ認知症になり、前後のつながりもない文であっても、それが受け入れられるような作家でありたかった。要するに、文体というもの一つで生きていける作家でありたい…というか、そうでなければ書いている意味なんか何もないな、とまで思った。

ひるがえって、じゃあその時の自分にそういう小説が求められているかといえば、まるでそうではなかった。出版社も読者も、そんなことは求めていなかった。けれど、状況というのは自分が動けば変わってくれる。

幸い、黒猫シリーズはまだまだ高い人気を保っていた。この人気が終わらないうちに、キャリアをシフトしていく必要があった。何しろ、我が家は6人家族だ。6人を養いながらキャリアを思うとおりにシフトするには、急速な展開は経済危機を招く。

いま求められているバディものを量産しつつ(それが黒猫シリーズを上回ることはないと知りつつ)、少しずつやろうと思った。

早川書房さんもそんな意思を汲んでか「四季彩のサロメ」や「人魚姫の椅子」といった作品を作らせてくれた。それらの試みは、完全な実験作というよりも、ほんの少しは現在の読者が反応できる余地を残しながら、大地を確認するように行なわれた。

講談社の編集T氏も、そんな自分に早い段階で協力してくれた一人だった。彼は私の途方もない計画を聞いて、「じゃあ森さんの書きたいものを書いてください」と言った。そうして「ホテルモーリス」が生まれ、「M博士」が生まれ「恋路ヶ島」が生まれ「ピロウボーイ」が生まれた。

こうした取り組みはすべてがうまくいったわけではない。いくつかは失敗もしたし、成功といったってそれほど大きな成功でもなかった。総じてみれば「曲がりくねった道を進んだにしては怪我が少ない」程度の成功だったかもしれない。しかし、一回一回が貴重なトライアルであり、そのたびに何かをつかんでいっているというたしかな手ごたえはあった。

「ピロウボーイ」が刊行になるタイミングで、T氏が「次だと思います。次にくる気がします」と言った。何だかヤマ師のようなことを言うなぁと思ったが、同時に自分でも何かをつかみかけている感覚はあった。
しかし何かがまだ足りない……。

そんななかでとあるパーティーに行き、町田康先生に初めてお会いして「自分はミステリ作家なんですが、本当はそういうあれではなく……」みたいな話をごにょごにょとしていたら町田先生があの鋭い眼光で「思ってるだけじゃダメだ。やるんだ。すぐやれ。君ならできる。目をみればわかる」と仰った。町田先生にあの目でそう言われてその気にならないほうがどうかしているだろう。

そうかやるしかないんだな、と思った。そしてその話をT氏にした。T氏がなぜかそのあとに一冊の本を送ってきた。『わたしたちは砂粒に還る』という今福龍太さんの本だった。文化人類学者による思索の軌跡をまとめたような不思議な手ごたえのエッセイだったが、それを読んだ瞬間にすべてが弾けていくような気がした。

黒猫シリーズで私がそもそもやりたかったのは思索を繰り広げる、ということであるはずだったのだ。それが、ほかで「蘊蓄を」と求められ、そのようにやってきたが、それを脱して思索にシフトした「ピロウボーイ」が突破口に近いと感じた理由が、その『わたしたちは砂粒に還る』という本によっていっそう明らかになった気がした。私は思索をそのまま小説にしたいだけなのだ。

答えが出ると、一気に書き出した。だが、簡単にはいかない。何しろプロットをすっ飛ばしてとにかく手探りでやみくもに進んでいく。こんな書き方はいつ以来だかわからない。それに、もう素人芸ではないのだから、空を飛んだら無事に着地してみせないといけない。

プロとして、「きちんと」「やみくもに」書くとはどういうことか。こういうことをそもそも考えずに済ますために、いつもプロットを立てているんだということも気づかされた。

何度も書き直した末にいったん完成させた原稿はしかしT氏に気に入ってはもらえず、もう一度軌道を見直そうと、話し合いが重ねられた。

いちばん書きたいのは2000年。ノストラダムスの予言が外れた翌年の、あの空気感を描きたかった。一方で、それをいま書かなければ、と感じていたのは、「黒猫の回帰」の直後くらいからであった。「回帰」のなかで、とあるシーンが、書いた直後に現実のものとなってしまい、変更を余儀なくされたことがあった。いわば、作品が現実世界を先行してしまったのだ。

この体験があり、ひるがえって「現在は予言のない世界を歩いている」ということがはっきりしてしまった。だからこんなにも不安であり、同時に2000年のあのだらりとした空気を妙に思い返してしまうのだ、と。

2000年と、2015年を線で結ぶ話にできないか。あるいは、さらにもう少し未来のことも加えて。

そうして、2028年、日本人が滅亡する、という「予言」が作られ、物語がふたたび構築されていくことになった。物語として形になっていることも大事だが、それよりも、思索に行きつく場所があるのか、というのも重要なことだった。T氏のおかげで軌道は修正されたが、あてのない旅であることには変わりがない。しかし、前よりも落ち着いて走ることができそうだった。

そうして、書いてはまた手が止まり、といったことを繰り返し、ようやく3年目にいったん原稿を書き上げた。そこから微調整にさらに2年。途中でT氏は部署が変わり、新たな担当のK氏との二人三脚で進めた。

その微調整の間にもいろいろな挑戦があった。KADOKAWAでは「毒よりもなお」「キキ・ホリック」をだしたし、朝日新聞出版では「さよなら、わるい夢たち」を出した。いずれもバディものではない、小説で勝負するものだった。

そしてその先に、リラックスした状態で<文体>を紡いだ『探偵は絵にならない』というハードボイルドも完成した。『沙漠と青~』はまだ世に出ていないだけで、私として9割完成した時点で何かが体得されていたのだろう、『探偵は絵にならない』ではかなりラフに<文体>をすうっと息をするように紡ぐことができるようになっていた。

そうしてようやく『沙漠と青のアルゴリズム』の微調整は完成した。ほんとうは今年の6月には刊行予定だったのだが、例のコロナで大型書店が休業となったことに伴い、先行での雑誌掲載とあわせて刊行も見合わされることになった。

この五年、ずっと私は「この本はほんとうにいつか刊行できるのだろうか」と思っていた。あまりに、あまりにも得体の知れない作品に仕上がっていたからだ。こんな本が出てしまっていいのだろうか、と気が気じゃなかったし、でも同時にこの本が世に出ないことには、私の作家人生はまだ始まってすらいないような気がした。

だから私はコロナの状況下で、これが収まったら、この作品が出る、そういう日がくるのだ、と信じることにした。

時はきた。だが、それで何が変わるのだろう? しょうじきに言えば、何かを期待することには疲れ切っている。何も変わらないかも知れない。読者は「なにか変なものを読まされた」と思って一晩眠って忘れるかもしれないし、書評家はしばらく渋い顔で唸った挙句に反応しきれないかもしれない。そうなれば、思索のために想像の大海原に翼を広げるこの「あらゆるジャンルの要素をもちながら何者でもない小説」の路線は、一つの墓標となる。

そうなれば、これまでのように粛々とキャラの立った小説を、それほどうまくないにせよ、がんばって書き、必死に営業しながら仕事をとり、どうにかこうにか食いつないでいくのだろう。あるいは、どこかでいよいよ「専業」を畳むことを検討する日もくるかもしれない。それも、そのときになれば自然なことに感じられるのだろう。

講談社さんは私の冒険に再三付き合ってくれた。今回が大きな失敗となれば、これが最後ではないにせよ、お付き合いの終わりは近づくだろう。それでも、4作目に「森さん、もう後がないので無難に男女バディでいきませんか」なんて言わずに、私のある種の方向性に対して死に場所を用意してくれたことに、とても感謝している。ここが死に場所か生き場所か。そんなことは、まあ明日考えようじゃないか。

とりもなおさず、私は初めて「部分」ではなく「全部」をつかって「これが森晶麿だ」と言い切れる作品を書いた。「漱石を読む」とか「龍之介を読む」というときのある種の「漱石的読書体験」や「芥川的読書体験」があるように、小さな存在たる自分にも「森晶麿を読む」といえる体験があるはずだ。どんな悪態をつかれても構わない。 

『沙漠と青のアルゴリズム』はミステリでありSFであり思索小説であり、黒猫シリーズや夢センセのメタフィクション的なものでもあり、しかしとどのつまりはシンプルな恋愛小説だ、ともいえる。少なくとも、これはたぶん黒猫シリーズでは絶対に書くことのできないほとんど唯一の恋愛小説ではあるのだ。

とにかく一人でも多くの人に「森晶麿を読む」というわけのわからない体験をしてもらって悪態の一つもついてもらいたい。

それ以外にとくに願いはない。私は今のところ、明日死んでもいいくらいすっきりした気分なのだから。だって、こんな得体の知れない作品を出版できたのだ。ほかに何をこれ以上望めばいいのだろう?





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