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お正月、じぶんの運命に出会いなおす

『運命』なんていうとおおげさに聞こえるかもしれないけれど、ようは、巡り合わせのこと。

お正月は、自分が持ってうまれた巡り合わせがきわだちます。

たぶんたくさんの人が「家族とすごす」のだろうけれど、親戚一同集まるところもあれば、親兄弟と過ごすこともあるし、パートナーの家族とすごす場合もあるでしょう。もしふだんは離れて暮らしているなら、ひさびさに会ってつもる話をしたり、はたまた、苦虫をかみつぶしながら顔を合わせて大ゲンカに発展してしまうこともあるかもしれない。また、集まってもお正月を祝わない家族もある。

ひとりで過ごすお正月もあれば、友達とバカ騒ぎすることもあるし、毎年海外旅行にいく人もいる。予期せず病院や、留置所や、たまたま大みそかの夜に空いていたので飛び込んだ居酒屋や、ゆきずりの誰かの家で過ごすこともあるかもしれない。あれ、気づいたら年が変わっているかもしれないです。世の中には、いろんなお正月がある。

お正月の行事だって、家によっていろいろ。おせちひとつとっても、たとえばSNSにはいろんなおせちの写真が流れる。ぼんやり眺めているだけで、家によって『おせちの形』にもいろいろあるんだなって気づく。
 「うちには伊達巻きがないなぁ」
 「色は地味だけどバランスがいいぞ」
 「おお、メニューが洋風だな?」
きっと『おせち』という言葉でイメージする光景も人それぞれ。

 
そんなお正月──子どもの頃は過ごし方を選べなかった。家庭には家庭のルールがそれぞれあって、誰とすごすか、どう過ごすか、なにを食べるか、ものごころつく前から繰り返される年中行事だから。
だから大人になっていろんなお正月を過ごすようになっても、ふと思い出すことができる。自分がもっている『お正月』のイメージ。

「ウチはこうだったなぁ」
「こんなふうに過ごしたなぁ」

そして大人になるほど世の中には知らないお正月があることに気づいて、客観的にすとんと落ちてくる。

「こんなところで育ったんだなぁ」
「こんな人に育てられたんだなぁ」
「ああ、これが、私をつくってきたもの」

そうやって、じぶんの人生と出会いなおす。どんなところで産まれて、どんな人たちと育つか。じぶんでは決められないその『巡り合わせ』は人の数だけ違う。誰もが、じぶんだけの巡り合わせを持って、いくつものお正月をこえてきた。なんども、なんども。365日ごとに。

繰り返すお正月。子どもの頃はただやってくるものであっても、すこしずつ自分で決められる範囲が増えていく。誰に「あけましておめでとう」を言うのか、言いたいのか。誰から「あけましておめでとう」と届くのか、もしくは届かないのか。一年のはじまりをどう過ごしたいのか。いや、そんなことは考えないように過ごすのか。そもそもお正月のことを意識しない生活をおくっていくのか……

 
さて、そろそろ2020年の元日もおわります。

泣いても笑っても嬉しくても苦しくてもうまれた時や幼い頃の『巡り合わせ』は選べず、過ぎた経験と思い出は変わりません。でも、今日からはじまる新たな年を歩むのは自分でしかなく、なんならもはや巡り合わせにまかせられなくもなってきました。そんな2020年のこれからに、少しでも優しい幸福がふりそそぎますように。

あけましておめでとうございます。

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