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「孤独じゃなくなった」という菅田将暉への米津玄師の思い

2022年3月21日の「菅田将暉のオールナイトニッポン」からの、米津と菅田の会話からまずお伝えしたいと思う。

その間合いなどを忠実に表したため、文中「・・・」などが多いのはあしからず。


米津「結婚・・・をね・・・したじゃないですか」

菅田「しましたね」

米津「それはおめでとうございます」

菅田「ありがとうございます」

米津「結婚・・・何か話していいかわかんないけど」

菅田「うん」

米津「でもま、結婚・・・したーさ・・・結婚報告みたいな感じで俺んちに来てもらった・・・ことがあって・・・」

菅田「はいはいはい、行きましたね」

米津「何か話したいことがあるっつうことで・・・」

菅田「うん、久々にちょっと喋りたいな・・・みたいな」

米津「そうそう、ラインで、話したいことがあるって・・・でー・・・うちいくわって言って、俺んちに来てもらって・・・そしたら『俺、今度結婚するわ』っって話をしてくれてさ」

菅田「うん、うん」

米津「でーそれがあの・・・婚姻届け・・・出す直前だったんだよね」

菅田「ああ、もうもうほんと直前だったね、これから行くわみたいなタイミンだったと思う」

米津「すげぇ何か俺が、嬉しくてさ」

菅田「んーいや、何かたまたまそうなったんだよね、そういう星の下なんだって思ったの」

米津「(笑)」

菅田「何か別にそこ狙ったわけじゃないんだけど・・・」

米津「うんうん」

菅田「お互いスケジュールもさ、合わないから」

米津「うんうん」

菅田「どっかまあ、ちょっとでもいいしーまあ、それだけじゃなくちょっとでもね・・・会えたらな・・・みたいな・・・」

米津「何か、話し・・・話したいことがある、みたいな・・・」

菅田「そうそうそう、したらここになるんだってことが・・・んーそういうことなんだよなー」

米津「何かそのー・・・わざわざうちまで来てもらって、それで、花くれたんだ・・・菅田将暉が・・・」

菅田「はいはい」

米津「でー花くれて、一輪の青い花くれて・・・」

菅田「うん」

米津「何か・・・それがーすげぇ嬉しかったんだけど・・・」

菅田「うんうん」

米津「・・・これから結婚するやつが、結婚もしてねぇ奴に花贈るって何なんだろうな・・・」

菅田(爆笑)

米津「ってちょっと・・・あの何、お前も頑張れよ的なやつなのかなって思って・・・」

菅田(爆笑)

米津「こう何かよくわかんないなって思って」

菅田「考えすぎや、考えて皮肉とかじゃないよ。すまんな、お先、しっつれいってことじゃないから」

米津(笑)

菅田「そんなつもりであげてないよ」

米津「そういう感じに見えちゃって」

菅田「まあ、確かに言われたらわかんない、その花言葉がーでも・・・ごめん、なかったし・・・何となーくたまたま行く道中に、花屋さんがあって・・・きっと米津玄師の部屋には、何か生花(せいか)とかないやろな・・・って思って」

米津「うん、ないないまずない」

菅田「で、イメージだけどね、何か青い花のね、青い・・・何の花だっけ?あれ」

米津「ん、何だっけな・・・でも、めちゃくちゃすげぇ良かったの、一輪の青い花って・・・」

菅田「うんうんうん」

米津「うちに、そのーあのー花瓶みたいなものがなかったから、あの、だから酒の瓶でいいかっつって・・・もう・・・マッカランのあのボトル?」

菅田(笑)

米津「酒のボトルに一輪の花さして・・・」

菅田(爆笑)

米津「それを眺めながら二人で話すって・・・」

菅田「うんうん、そうだね」

米津「・・・すげぇ俺・・・俺に・・・俺に似てるなって感じがして」

菅田「うん、言ってたね」

米津「だからよくわかってんなって感じがしたし、俺のこと」

菅田「(笑)でも、振り返ったら意味がわかんないなってなった」

米津「あー帰った後にあれこれ何なんだって感じには流石になったけど」

菅田「(爆笑)んー確かに、そうだね」

米津「でも、ありがたかったよ」

菅田「いえいえ、確かに何か持ってかなきゃなーと思ったんだよ俺も・・・確かに普通、結婚した人に花を、おめでとうとか・・・」

米津「うんうん・・・・・・そうそうそう、逆だなとは思った」

菅田「そうかうん、何かブーケトスみたになってんだよな、俺が花をあげる(爆笑)」

米津「俺の頭の中で考えるともう、お前も頑張れよにしかならなかった」

菅田「(爆笑)いや、違う、そういうつもりじゃなく普通に・・・何かそのお邪魔しますってだけのあれなんだけどね」

米津「いやいや」

菅田「あれなんだけどね」

米津「すごいありがたかったっすよ」

菅田「確かに俺もそう、友達に花なんて買うことなんかあんまないけど何かこういう・・・いやそれ以来!」

米津「うん、そうそうそう、それが最後・・・で、何かねーそこで色々ちょっと話をして・・・」

菅田「んー、良かったね、話せて」

米津「んー・・・菅田将暉って結構こう・・・まあ、わかんないけど」

菅田「うん」

米津「公でどういう風にやってんのか、全部見てるわけじゃないからわかんないんだけど・・・」

菅田「うんうん」

米津「俺の中では、結構、こう・・・(ためらうように)傷だらけの人だなって感じがすごいあって・・・」

菅田「ほうほう」

米津「何か、すんごい疲れてるなっていう・・・色んな・・・まあ、俳優やるにあたって多分・・・ミュージシャンとは全然違う側面があるんだろうなっていうのはわかりつつ・・・」

菅田「うん・・・」

米津「でも・・・こう・・・色んなものに振り回されながらでも自分の・・・あのー足を一本、こう・・・ちゃんと屹立させるために、何かこう・・・軸を持たなければならないということを、考えながらやってる中で、すっごい何かきつそうだなって思うことが、多かったの」

菅田「うんうん、見てて・・・?」

米津「見てて・・・でー何かそういうことがありつつ、でーこれから結婚するんだっていう、教えてくれた時は・・・すっごい嬉しかったね、だから」

菅田「ああ、良かったー」

米津「孤独じゃなくなったなーこの人はっていう・・・」

菅田「んー・・・」

米津「・・・あってー・・・何かね・・・すごい・・・良かった・・・」


わりと正確にラジオから書き起こせたと思う。
ここで、物議を醸しだしたのは米津のこの言葉である。

「灰色と青MVより」

孤独じゃなくなったなーこの人はっていう・・・

「菅田将暉オールナイトニッポンより」

ラジオの放送の後、多くの記事が出たが、そのタイトルは大抵この言葉を拾っている。

「灰色と青MVより」

米津玄師、菅田将暉の結婚に喜び「孤独じゃなくなった」 結婚式での「まちがいさがし」“歌唱プラン”も明かす

「2022年03月22日 ORICON NEWS」より

米津玄師、菅田将暉の結婚を心から喜ぶ『この人は孤独じゃなくなったんだな』

「日刊サイゾー記事より」


米津玄師は結婚していない。少なくとも表向きは結婚していないということを踏まえて言うならば、「孤独じゃなくなった」とは、果たして結婚のことだろうかと疑って然りだ。

「灰色と青MVより」

「結婚」のイメージは、人によって違う。また男女ならばそのイメージはまったく変わってくる。
女子に取って「結婚」は、そのまま「ゴールイン」となるが、昔からよく言うように男子にとって結婚とは「人生の墓場」ではなかろうか?

それでも尚且つ米津が菅田将暉の結婚に対して「孤独じゃなくなった」と言うならば、そこには何かしらの他の意図があると解して良いと思う。

結婚のイメージは、その人の家庭環境に付随する。単純に考えればだが、両親の仲が良ければその子供の結婚へのイメージは良くなり、両親の仲が悪ければその子供の結婚へのイメージは悪くなる。
ただ一つ付け加えるならば、両親が仲が悪かったからこそある種の「リベンジ」を試みる、すなわち「私は上手くやって見せる」という、怨念にも似た思い入れだ。

米津の家庭環境に関してデビューの頃言われたのは「父親との不仲」だ。
米津の父親は、彼の今までのところ唯一無二のテレビでの歌番組の出演である「紅白歌合戦」を見てないと言う。

「米津玄師インスタより」


昭和から続くこの歌番組は、平成生まれの子供たちも喜んで見たのかは定かでないが、今でもある種の「ステータス」を保っている番組である。
例えNHKでなくとも、親ならば子の初の生出演をやはり見るのではないだろうか?それは親にとっても喜ばしいだけでなく「ステータス」になり得るからだ。

「灰色と青MVより」

ところが米津の父親は見ていないと言う。この情報が本当だとするならば、物理的な理由はさておいて、米津の父親には彼の紅白への出場が己自身の「ステータス」にはならなかったのではないかというのは、かなり穿った見方だろうか?

夫婦関係がそのまま子に影響するなどと言うが、ある意味そうであり、ある意味そうではない。
三つ子の魂百までなどと言うが、親の影響からいつまでも抜け出ることができないのも、その子供の才覚と言えよう。

母親と子供対父親になるのは、日本ではよくある構図だ。そういう意味では米津の「父親との不仲」も、それほど特別なことではないだろう。
ただ米津が自分の親をどう見ていたのか、ただ「父親との不仲」だけではわからない部分も多い。

私たちは知らず知らずして、親の行動をそのまま模倣していることがある。私なんかはそれに気づいて途方に暮れたこともあるが、米津はどうなのだろうか?

「紅白を見なかった」父親は、米津の親的な立場ではなく、どこか「ライバル」である。息子が自分以上になったことが喜ばしいことではないのだ。
だからといって夫婦関係が悪いとは言えない。夫婦とは子にはわかりえない非常に複雑な「打算」で保たれてるものなのだと思う。

「灰色と青MVより」

米津の結婚観から少しずれただろうか?けれど私は思うのだ。
非常に身近な結婚の見本は「両親」であると。

「灰色と青MVより」

結婚が女の「ゴールイン(成就)」ならば、男にとっては「墓場」だと先に記した。それならば菅田将暉にとってどうだったのかは、彼の身近にいた米津がよく知っていることかもしれない。

遠慮しいしい菅田将暉のことを「傷だらけの人」だと言った米津。ファンに取って米津が言う「結婚すれば孤独じゃなくなった」という短絡的発想は、「意外」であり、多分だが「残念」なことであったのではなかろうか?

ただ米津のファンなら、もう少しそこは深読みしてもらいたいところである。

幸せになりたい 楽して生きていたい
この手に掴みたい あなたのその胸の中

「KICK BACK歌詞より」

「3食昼寝付き」などと言ったら、非常に批判をあびるところだが、昭和時代の女性の結婚観はこんな言葉で批判されたりした。
けれども今でも女に取って「結婚」は、根強く幸せの代名詞の位置を保っているような気がする。

それは今もなおまだ女性の結婚生活が、男で決まるところが多いからだ。
米津はファンに取って「教祖的」だろうか?それとも「恋人的」であろうか?いや、ファンにしてみれば、その両方だと言うかもしれない。それは女性に取って男性のステータスほど重要なものはないし、ある種の「尊敬」や「憧れ」がないと、女は男に惚れたりしない。

「KICK BACK」のこの歌詞は、物凄く穿った見方をすればだが、そんな女性たちへの皮肉にも取れてしまう。
以前、フラミンゴの楽曲に見る米津玄師の色気を、私はこう表現した。

「彼自身が女性に対する情欲を感じながら、そして強烈な女性に対する憧憬と、男としての侮蔑を表現しつつ、『こんな馬鹿な歌ですいません』と頭(こうべ)を垂れる、ある種のイデオロギー的な崇高」

「結婚観」はどうしても「恋愛観」と混同される。女性に取って恋愛の先にあるのが「結婚というゴール」なのだが、男性に取って、そのゴールで待ち構えている女性ほど怖いものはないだろう。

米津の菅田将暉に対する何かしらの「思い」が「孤独じゃなくなった」という言葉になったとしたらどうだろう?

まちがいさがしの間違いの方に 生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ きっと出会えなかったと思う

「まちがいさがし歌詞より」

「まちがいさがし」は、ただ人の「アラ」を探すものだと思う。ただ「正解」の方じゃ出会えなかったと言うならば、これこそが米津の「思い」なのだと思うのだ。

当初、菅田将暉との関係が色々揶揄されたようだが、私としてはそれこそが「穿った見方」であり、「余計なお世話」だと感じる。
「好み」に理由がないように、人を好きになることにもまた「理由などない」のだ。「結婚」が打算なら、その出発点も打算だろう。それが悪いわけではない。女性は男性に何かしら頼らなければ生きにくい世の中だ。

ただ1つ言いたいのは男も人間の1人であり、色々なものが怖いのであり、女のように頼りたい思いもあるのだ。
米津の結婚観が「孤独じゃなくなった」のではなく、人間としての菅田への思いがそういう言葉になったではないか?

個人的な話だけど、誰かと同じことを考えてる瞬間を何度か経験したことがあって、その瞬間っていうのはほんととんでもない瞬間で、あーこのときのために生まれてきたんだな、とすら思うんだけど、でもそんなのはほんと一瞬の出来事で、次の瞬間には全然違う人間同士になってる。
そういう刹那的な瞬間を、どうにか音楽にできないだろうか?とずっと考えてて。

「恋愛感」が「結婚観」に繋がるならば、結婚から始まる生活をどう定義しよう?誰かと同じことを考えている瞬間があるならば、それはどこまでも高揚する「恋」の瞬間であり、「一瞬であった」という刹那的な思いこそが、米津の「ロマン」であろう。

ここまで書いてきて最後に記したいのは、「孤独じゃなくなった」という表面的な言葉に私たちはどれほども踊らされ、そして面白可笑しくそれを利用するものに翻弄されるということだ。

米津の求めるものが、果たして「女」なのか?それとも女性(伴侶としての)たった一人の「理解者」なのか?

ここは理屈抜きで考えてもらいたいものである。















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