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今度こそ、一歩を踏み出そう

仕事を辞めたら違う場所で活動的に動き出せると思っていたが、どうやらその考えは甘かったらしい。

辞めてから2週間が経ったかなという頃、ようやく動き出す気力を得た。これでも早かったような気がする。

思ったよりダメージを受けていたみたい。内定者面談の時に「面接なんて騙し合いよね、でもうちはそんなことせえせん(関西弁)」と言っていたのに、私はまんまと騙された。「◯◯部署(新卒とは別)での採用だから、そこも加味して考えてみてや」と言っていたのに結局はその配属にもならず、他も騙されたと思う場面が多々あって、人間不信になるかと思った。騙されたときってかなりエネルギーを吸い取られるんだなとも思った。それに加えて、私には合わなすぎる業務でのストレスが重なっていた。

辞めてそのまま実家に帰っていたら、もう少し長く腐っていたかもしれない。
彼の家でかなり伸び伸びと、たくさのひとりの自由な時間があって「ちゃんと生活しよう」と慣れない料理もして、これが結構楽しかった。無心に集中できる気持ちよさを久しぶりに感じて、好きな本を読んで、noteも書いて…インプットにアウトプット、そして1つのことに集中するという三拍子のおかげか、ここ最近の1週間は心の回復を感じるようになった。

それまでは、やりたくない・めんどくさい・外に出たくないと無気力だったのに、あれやりたい!外出たい!と欲や活気がフツフツと湧いてきた。
あ、わたしの元気サイン出てきたなと感じはじめた。


大学卒業一年目の5月
元々院進を考えていて猶予がたっぷりあると思っていた。遊びも手を抜かずにしていた。そんな私は貯金が尽きる未来が既に見えている。だから5月にはバイトだけでもはじめたい。稼がないと生きていけない。はやく働かないと…
と、その気持ちはずっとあっても動けずにいた。でも最近やっと考えられるようになってきた。

そこでnoteに帰ってきたのである。
いつか書いた、ライターになりたいこと。


正社員は気持ち的に嫌だと思ってしまう。また騙されたらそれこそ、人間不信になってしまいそう。びくびくしながら就活して、正社員をまたはじめる気力はまだ無い。だからアルバイトを今までと違う場所ではじめようと考えている。

アルバイトでライターというお仕事ができたら夢のようなのではないかと思う。書くことを学んでみたいと思う。それにやっぱりフリーランスの働き方に憧れる。というより、正社員の働き方は私にとって苦しい。責任は全部自分で持つから、自由に働きたい。自分の持つスキルでお金を稼ぎたい。いつかフリーランスになりたい。

そんな気持ちは進路を考え出した時からずっと持っている。院進を辞めて進路を考えて、かれこれ7~8ヶ月経った。それだけの期間、書きたい!ライターになりたい!フリーランスになりたい!と常々思っているのだ。たかが数ヶ月だけど、これは私の目標として良いのではないかと思う。私の本心だと思う。そう思っていいだけの時間が経ったと思いたい。


そんなことを考えている時、ふと目に付いた記事があった。


私にとってnoteは自分が書きたいことを書くための場所、頭の整理をする場所としている。それでもわざわざ発信という形を選んでいるのは「誰かの背中を押せるような文章を書きたい」「支えになると嬉しい」と考えているから。共感できることはエネルギーになると思う。私と同じような人がここに生きているんだなと思うと、それだけで心が軽くなる。こんな生き方もあるんだと勇気をもらえる。

知らない人の文章がそう思わせてくれることを、私はこの5年間強く感じている。私も支えられているし、「共感しました!私も頑張ろうと思います!」と以前メッセージを頂いたこともある。私の文章が誰かの勇気になって、返ってきたメッセージを見て、私はまた励まされる。

それが嬉しくて、いいなと思って、こうやってnoteをはじめ、書き続けているのである。



書くことを仕事にしたい


そう、何度思ったことか。

今ここで、今度こそ踏み出さないと、歩みを始めないと後悔する気がする。また正社員になったら、それこそタイミングを見失い続ける気がする。

でも…怖い気持ちもある。きっと自分でライターや書くことに対するハードルを上げすぎているんだと思う。自分なんかにできるのだろうかと。

そんなときに問が突きつけられた。

なぜライターになりたいのか(なったのか)?
ライターになって何を書きたいのか?(分野ではない)
どんなライターになりたいのか?(いくら稼げるとかそういうことではない)

Kaoriさんの記事より引用

少しの間考える。と、思ったよりもするすると考えが出てきた。


言葉が好きだ。読むことも書くことも、好きだ。
そこからたくさんの恩恵を受けた。今度は私が誰かになにかをあげれるようになりたいと思うことは高慢だろうか。

読み書きが人生から離れたことがない。
本は食わず嫌いせずに読む。小説も漫画も自己啓発もビジネスも専門書も、勉強や学び、趣味でも、何をするにも本が必要だった。
小学生は本から得たことをノートに書き留めるようになった。中学生からは日記をはじめた。浪人期にSNSをはじめて、誰かの言葉に支えられた。自分が書いたものからたくさんの反応をもらった。嬉しかった。そのジャンルからはみ出したくてnoteをはじめた。今はnoteでもリアルでも、他人の言葉に支えられている。私の言葉に勇気をもらったと言ってもらえることも多くあった。だから毎日書いている。言ってしまえば、書くことは単純に好きなこと。さらに反応があるから書きがいもある。だからそれを仕事にしたいと、ライターになりたいと思う。そうなれたら幸せだなと思う。

ライターとして自分や誰かの言葉を届けたい。
取材ライターになりたい。
言葉にすることが難しいものを私が受け取って届けられるような橋渡しができたらいいなと思う。それをしたい。
私がもらってきた恩恵は誰かの経験や想いを言葉にしたもの。私が書いているのも自分の経験や想いを言葉にしたもの。自分の言葉が届くのもとても嬉しい。でもそれだけじゃなくて、もっとたくさんの人と関わりたい。届けたい人の想いも届けられるようになりたい。自分じゃない誰かの言葉も生で聴きたい。言語化が難しい想いも感情も、全部丸ごと文章できたらと思う。それが誰かの心や生活を支えるものとなって欲しい。そうなるような文章を書きたい。


まとまってないかもしれない。でも、この溢れんばかりの想いが私の中にあることを自覚した。

これはもう、いまこそ、このタイミングに、今すぐやるしかないと掻き立てられている。

簡単じゃないことも、書きたいことだけ書ける訳でも無いことも分かっている。はじめはひたすら書け!かもしれない。それでも私は書き続けられるような気がする。私は勉強が好きで、勉強すれば書けるジャンルは広がるし、そうやって書く力をつけているのだったら、私はきっとやっていける。



人は、変化を嫌う生き物だから仕方のないことかもしれないけれど、その時は一歩を踏み出す勇気を持ち合わせていなかったように思う。

憧れをかたちに|葵月みず


これだけたくさんの “やりたい!” があるのだから、わたし頑張れ!今ならきっと大丈夫!あとは一歩踏み出すだけ

さあ、はじめよう。踏み出そう。
やりたいことをやろう!



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