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帰省と仕事始め

自分にとっては胃の痛む、お正月の「実家への帰省」が無事完了。日程から、誰が集まるのか、何時にどこに集まるのかすら、前日の前夜まではっきりせず、さまざまな意見と言葉足らずなコミュニケーションが繰り広げられて消耗した。

あまり覚えていないのだが、前日深夜に「もう俺は行かない。行っても、車の中で待っている」とか言って、ブチ切れていたらしい。(今から思えが滑稽だが、相当思い詰めていたということ)

文字情報しかなく、解釈の余地の大きいLINEのやりとりは、逐一、妻に見せて、どう解釈すべきか意見を聞き、こちらとしては良かれと思って出す提案は、ほぼ毎回裏目に出て、泥沼化する(どうしたらいいか決め手がなくなる)ということの繰り返し。堪らず、兄弟の嫁さん同士で意見調整してもらったが、兄弟ともに夫婦間で会話していないのか、意見の相違があるのが、嫁同士で調整していることとは全く異なる提案が本人から出て来て、混乱に拍車が掛かった。

妻の実家では、こんな混乱はない。普通に集まって、毎年楽しい正月を過ごしている。一方、男3人兄弟の自分の実家は、どうしてこうなるのか…

渋滞もあって、昼過ぎに実家に到着。到着直前に、スマートウォッチが鳴り、画面をチラ見すると、兄からのメッセージ。なんと母親が「反省」しているらしい。おお、そうか、とうとう母親本人がどういう正月を過ごしたいのか明確に希望を伝えなかったことが混乱の元だったと気付いてくれたか、と思いながら期待を込めてメッセージを改めて読むと、中身はまったく違った。

母親は、75も過ぎたのに、仕事にボランティアに習い事など予定を詰め込み過ぎて、年末に具合が悪くなり、苦しさのあまり倒れていたらしい。3年前のこの時期に心筋梗塞をやって一命を取り留めているのに、全く「懲りていない」らしい。ボランティアガイドの指導役で、石段を300段以上も上り下りしたなど「アホか」という話。

一方、兄のところは嫁さんの実家の介護が始まってしまい、仕事と介護の両立で本当に大変で余裕がなかったらしい。介護制度はあっても、使う側にその意識がないと、負担は親族にところに行くという典型例で、自分はそうなる前に逝きたいと言ってました。

弟のところは、LINEで顛末記が来たが、嫁さんの祖母(90歳超え)に孫を顔を見せるべく、年末から子供3人を連れて東北に行き、ついでに「なまはげ体験」をさせるべく民泊に泊まり込んだところ、一番下の子(5歳)が、なまはげを見たショックで嘔吐し、夜泣きが止まらなかったとのこと。結果、親も含めて疲労困憊し、実家に来るのは諦めざるを得なかったという顛末だった。

午後いっぱい実家で過ごし、母親に手作りおせち料理を渡して、帰途についたのは午後7時過ぎ。帰りは途中で食事をしようと下道を使ったところ4時間以上掛かった。翌日は疲労で起きられず、箱根駅伝を見ながら、地元での駅伝メンバーを決めるという新年会(飲み会)は欠席。

そして今日から仕事始め。一日数件しか予定がなかったのでストレスも少なく、明日の報告会に向けた準備も関係者に確認を取りながらしっかり出来、カフェインも取らなかったが仕事は、結構捗った。今年は、新しい部署で仕事が忙しくなることは分かっているので、この調子で出来るだけ無理な予定は入れず、無茶な目標を立てたりせず、無駄な仕事もどんどん削っていって、適度な余裕の中から、本当に大事なことに時間を使っていきたい。

気がついたら、新年の抱負になっとったわ。