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挫折の幸福と後悔

毎度のことと思うかも知れないが、走ることについて書きたい。

昨日、4月27日の深夜零時にスタートとするMt.Fuji100というウルトラトレイルの短いKAI70に出ていた。
短い方といっても、約70km、累積標高3,400メートルを登ることになるので、ふつうのウルトラマラソンだと110kmぐらいになるのだろうと思う。
一昨年、昨年と完走を果たしていたし、練習量も参加中1800人強のうち820位と平均より多く、8割以上がゴールに辿り着ける中で早期のリタイアをしてしまった。

この様な大会を出るには、半年をかけて準備する。
体を徐々に作り上げていくのだ。
走る量を増やし、負荷をあげたり体重を落としたりする。

その結果が、スタート5時間後の早期のリタイアなのだけど、1週間前の負荷の強い山登りをした後に、急に目眩がする様になった。
それが、数日続いたことで、レースに出ること自体をやめた方が良いのではないかと迷いながら、受付のために会場にきてしまった。
すると、勇気が湧いてきて、出ようという気持ちになっていく。

そして、深夜零時を迎える。
敢えて普段よりゆっくり走ることにしたのだが、なぜか体が揺れる。そして、どうしようもない睡気が襲ってくるため、真っ直ぐ走れない。
単に眠いだけだと言い聞かせて半分寝ながら走っている。
だから、ふっと気づくと道の端の崖の縁によっていたりする。
ほっぺを自分の手でビンタして、眠気を押さえながら前に進む。
更に悪いことは、水分が取れないのだ。
寒いからあまり水分を取らなくても大丈夫と言いながらも、最初のエイドでバナナを無理に口に入れながら吐き気を覚える。
普段だと12時間以上走って感じる吐き気が僅か12キロぐらいで起こる。
一方で、脚は元気。
周りの人がはぁはぁ言いながら走っている中で、楽に登ることができる。
練習は嘘をつかないと思う。
でも、吐き気が強くなっていく。

四つあるエイドの二つ目についた。
そこでは、おにぎりや豚汁が用意されていて、例年そこでおにぎりと豚汁を頬張ることを楽しみにしているのに、手が動かない。
ましてや、パンやチョコート、更に水分すらとりに行くことができない。
3つ目のエイドや山の中のためリタイアはできず、四つ目のエイドまで行き着かなければリタイアすら出来ず、レスキューを呼ぶことになる中で、ここでリタイアすることにした。

僅か20km強を走ってリタイアすることに珍しく迷いはなかった。
リタイアする時は、迷いに迷って後悔を胸にしながらリタイアするのだが、
今回は今やれることはやったとあっさり納得して決めた。

普段だと、翌日、翌々日もしくは1週間程度経つと、もっと行けたのではとの思いが胸をよぎる。後悔がジワジワと心を侵食してくる。
勿論、FBでゴールしている写真が次々とアップする中で、あそこにいたかったという思いは残る。でも、今は、勇気を出してリタイアしたことは後悔はない。

さて、ここで年齢を理由に諦めたら行けないのだ。
まだ、今の自分ができる範囲で挑戦すればいいのだ。
それは、100kmが70kmに減り、更に50kmやもっと減っていくことになるかも知れないし、ランでなくてウォーキングになるかも知れない。
でも、もう少しだけ、もう少しだけ、やってみたい、そして挫折しても、挑戦する心が生きるために必要なのかも知れない。
そして、何度、打ち負かされても、顔を上げて夢を見ることで僕はもう少し生きていける気がする。

次は、半月後に弘法大師の道を走ることになる。高野山の根本大塔を目指して。

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