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昭和思い出話「ちり紙交換車と逃げた女房の歌」

これはワタクシ、昭和後期生まれの思い出話。
昭和の生活史として参考になれば幸いである。


前回の汲み取り式便所の思い出話に多少繋がるのだが。

約30年前、実家のトイレを水洗に改装するまでは、ウチにトイレットペーパーはなかった。
トイレットペーパーがないんだから、もちろんトイレットペーパーホルダーもなかった。

では、お尻は何で拭いていたのか。

それは「落とし紙」なるものである。
少しボコボコした手触りの、やわらかい材質の四角い紙…ちり紙のことを、落とし紙と言う。
ウチではそれを適当な四角い箱かカゴに入れて、床に置いていた。

水溶性で、お尻を拭いたあとはそのまま便器の中に落とす。
だから「落とし紙」と言ったと思われる。

この落とし紙、店で買うのではなく「ちり紙交換で交換する」のが常だった。

「ちり紙交換」とは要するに古紙回収のことで、業者が軽トラ(もう少し大きなトラックだったような気もするが…もはや遠い記憶)に乗って回収しに来ていた。
新聞や雑誌を出すと、それを落とし紙やトイレットペーパーに交換してくれるのだ。

スピーカーから流れる宣伝文句で「古新聞、古雑誌、衣類のもの…」と言っていたので古着も回収していたのだろう。

どの程度の頻度で回収車が来ていたのか、交換するものは落とし紙とトイレットペーパー以外にも何かあったのかはさすがに覚えていない。

しかし子供の頃の私は、ちり紙交換の回収車が来て親がそれを呼び止め、業者が古紙を荷台にうず高く積み込み、落とし紙が入っている長いビニール袋と交換する…という作業を見るのが好きだった。

ちり紙交換車は、宣伝文句を流しながら、住宅地をゆっくりと回ってゆく。


ここからが、この思い出話の本題である。

このちり紙交換車、「古新聞、古雑誌…」の宣伝文句の合間に『浪曲子守唄』を流していた。

『浪曲子守唄』でピンと来ない人も「逃げた女房の歌」と言えば、ああ、と思い当たる昭和生まれも多かろう。

♪ん逃~げぇ~たぁ~ ん女ぉ~房ぉ~にゃ
 未練はなぁ~いぃ~んがぁ~ チャチャンチャン♪

で有名な昭和歌謡である。

『浪曲子守唄』、歌手は一節太郎(ひとふしたろう)。
失礼ながら、この曲以外の曲は聞いたことがない。

ウィキを見ると“『浪曲子守唄』の印象があまりに強烈なため他の曲が霞がち…”とある。

しかしながら、この曲にはこの歌手でしかないと思えるほどの素晴らしい歌唱で、だからこそ人々の記憶にも残っているのだろう。
(ちょっと疲れてるときに聞いたら泣くかもしれん)

なにしろ、別にこの歌を覚えるつもりなど全くなかった私の記憶にもばっちり残っているのだ。

そう、ばっちり残っている。
空で歌えるほどに(さすがに歌詞はうろ覚えな部分があったが、メロディーは完璧)。
…なんでだ??

この曲が発表されたのは1963年。
昔はヒット曲の寿命も長かったとはいえ、60年代では私もさすがに誕生前。

ちり紙交換車から流れてくるこの歌を何度も何度も聞いているうちに覚えたとしか思えない。

だから、世のちり紙交換車は「逃げた女房の歌」を流していたものと思っていたが、同年代の職場の人に聞いてみたところ「そんな覚えはない」というではないか(ちり紙交換車や歌自体は当たり前に知っていた)。

ウチの近所に回ってきた業者がたまたま「逃げた女房の歌」を流していたのか…?
私にとっては、「逃げた女房の歌」=ちり紙交換が来た という合図、ぐらい馴染み深いものだったんだが。

恐縮なほどうろ覚だが、こんな記憶がある。

山田太一脚本のドラマで『シャツの店』というものがある。
昔々NHKで放送され、今は亡き鶴田浩二と八千草薫が夫婦役で出演していた。(←ここまでは絶対確実)

典型的な昭和の頑固オヤジなシャツ職人の夫に、腹に据えかねた妻が一時家を出ていってしまう。(←確実な記憶)
俺は平気だ、みたいな態度を取っていても内心ショックな夫。(←確実な記憶)

そんなとき、どこからともなく「逃げた女房の歌」が聞こえてきて、さらにグサッとくる…(←うろ覚!!)

というユーモアに溢れたシーンがあったはず、なのだ!!

その「逃げた女房の歌」が、どのように流れてきたのか?ラジオ?テレビ?
その辺りはまったくもって覚えていないのだが、ちり紙交換車が流していたとも考えられるのでは…!?
ああ、うろ覚すぎて、すべてがマボロシのようだ…

ウチのほうもそうだったよ!という方がいたらぜひ、コメントください(笑)

迷える50代、サポートしていただけたら大きな光明となります…! どうぞよろしくお願いいたします。