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タジキスタンの台所、ロシアの影

中央アジア、ウズベキスタン・タジキスタンの台所に来ている。アジアとヨーロッパをつなぐ古くからの交易路に位置し、人と物が行き交った土地。街を歩くとアジアな顔つきの人とイラン系美人とくっきり濃いアラブ系の人とが顔付き合わせて話していて、ああここは文化が交わるところなんだなあと感じる。

中央アジア、いわゆる「スタンの国々」

タジキスタンではホジャンドという北部の町のはずれの家庭に滞在したのだが、ここの台所は、ロシアの影なしには語れない。

中央アジアとロシアの関係

タジキスタン含む中央アジアの国々は、帝政ロシアおよびソ連の支配下にあったため、ロシア語が広く話されている。ここの家族も、タジク語とウズベク語の他にロシア語もごちゃまぜに使う。

タジキスタンに住むウズベク系一家。二軒隣り合って親戚14人の大家族。

台所でもしばしば、ロシア語が聞こえる。サラダをザクースカと呼んだり、果物のシロップ煮をコンポーテと呼んだり。

ウズベク語ではアュチクチュチュク(Achichiq chuchuk)。トマト、きゅうり、玉ねぎを切って塩を振るだけ、毎日食べる。
フランスからロシア経由で「コンポート」の概念が持ち込まれた結果、なぜかジュースをさすようになったらしい。

そして親戚が何人もロシアに出稼ぎに行っているので、台所で料理していると「モスクワにいる姉だよ」とWhatsappのビデオコールが渡される。大人の数に対して子供が多くてすぐ台所に乱入してくるのは、単に多産だからだけではない。出稼ぎに行くのは男性が8割だが、4世代同居で親戚が近くにいることもあり、子どもの面倒を誰かが見てくれるから、母がワンオペにならず成り立つのかもしれない。

市場に行くと、鮮やかな色を放つ農産品が並んでいる。タジキスタンの主要産業は、農業。野菜も果物もほぼタジキスタン産だそうで、ドライあんずはロシアなどへ輸出もしている。一方スーパーに行くと、お菓子や加工品はロシアからの輸入が多い。食卓のあちこちでロシアの存在がちらつく。

「このチョコおいしいから!」と勧めてくれたのはいつもロシアからの輸入チョコ。

タジキスタンは、1991年にソ連から独立したが、その後起こった1992~97年の内戦で経済が衰退し、一人あたりGDPは中央アジアで最も低い897USD (世界銀行, 2021年)。アフリカのブルキナファソやウガンダと同じくらいだ。国内家庭の30~40%は出稼ぎ者がいるとされ、GDPの3割は、外国からの個人送金が占めるという数字がある。その行き先は9割型ロシア。共通言語として身につけてきたロシア語がそのまま使えて、陸路で行けて、ビザ不要だからハードルがとても低い。それでいて月収はタジキスタンで働く場合の約6倍。

ロシアは、ビッグブラザーだ。ソ連時代が残したものは決してわるいものだけではないはずだけれど、今も埋まらない格差と主従関係が存在している。複雑な思いを抱えつつも、しかし経済的に得られるものは多く、頼らざるを得ない現実もひしひしと感じる。

バスで一緒になった青年が、「ぼくは自分の国は大好き。でも働き口がないから仕方ないんだ」と言っていたのが心に残っている。彼はカザフで工事の人として働いている。

タジキスタンにあってロシアにないものといえば、味が濃くて安くて豊富な野菜だろうか。ちぎったパンに発酵乳とバターをかけて、トマトときゅうりをたっぷりのせたシャカロップ(Shakarop)を、「タジキスタンのnational cuisine(国民的料理)だよ!」とうれしげに語る様子に、格別に誇らしげな響きを感じたのは考え過ぎだろうか。

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