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映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』(1974)視聴メモ

U-NEXTに映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』(1974)の見放題があったので見た。

土星からやってきて黒人市民を理想の星へ移住させようとする宇宙の大使を音楽家にして思想家のサン・ラが演じる。
宇宙の暗闇の黒イコール黒人の黒。この世界の営みは音楽であり人間はそれを奏でるための楽器。音楽は強大なエネルギーなので人や物を物理的に吹っ飛ばしたり、UFOを動かす燃料にもなる……などの超現実的な観念を、比喩を通り越して実際そうと断じる哲学的胆力で彩った80分。

「それは音楽である」という対象を際限なく開くという意味では、映像作品もまた音楽であるというとこまで結果的にせよふれた映画になってるんだとは思う。そこから、モダンな編集の理屈に従わないショットのつなぎによる視覚的フリージャズのような映像体験を生んでいる。

こういう、黒人主体で歴史や社会を「こうであってほしい」と捉え直すのを未来や宇宙のSFに託すスピリチュアルな切り口が1990年代までにはジャンルとして成立してて、アフロフューチャリズムと呼ばれるらしい。しらんかった。

ぱっと見でシュールとか意味不明とか評する向きもあるようだけど、「黒人が黒人に向けて黒人の実存について語りかけている」とだけ意識すれば寓意はむしろ素朴に汲めるよね。
宇宙人を信じない黒人の若者たちに「宇宙人が実在しないとされるように君達も社会から疎外されて存在しないものあつかいされている」と諭すとことか。

タイトルの「スペース・イズ・ザ・プレイス(宇宙こそ居場所)」や、音楽を燃料にした宇宙船で別の星へ移ろうと誘う働きかけはつまり「白人の作った世の中の仕組みとは別の可能性を想像してみよう、音楽を通して」ということで、”スペース”は想像のための精神的な空白にもかかっているのだろう。それは今ある現実にだけむやみに適応すると持てないものだよ、というとこまで踏み込んでいて、でも実際のところ我々はそうたやすく実存を音楽に全ベットできるものでもないということなのか、結末は微妙に苦い形をとっている。

Meta Quest3のバーチャルデスクトップでfirefoxブラウザからU-NEXTの配信を視聴


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