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修行のようで、修学旅行のような、高校生の研修旅行メンターを終えて

昨年沖縄でワケーションしている際に、独立を決めた浜比嘉島に3週間滞在した。

きっかけは、Very50というNPO法人が、高校生に対して現地のビジネスの課題解決を提案するMogという研修プログラムの社会人フェローという形でメンターとして、4日間ボランティアで参加である。半年ぶりにこの土地に戻ってきた。

3週間という期間だけど、とても忙しく、そして試練の3週間だったけれど、いま東京に帰ってきて、もしかしたら起こるべくして立ち現れたことなんじゃないかと思う。その一つが、メンターとしてのこの活動だった。


ビジネス提案以前に立ち現れる課題の数々

高校1年生が修学旅行という大切な期間で、ビジネス提案をするという昔では考えられない活動。大切な青春を探求学習に使うのだから、何ができるかを最初から最後まで考え尽くしたのが、この4日間と事前期間だった。

中学受験を終えて間もない高校生が、それも有志ではなく授業の一環で、しかもクラスもバラバラのメンバーでチームを組み、正直チームビルディングもしっかりしてない中、未知のことに取り組むというのは、ビジネス以前にたくさんの課題があり、不確実性に溢れまくる中で、メンターがいかに関わるか、とても問われる経験だった。(この点に関しては、運営側も授業でやるのは初という試みで課題もいっぱいあるようだった)

学年の半分150人が沖縄のうるまでビジネス提案を行う

そもそも高校生一年生という年頃は、ロジカルシンキングなどもまだ経験が少なく、ビジネスを提案するというのはかなりハードルが高い。

僕自身も、大学二年生の時、海外ビジネス武者修行プログラムというベトナムで2週間新規事業を提案するインターンに参加し、ビジネスを学ぶ中で自身の変容に向き合うというプログラムだった。

その経験を踏まえた上で、人の可能性に向き合うコーチとして普段活動する中で、デザイナーとしてのファシリテーション経験は多くも、ビジネス提案のファシリテーションは経験が浅く、苦しんだ。

正直に言えば、主体性も高くはない高校生に対して、いかに相手に考えてもらい、時には教えながら導く按配がとても難しかった。普段から生徒に向き合う先生の存在がいかに尊いか、いかに教育が難しいかを体感させられたのであった。

それでも、最終発表で高校生が考え尽くしたことをプレゼンする姿を見た時、心から安堵し、ずっと入れていた力が抜けた。

プレゼンの技術や、ロジカルシンキング、ビジネスの提案なんて、この先いくらでも学んでいくだろう。

それをいまの段階で学ぶことよりも、僕はうまくいかない時、わからないことに挑戦する時、不安で、暗闇に囲まれ、人と分かり合えない時に一歩踏み出す勇気、しんどい時こそ自分に、他者に向き合い、超えていくことを応援し、支援することを握り、見守っていた。

最後、担当した3チームで円陣になり、チェックアウトで自分の本音を伝えた時、僕の方が最後に泣いてしまった。

10歳も歳の離れた高校生との距離の詰め方もわからなかったし、Very50の運営とも、ビジネス提案をする事業者の方とも、そして同じチームのメンター、同じ社会人フェローなど、関わる人がいっぱいで、僕にとってもわからないことだらけ。


「僕なんかが彼らに教えることなんてあるのだろうか?」


そんなよくわからない声が立ち表れ、葛藤の連続だったけど、最後まで諦めずに自分が届けたいものを、自分だからこそ届けられるものを、伝えようとする諦めない姿勢だけは保ち続けた。

正直Too Muchだった。けれど、最後まで諦めない姿勢から何かみんなに何かが届いた気がする。本音を伝え続けること、それを諦めないこと。僕にとってもこれまでのループを断ち切るための必要なプロセスだったのだと思う。たぶん。きっと。

無限の可能性に満ちた君たちのこれからを、心から応援してるよ。


ちなみに、社会人フェローの男子メンバーは、寝室は別れてなく、布団で七人雑魚寝ということが当日発覚した!

最初は「Oh no..」 という感じだったけど、毎晩それぞれの苦労を分かち合い、語り合う日々で、それはとっても仲が良くなった。

自分が持って行ったコーヒーをみんなに振る舞ったり、早朝に銭湯に行くメンバーや、朝ランニングや筋トレをする人もいて、勝手に部活ができていた。夜はたまたま宿にあったオラクルカードを引き、適当なお告げをして遊んでいた。

自分の居場所がある気がして、それはとても心地よかった。

宿の屋上にてエモ写
ワレは寝起きがワルイ


「何かを創るというプロセスが、自分の居場所を創る」

これは、今までデザイナーとして、チームで何かを創る上で体感したことだった。今回も居場所を僕はそこで得て、そしてまた旅立つのだ。

僕にとっても、それは修行のように苦しく、僕らにとっても、それは修学旅行みたいに楽しく騒がしい日々だった。


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