私たちには誰しも、断わる権利がある。
人からの頼まれごとを断るって、なんだか悪いことをしてる気分になる。
そんな心当たりがある人、多いのではないでしょうか。
もちろん私も例に漏れずでして、過去は私も「断る」に対していちいち悩むタイプでした。
いや、今もまったく当てはまらないワケではないんですけどね。
今日は、そんなお話。
ー 自分を犠牲にしている暇なんてなくない?
ここ最近「なんていって断ったらいいかな……」というフレーズを、日常の中で何度か耳にしました。
特にコレ、私の夫がよくいいます。
夫:「なんていって断ればいいかな??」
いやいやいやいや!!!!
さっき謝礼がネックだったっていっとったやないかい!!!!
「〇〇円からしか受けてないので〜、でいいんじゃないの?」といっても、なんか腑に落ちないというか、スッキリしない様子で。
よく話を聞くと「“断る”という行為自体が、すごく申し訳ない」と。
たしかに、言いたいことは分かります。
私だって、断るときは「もう頼んでくれなくなるかな」とか「嫌なヤツだと思われないかな」って気になるし、なにより「ほかにアテがなくて困ってるのかな……」と心配にもなるし。
だったら、多少嫌なことだったとしても、受けてあげようかな、的なね。
でも、だからといって自分を犠牲にしていいのだろうか。
「断ると申し訳ないから」と無理をして依頼を受けたとして、相手は喜んでくれるかもしれないけれど、それで自分は喜べるんだろうか。
意にそぐわない依頼を受けているんだから、もちろん答えはNOです。
もしも私がその立場だったら「なんで私がこんなこと……」と、内心めっちゃくちゃイライラしながら仕事をしていると思います。
なんなら「アイツのせいで!!」と他責思考になって、「やる」と決めた自分の選択さえ素直に認められない気がします。
それってすごく不健康だし、時間のロスでしかないな、と思うんです。
偉そうにいう私も、数年前にパート社員として会社勤めをしていたころは、典型的な断れないマンでした。
基本的に残業はナシとされているパート社員なのに、繁忙期には連日「残業してくれない?」と頼まれ、「これもお願いできる?」と次々仕事を渡され、内心モヤモヤしながらも飛び切りの笑顔で「もちろんです〜!」と答えていました。
でも、あるときふと思ったんです。
「これ、一生続くの?」って。
あるとき、試しに「今日は予定入れちゃってて……」「今ほかの案件立て込んでて……」と言ってみたところ「あ、そうなのね!ごめんごめん!」と、アッサリ引き下がってもらえました。
似たような経験はほかにもあって、フリーランスとして個人で依頼があったときにも「すいません、〇〇円からしかお受けしていなくて……」と伝えると、設定金額を見直して再依頼をくれたこともあります。
できないこと・受け入れたくないことは、断ってもいい。
そもそも「絶対にやれ!」と命令されているわけでなく、「お願いできますか?」と尋ねられている時点で、YES/NOを答える権利を与えてくれています。
なのに、勝手に「YES」しか選択肢がないと感じて「やります!」と答えてしまうのは、ほかでもない自分自身。
与えられた選択の権利を放棄して、自分を苦しめているのは、実は自分なんですよね。
この複雑な社会で生きていくには「嫌」と感じることを完全に排除するのは難しいけれど、選ぶ権利を与えられたときくらいは、「それはできません」って答えたっていいはず。
人生短いのだから、できるだけ自分を犠牲にする時間は減らしていきたいものです。
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