ちょうどいいんです
先日畑であったおじさんに
「松山は住みやすいか?」
と聞かれた。
もちろん、自分たちで「ここに住む」と決めて引っ越してきたのだから、不満があろうはずもなく。
「最高ですよ」
と答えたのだが、おじさんは
「松山の一番いい時を知らんからなあ」
とやや不満げであった。
地元に長く住んでいる人たちは、みんな昔の方がよかったと言う。
敦賀でもそうだった。
海で会ったおじさん達はみんな
「昔はもっときれいだった」
と言ってたし、町で会ったおじさん達は
「昔はもっと賑やかだった」
と言っていた。
半分は「俺が知っているもっとよかった時のココを見せてやりたかった」という地元愛から来ているのだと思うが、こちらとしては、今も気に入っているわけで、そんなに昔を強調されても困る。
現状を気に入っている自分が、見る目がないみたいじゃないか。
「どこを気に入って、松山に決めたんや?」
とおじさんに聞かれたが、たくさんありすぎて挙げるとキリがない。
住み始めて、あらたに「ここが好き」と思えるところも増えているし。
一年中陽が射している。
多肉がよく育つ。
家賃がお値打ち。
海が近い。
山も近い。
適度に都会で文化的。
ライブも映画も、見たいと思えば松山で見られるものが多い。
県立図書館、市立図書館、大学図書館が揃っている。
適度に田舎で牧歌的。
見たい景色がたいてい見られる。
食べられるものが、あちこちに生えている。
島にもバイクと一緒に渡れるので、釣りスポットへのアクセスがいい。
本州にも九州にも近い。
大都会広島にも、船ですぐ行ける。
街から空港までが近い。
散歩して楽しい路地がたくさんある。
山と海の位置関係がわかりやすく、迷子になりにくい。
50万都市なのに病院が混んでない。
今パッと思いつくだけでもでもこれくらいある。
昨日は、そのうちの「見たい景色がたいてい見られる」を堪能してきた。
春先の私は、谷戸の風景に飢えているのである。
これを読む限り、「谷戸」とは関東にしかないように思えるが、要は山と山の隙間の開けたところのことだ。
川に削られてできた、細い扇状地の始まりのことだと思えばいいに違いない。
だとすれば、松山にもあるはずだ。
地図であたりをつけ、山間地の人がいなそうなエリアを探して走り回ってきた。
読みが外れたのは、私の思う「谷戸っぽい川」がないこと。
山が急峻すぎて川がすぐに海に達してしまうこのあたりでは、常時たっぷり水のある川というものが少ない。
家の近所の都市河川も、普段はくるぶしくらいの深さの水量しかないし。
なので、どうなるかというと、その川の水をためておく「ため池」があちこちに発展する。
湖みたいで素敵ねと思えば、思えないこともないのだけれど、実際は人口の池なので、ロマンチックさには欠ける。
しかし、この「ため池」の下流域には、期待通りの谷戸の風景が広がっていた。
山と谷と水田との織り成す、これぞ日本の春の景色。
最高だ。
ちなみに観察した結果、このさらに下流に行くと、おそらく水が届かないのだろう、水田が小麦畑に替わっていくのが見られた。
さらにおそらく。
輸送路としての水量豊かな川に恵まれなかったこのあたりの山は、戦後の植林ブームに乗っかれなかったのか、昔の植生がそのまま残っている。
つまり、スギやヒノキだらけの山ではない。
だから、春の山の緑が何色もある。
新芽の時期の山は、本来、こんなパッチワーク模様になるはずなのだ。
これこれ、これが好きなのよ。
ちょっと下りてみようかと、ため池の近くの湿地まで行ってみたら、見事にイノシシのぬた場になっていた。
一頭や二頭ではなさそうな、この足跡の数。
これが、町までバイクで10分ちょっとのところにあるのだ。
自然が近い。
とんでもなく近い。
ぬた場の周りには、満開のノイバラ。
人口が減って、イノシシだらけで、みかん山も放置されて、おじさんたちには良かったころの松山が消えてしまった、寂しい今なのかもしれないけれど、私にはとてもちょうどいい街だ。
こんなに濃密に春を味わっているのは、本当に久しぶりのことで、体中で喜んでいる。
**連続投稿828日目**
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