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ガザに思う

日々、ニュースでガザを巡る報道がされる。
廃墟になった街を見ながら、
そしてそこで辛うじて生き残っている人達を見ながら、
僕は目を背けて逃げ出したくなる。
1,000人以上が殺された報復として、
街を廃墟にして何十倍もの、
その多くは罪もない無抵抗な人達を、
圧倒的な武力をもって殺していいものなのか?と疑問に思う。

僕がその立場だったら、親しい人や家族が殺されたことは憎い。
きっと、犯人を同じ目に合わせたいと思うのだろう。
しかし、罪なき人がその報復として殺されていくことに喜びを見出すことはできないと思うし、殺戮をやめる様にと思うだろう。
これは、もしかしたら、とても日本人的というかアジア的な考えなのだろうか?
そして、何故アウシュビッツという経験を受けた民族が、更に残酷な仕打ちをしてしまうのだろうかと疑問に思う。
そんな話を知人とした際に、
一人が「虐待を受けた人は、自分の子供に虐待をしてしまうことがある様に、虐待は繰り返されるのではないか?」と言う言葉になるほどと思う一方で違和感も覚えた。

ユダヤ人は、最初に文字を作った民族の末裔であり、選ばれた民族であると言う意識がある一方で、本来主流であったはずのユダヤ教の一ラビであったキリストの迫害により、
逆にキリスト教の広がりと共に土地を追われて、
ヨーロッパへロシアへそしてアメリカへと移り住んでいく。
彼らの素晴らしいところが、いく先々で迫害を受ける立場の中で、組織にこだわらず個の力が発揮できる仕事である医者、弁護士、そしてキリスト教で禁じられていた金貸しに道を見出し生き延びていく。
シェークスピアのベニスの商人のある意味主人公であるシャイロックもユダヤ人であろう。

僕が、知っているユダヤ人は、ニューヨークに住む人の良いコンサルタントであるが、日本人と似ているなと思うことがあった。
それは、人の考えを察して話をしたり行動をすると言うこと。
単に自己主張をするのではなく、相手の心を読み理解してながら、気遣いながら、言葉を発していたように思え親近感をもっていたのである。
だから、すべてのユダヤ人が今回の虐殺を支持しているわけではないと理解しながらも、イスラエルでは過半数が支持していることに僕の気持ちがついていけないのだ。

一方で、ユダヤ人は、歴史を語り継ぐ民族らしく、
自分達の経験してきたり被ったことは、
忘れずにある意味恩義は返し、
一方で復讐も決して忘れない民族であると、とある本に書いてあった。

さて、世界を彷徨い、個の力を養い、民族の連帯を大切にしてきた彼らは、医療界、法曹界、金融界そして近年はマスコミまで押さえることで、
資本主義社会の見えない覇権を握りつつあるのではないかと言う事実を、
イスラエルに対する過渡と思える米英の支援と反対にパレスチナの人々に対する冷徹さから垣間見ることができるのではないか?
それは、平和で暮らしていたアラブやパレスチナの地において、ロスチャイルド家の影響下のイギリスや米国の主導権で進められたイスラエルの建国から始まり、
イスラエルは何をしても国際的に非難されない不思議な超法規的な状況を生み出してきたのではないか?
そして、僕らが当たり前に信じてきた民主主義や人道主義と資本主義とは、
もしかしたら相入れないものなのではないか?とも思うのである。
資本主義は、帝国主義を生み出して、
強い国が弱い国から富や労働を搾取することから成り立ち、お金持ちは働かなくても資産を増やし権力をにぎることが明らかになり、
その批判を交わすために平和や人道的な仮面を被っていたものの、行き着くところは効率的に自己の利益をあげることであれば、
その最たるものは他国で戦争を続けることに行き着くのかも知れない。
それは、武力だけでなく、経済、更に情報による搾取と言う戦争にもなっていくのだろう。
値段があって無いような高額な武器、それも使えない以上、需要は限られる中で、どこかで戦争を定期的に起こす必要があるのではないか?
そして、世界が不安定でいつ戦争が起きるかも知れないと煽ることで、
使えないもしくは使わない武器のため軍備費を増大させて、
誰かが莫大な利益を上げている社会。
そして政府が税収のためと言いながら暗黙の中で増長させていく。
そんな世界の中で、SNSやネット社会も結果ガザの人々を救えるわけでもなく、無力感を感じ得ない。
それでも、現地から送られてくる映像があるだけでも、世界は変わりつつあるというのか?
それ以上に、単に嘆いているだけで、何もしていない自分の無力さに、
僕は苛立ち悲観しているのかも知れない。

そんな中、米国から始まり欧州の大学生が声をあげ始めた。
警察に排除され逮捕されたりしているのだが、それでも立ち上がる人達がいる。
また、ニューヨークの市民が、ガサの人達を虐殺するために自分たちの税金が使われているのは許せないとの発言を聞いて、少数でも声を上げる勇気をもった人達がいることに少し心が救われている。
そして、今、停戦の動きが出てきている。
小さくとも声をあげることで世の中は良い方に少しは変わっていって欲しいと僕らは足掻き続けたい

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