n-bunaさんの『カーテンコールが止む前に』について考えたこと

n-bunaさんのアルバム『カーテンコールが止む前に』収録曲の、主に歌詞についての考察です。
新しく何か思い付いたら追記するかもしれません。

『一人きりロックショー』の「今君の言葉が 13 and 45」は、
13+45=58(五十八)=ごとは=言葉ことば と思えます。
君の言葉(58)が分解され、意味(13)と死語(45)になったと。「大体なんでも 意味はないけど」と続きますし。
「あの日の事が 13 and 85」の85は逆さの58(言葉)で、
意味(13)が離れ「変わって移ってしまう」あの日の言葉(85)なのかなと。

「魚色の嗚咽」は陸に上がった魚が口をパクパクしてるのを想像しました。
「声も退化して」、陸の魚のように言葉が上手く出せなくなったのかなと。



『アイラ』MVは、水面に空が反射して鏡映しになっています。
アイラの逆はライア(嘘つき)なので、
アイラ(青空)とライア(鏡像)なのかなと。「嘘だった」とありますし。
MV内にAiraという字が何度か出てきて、一度逆さに映ります。
Aira(アイラ)の逆はariA(アリア)なので、
アイラ(青空)を反射したアリア(独唱)、空を模倣(反射)した「涙空の唄」だと思いました。
涙の水面に映る空(涙空)のようなariA(唄)=空のAiraを反射した「涙空の唄」

ariAには独唱のほかに空気という意味もあります。
Airaは空気(ariA)の逆で、空気の無い宇宙空間なのかなと。
「音のない世界」=空気が無く音が伝わらない宇宙そら
宇宙そら(Aira)を映す水面には空気(ariA)があり、唄(ariA)が歌えると。
「第三宇宙速度」(太陽系脱出速度)で揺らいだらもう音が伝わらないから「君に何も伝えてないのにな」と続くように思いました。

「ふわり、ふわりと溶ける」
=ふわり、ふわり届ける
水面に溶けた「青く染まった空の想い」が何かを届ける気がします。


『劇場愛歌』MVでは水面にしゃがんだ自分が映っていて、
「辛くもないようにしゃがんだらもう自分に嘘を吐いて」と歌詞にあるので
水面に映る自分が嘘なのが『アイラ』と共通していそうです。
劇場愛歌という字が一度逆さに映る演出も『アイラ』MVのAiraに似てます。



『ウミユリ海底譚』の「譚」は潭(ふち・水が深くよどんでいる所)に掛けてある気がしました。
海底譚→かいていたん→描いていた
「空の底 灰の中で夢を描いた」は、海底で描いていたのかなと。

「空に溺れていく」などの空と海を反転させたような歌詞が、ウユニ塩湖を連想しました。ウミユリとウユニは語呂が似ていますし。
『アイラ』MVもウユニ塩湖っぽいです。
「期待の言葉とか聞こえないように笑ってんの」は、
気体(期待)が聞こえないよう液体の海(あるいは空気の無い宇宙そら)へ飛び込んだように思いました。

『ウミユリ海底譚』MV内で歩いているのは「歩く姿は百合の花」ってことかなと。
海中を歩く姿→海百合→ウミユリ
ウミユリはユリと付いていますが、植物ではなく動物です。
ヨルシカ『第一夜』の百合(植物)に変化していく女性(動物)を連想しました。
「待ってわかってよ」と言われて百年待ったとか。




『七月、影法師、藍色、ロッカー』はロックンローラーのロッカーでもある気がしました。
影法師は「ステージライト裂いて」見た藍、影になったロックンローラーで、法師→人々の師となる者→ロックンローラー かなと。

「この歌を影法師とロッカーに詰め込んで笑ったって」は、
鍵をかけて閉じる(locker)とも、ライブステージに歌を詰め込む(rocker)とも取れそうです。
「閉じたショーケース」は一人きりのロックショーで、
「ずれたショーケース」になることで他人に届くとか。

曲名と「青滲んだあの憂」から、ヨルシカのエイミーとエルマの話に繋がる感じがしました。

「丘の向こう側ずっと僕の見た夢」は、
ノーチラスやさよならモルテンにも出て来る、n-bunaさんがよく見るという「丘の向こう側にスウェーデンの景色」がある夢(エルマ特設サイトのインタビューより)なのかなと。



『カーテンコールが止む前に』(アルバム)のBonus Trackは、
このアルバムというロックショー(舞台)のカーテンコールだから、
『カーテンコールが止む前に』(曲)の次の曲のピアノアレンジなのかなと。
カーテン越しのコール(拍手)≒窓越しの雨音
『夕立(inst)』がピアノメインの曲なので、
カーテンコールを雨音に、雨音をピアノの音に喩えてる気がします。

『背景、夏に溺れる』の「蝉時雨」は、重なる蝉の声を雨に喩えています。
蝉時雨という音の洪水に溺れるのかなと。
「誰かの声が重なっても僕ら席を立つことも忘れてしまってるようで」は、
蝉時雨のなか呆然としているとも、
カーテンコール(スタンディングオベーション)のなか席を立たずにいるとも取れそうです。「エンドロールにしがみついてる」とありますし。
「夏が終わる 君の声がただ 少しかすれてゆく 薄れてゆく」は、蝉の声が減って夏が終わるのかなと。
カーテンコールが止むことは、蝉時雨が止むこと、夏が終わることでもあると思いました。



n-bunaさんのボカロのアルバムは、白い花で終わることが共通してると感じます。
『カーテンコールが止む前に』→歌詞カードの後面に白い花が描いてある
『花と水飴、最終電車』→「白花」「クチナシ」「一枚の花の絵を描いた」
『月を歩いている』→カエルのはなし「小さな白い花」

以上です。
お読みいただきありがとうございました。