心を込めて本を贈られた

誕生日に、とある本を、プレゼントされました。普段から、私のことを良く観察してくれている妻から。

いつも気の利いたものをさりげなく見つけては贈ってくれる、素晴らしい人、最愛の妻。

そんな、理想的とも思える妻から、以下のNoteの記事にあるような本を贈られた。

で、1週間後に「そうだ、せっかくプレゼントされたんだから、読まなくちゃ」と思って手に取り、半分くらい読んだところで吐き気がして来て中断した(しおりは挟んだけど)。

その後、本が放置されているのを見かけた妻から、「あの本、読んだ?」と言われて、プッシュされたと誤解し、慌てて後半部分をなんとか読み切った。正確には、最後のグレーのページは読めなかったのだが(そこに至るまでに気持ち悪すぎて…)


自分自身、「どうしちゃったのかな?心を込めて贈ってもらった相手に失礼過ぎるよな」とは思いつつ、思わず本音がポロリ

読んで、とっても、とっても、悲しくなった。

その後は、もう大喧嘩である。それも、いきなり感情に任せての大爆発ではなく、少しずつヒートアップしていく感じで…

「どういう心を込めて、この本を贈ってくれたのかな?」
「この本の、どういうポイントが良いと思ったのかな?」

と深掘っていくうちに、出て来た答えの軽薄さといったら…

「いま話題の本だっただから」
「こんな生き方もあるって参考になるかなと思って」
「(あなたを)見ていて、辛そうだったから」
「正直、文章の細かいところまで覚えてない」
「もっと(ワークアンドライフ)バランスを取ったらいいのにと思って」

みたいな答え。

自分が、既に疲れていたからでしょうか?親切を装った、一方的な、思想改善要求にしか聞こえなかったのである。もっと言ってしまうと(大袈裟かもしれないが)、今の自分に人生観や信条に対する挑戦・ある種の否定ともとれた。

反応を聞いていくうちに、心の深いところが、どんどん落ち込んで行く。自分でも、自分が病気にかかっちゃったんじゃないかと思うくらいに。

言い訳ではあるが、私の勤務する総合商社というところは、給与水準こそ高い(グローバル水準でみれば低い)ものの、毎日、「生きるか死ぬか」というくらいの厳しい世界である。最近は、なんだか「生ぬるくなったな」と思うことはあるが、営利企業であって利益を上げ続けなければならない宿命の中で、出世や評価も報酬も、どれだけ儲けられるかを基準にした競争社会だ。

もっとも、さっさとこの不毛な競争から下りれば、楽に生きていくことは出来る。自ら窓際族を自認し、どうでもいい仕事をマイペースでやる人もいるにはいる。ひとりくらいサボったところで、会社はすぐにはつぶれないだろうし、組織として動いている以上、誰かひとりが手を抜いても、他の誰かが埋め合わせしてくれる。どこに行っても、組織における、2:8:2の法則(2割が全体の8割を稼ぎ、8割が残りの2割を稼ぎ、最後の2割はゼロかマイナス)が、だいたい当てはまる。

でも、一人また一人と、手を抜く人が増えていったらどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。競争上、組織の中でトップ2割に入れなかったとしても、自ら下の2割は目指したくない。そして、結果としてどんな境遇になろうとも、世の中的には十分過ぎるくらいの報酬を得られていると思えばこそ、自分を鼓舞し続けて来た。
もちろん、やり過ぎて、心身ともにボロボロになってしまったり、もっとうまく立ち回っていればとか、やろうと思えば出し抜けたのにな、などと、身も蓋もないことに想いを馳せることはある。(煩悩の塊なので)

でも、少なくとも、まだ「戦士を気取っている」私に向かって、戦意を削ぐようなことは言って欲しくなかった。

何もかもが、アホらしくなってしまうじゃない

最愛の人が、こんなに(脇の)甘い人だったなんて、(前から分かっていた気もするけど)ショック過ぎて、なかなか立ち直れない。

少なくとも、著書の中で、筆者自分のことを、「本を〇冊だし、講演会を〇千回、計〇十万人を相手に語り続けた、こと〇〇」みたいに自己紹介しちゃう人のいうことを「鵜呑み」にするのだけは止めようよ。

いいことが書いてある本だとは思うよ。

読んで、吐き気が止まらないけど

翌日の朝。。。

上記のモヤモヤとした感情が一掃されたのか、著者の気持ちが伝わってきた。それは、本に書いてあるような「心を込めよう」みたいな表面的なことではなく、筆者の置かれた立場についてである。

想像するに、著者は架空の人物で、いろいろな心に刺さるコンテンツをネットで昼って来ては、うまく合成して稼ぐのがうまい人のために集団。取り上げられている人入っ実在の人なんだろうけど、「(当初は)無名なアーティストで、収入的に不安定。客観的には、明日の身も分からないという厳しい環境下にあるのだが、主観的には、意外にも「自分のやりたいことをやっている」という自信に溢れ、無我夢中で道を切り拓き、今日も生きていられることに感謝しながら生活しているという人物を描くことで、世の中の共感を得ることに成功し、お金に変えているのだろう。

安定的な立場を捨てて、リスクヲとって、やりたいことに突き進んだ結果、違う形ではあるが成功を納めたという、成功談を語りたいのだ。
違う形というのは、成功談を語り続けること自体が、生活の糧なっているということなんだけど。

こんな感じで、自分なりに「腹落ち」すると、なんだか本に影響されて、気分月悪くなっている自分がバカバカしくなった。

自分には自分なりの道があり、その先が、他人からみれば「空虚で無意味」と見える、サラリーマン社会におけるささやかな出世だったとしても、別に構わないじゃないかと…
それを目指して自分を鼓舞し、鼓舞するなかで成長していければ、それでいいのだから。

思うなや、仕事以外の世界に、自分の存在意義を求めようとするには、ちょっと時期が早すぎたのかも知れない。

肩書も安定的な収入も、はく奪される日は遠くない。だから、リタイア後の準備は早ければ早いほど良い、という理屈になるのだろうが、自分には、まだまだ今の環境でやりたいことや成し遂げたいことがあるのだ。

いまは、そのことに気がつけたこと感謝したい。

他人の生き方とやらに影響を受ける前に。