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掌篇「すずめの蛸殴り」

「なんで別れたんか理由を言え」
 人がええ気分で寝よったのに、がさがさした聞き苦しい声で現れて胸倉つかんで何を言いよんのや、こいつは。
 
 幼馴染の武雄が押しかけてきたんは明け方の四時やった。どうも武雄の女房が俺と関係もちよったことを口滑らせたらしい。

 なんやそれ、どうでもええがな、終わったこっちゃ。

 しかもやで? 夫の武雄が「よくも俺の女房に!」とか言うならまだわかるんやけど「なんで別れたんか」てどういうことやねん? 別れんかったらよかったんかいな。

「理由? 臭くなったんや、袋が」

 口から出まかせを言うたんは、武雄が頬に一発拳をお見舞いしてきたからや。これ以上こんな攻撃喰ろうたらかなわん。

「なんや……袋って、なんやねん!」

 武雄のやつ、マジで怒りよる、ほうか、そないに女房に惚れたか。それはつらいわな。けどな、すべて終わったことやねん。終わったいうんは、そう、もうそこにはなんも言葉はないっちゅうことやねんで? それがわからんおまえはほんまもんの阿呆やで。
 
「袋、知らんのかいな、きったない袋や。親とか従妹とか、いろいろ入りよる、おまえも持っとるはずやで? ほれ、あの袋やないか」

「だからなんやねん! ころすぞ!」

 武雄の唇、めっさ震えとるやんけ。そないクマみたいな腕力して、何を怯えることがあんねんな、俺を生かすもころすもおまえの自由やろに。でも武雄、おまえには昔からそういうとこあるよな。なんやろな、この臆病な感じ。虫唾走るわ。けどむしずってなんやろな、むしず走ってるとこ知らんのやけどな。

「袋は袋やん。“めんどう”いう名前の、くさいくさい袋や。ほんま、めんどうくさい」

 武雄はてめぇとか何とか言うて人の上にいきなりまたがりよって、骨がゆがむんちゃうかぁ言うくらいさんざん殴りよった。俺も痛い痛い助けてくれ言うてひぃひぃ悲鳴上げた。そら痛いわ、肉体っちゅうもんはそういうもんや。

 ようやく武雄が息ぜぇぜぇ言いながら離れよったけん、俺は言うた。

「とにかく俺がわるかった。けど、もう終わったことや。別れた理由とか、よう言わんわ」

 せやけど、何の意地なんか武雄は理由言わんと帰らん言いよる。しまいには台所から包丁もってきて振り回しよる。

 俺はおかしくなってげらげら笑った。ほんだら、それがえらく気に入らんかったようで、俺の大事なテーブル蹴っ飛ばして原稿がそこらじゅうばらまかれたりした。

 なんやねん、こいつは。おまえゴジラか?

 そう思ぅとったら、突然キレてわめき出した。

「ええわ、そんだらおまえのかみさんに全部話す、子にも話す」

「いやもう、ごらんのとおりやで。嫁も子もとうに出てったわな。それもこれも、おまえの女房が毎日電話してきよるからや。毎晩毎晩無言電話や」

 武雄はなんでか知らんけどムッとしよったな。面白うなかったんかな、自分の嫁がよその男に毎晩無言電話なんぞいう気持ちわるい真似しよることが許せんかったんやろな。ほんでも、そういう怒りもなんもかんも俺に向かうわけや。

「おまえがあいつに別れた理由話したったらよかったんちゃうんか!? ええ?」

 ええ?言われてもな……。たしかになんも言わんと逢わんくなったわけやけど、そもそも別れた理由てなんやねん? おまえ、すべての別れに理由があるなんて思うなよ? しいて言うたらあれやで、なんにでも言葉を必要とするようなそういうとこやで。でもそんなこと言うてこいつにわかるんやろか? 武雄ド阿呆やからなぁ。

「武雄、おまえは日本の映画のポスターどう思うよ?」

「……急に何の話やねん?」

「せやから、日本の映画のポスターの話や。いろんな宣伝文句がスーパーのトマトみたいに並んで、主演が真ん中にどでーんときて、お決まりの構図で、映画観んでもどういう映画かわかる気ぃするような、けったいなアレや」

「べつに、なんも」

 俺は笑い出した。そうやろ、べつに、なんも、やろ。そういうこっちゃ。おまえはそういうやつやねん。そういうやつには、そういう女房がお似合いやねん。

「ならもう話は終わりや。どーでもええけど、女房幸せにしたれや。毎晩抱くとか、そんなんクソどうでもええねん。夫婦なんざぁ、べつに未来永劫男女の仲でいにゃならんわけではないんやで。なんならお互い性器切り取ったらええねん」

「何を言うとるんやおまえは……女房は……俺の……女や……」

 武雄は震える声でそんなことをぬかしよった。思わず鼻で笑ってしもうた。中学校の頃、へんなキャラの消しゴム自慢げにもってきてたこと思い出したんやなぁ。雀百まで踊りを忘れず言うやつやな。

「キモいなぁ、そういうとこちゃう?」

 その言葉で、俺はまた蛸殴りの刑に処されてしもうた。あかんなあ。口は禍のもというやつやな。もう体じゅう痣だらけや。かなわん。このままではほんまに死んでまうで。
 
 それにしても、どうしてコイツにはわからんのやろな。一生寄り添う相手をいつまでえろい目で見よるんや? べつにええねん、夫婦なんぞせっくすれすでも。この国のたいがいどこもそんなもんやて。いつまでも家庭にせっくす持ち込むおまえのほうが異常。一日草みてぼうっと生きて、ほんでよその女の誘惑にたまに乗る俺のほうが正常。

 ほんでも、俺の口から出たんはべつの言葉やったな。
「ほれ、なんぼ殴ってもええで。しょせん肉体や。おまえにとっては肉体をどうこうすることが大事なことやもんな。ころしてくれてもええんやで」

 俺はへらへら笑って言うた。
 肉体がなんぼのもんじゃ。
 似たもん夫婦がよぉ。武雄も、その女房も、おんなじや。肉体をどうこうすれば、それで何かが得られる思いよる。

 武雄の女房とどうこうなったんは、なりゆきやったな。けど、彼女はそのなりゆきで俺に執着するようんなった。肉体が精神に作用しよったんやな。それはええわ。せっくすいうんはそういうもんやから。そやけど、それはけっきょく肉体に支配された者のかなしい思考やで。あるいは、思考の放棄やで。

 ほんで、いまだにその肉体の記憶引きずって俺にすがって、旦那まで現れてけつかる。挙句殴りよる。また肉体や。なんでも肉体で解決かいな。そらラクでええわいな。肉体も言葉もおんなじや。どっちも心をコントロールしにかかるんやな。

 で、肉体でなぐさめてほしいなったり、言葉で説明ほしいなったりしよるんが人間や。せやけど、ほんまのほんまのところなんいうんは肉体でも言葉でもどうにもならんのちゃう? それを「なんで?」言うてくる時点で、もうそれは話にならんいうことやねんな。

 しいて言うたら、その兆候がいろんなとこにあんねんて。で、ほれ、武雄もその女房もそういうことやねんて。

 俺はまたげらげら笑うて、武雄はまた俺をぼこすこ殴りよった。それでもおさまらんで、とうとう包丁で刺しよった。

 ほんだら俺とうとう死んでもうたわ。

 息があらへんし、なんや自分を見下ろしてるからなぁ。これはあかんな。もうお陀仏いうやつや。
 
 武雄のやつ、急にあせりだして俺から離れよった。

 いやもう、そない怯えんかてええねんて。たかが肉体やないか。

 よう考えてみ。生まれてくる前は肉体なんぞなかったんやで? ほんでこっから先も肉体はない。おまえがいま肉体に縛られとるんは、いまのほんのひと時の話や。ほれ、おまえも笑え。たかが肉体や、たかが肉体やで。

 え? 阿呆やなぁ。
 
 まだ肉体に縛られよるんか、ほんだらこっからどうすんねん? 
 
 これが肉体とか言葉にこだわったもんの末路やで。
 饂飩でも食うてよう考え。
 
 交番やったらな、二つ角曲がったその先や。

 

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