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ていねいじゃないように見えるけど、わかりやすい子育て

さて、これまで三回にわたって、ていねいな子育てをお伝えしてきました。

ていねいな子育て①  ていねいな子育て② ていねいな子育て③

繰り返しますが、私が伝えたいのは「効果的なマッチングの方法」です。
親が望むのは、こういうことだよ、望まないのは、こういうことだよ。
それをわかりやすく伝えるために、良いことは最大限に褒める、されたら嫌なことに対して 子どもにとってご褒美的な対応をしない。
ここを間違えない、という二点に絞って書きました。これだけでもかなり変わると思います。

さて、また極端な話を書こうと思いますが。皆さん、下の動画を見てどう思いますか?

おそらく、今の日本では、「なんて残酷な!」「暴力を推進する子育てだ」「この子が成長したのち、もし親の介護をする時が来たら同じことをするだろうな」「こんなのしつけとも呼べない、虐待だ」「心の傷になったらどうするんだ」と非難ごうごうなのではないかと思います。(ツイッターのコメント欄も、だいたい同じ論調の発言が多かったです)

さてここで問題。
数年前に、スマホのアプリで「鬼から電話」というのが流行っていて、見せてもらったことがあります。早く寝ない、遊んでいてお風呂に入らない、片付けない、などなど、日々、子どもに どれだけ誠心誠意伝えても、わかってもらえないと嘆くお母さんたちに、このアプリは効果絶大で「鬼に電話するよ!」というと、子どもたちはあわてて言われたことをしてくれたそうです。
これについて「残酷だ、私は絶対つかわない、恐怖でコントロールしなくても子どもは育つ」と断言できる(過去に一度もこの手の対応をしたことが無い)お母さん、手を挙げて!!

ゼロではないでしょうが、数は少ないと思います。
それは、あなたの子育てが上手だったからではなく、子どもがたまたま手のかからないお利口さんだった、という事でしかないと思います。
あなたが、顔をしかめて眺めている物わかりの悪いお子さんが、もしあなたのお腹に宿っていたら、目の前で途方に暮れているお母さんと同じように疲れ果て、恐怖によるコントロールを試みていたことでしょう。

うちの下の子は、幼稚園の入園直前までおっぱいがやめられませんでした。
七つ違いの姉がいたので、授業参観、懇談会と、赤子連れで参加する機会も多く、万能のおっぱいに頼りまくっていた結果でもあるので、まあ、言ってみれば私の怠慢です。でも、さすがに四歳ともなると、乳は干からびるし、寝かしつけに時間が取られるのも痛い、という親の都合で断乳を試みることにし、そのとき、がぶどんという架空の怪物に登場してもらいました。旦那が、ライオンのような覆面を付けて「がぶ、がぶー、がぶどんー♪おっぱい飲んでる子は、どこにいるのかな?」とやって来るだけなのですが、これが効果絶大で、彼は無事、おっぱいを卒業できたわけです。数年後、クローゼットにがぶどんの覆面を見つけ「がぶ、がぶー」と喜んでかぶって遊んでいたので、さほどショックもなかったのだろうと思っています。

心の傷って、見えません。
もしかしたら、彼の心の中には、がぶどんにより、無理に大好きなおっぱいから隔絶された傷があるのかもしれません。が、そんなことは、わかりようもない。わからないことを、気にしてどうする?そこまで子どもの心ってよわっちくて、やわやわで可塑性もないものなのか?それより今の快適さを優先して何が悪いの?と思う私が確実に、その時存在していました。
今もいます。
長びかせてこじれるより、スパンと確実に困っている行動をやめてもらえるなら、そっちの方がよほど「心の傷になるような発言をしなくて済む」と思ってます。親の我慢にも限度がある。そんなの当たり前です。菩薩じゃないんだから。

という目で上の動画を見直してみると、何しろ撮影者が笑っている。虐待現場を目撃しながら、無理やり撮影しろと言われているわけじゃなさそうだし、子どもも、ぽかんとしながらあっけにとられて離乳食を食べている。
あの手この手で一時間かけてでも、ご飯を食べさせることに命を懸けたい人はそうすればいいと思うし、そうじゃないなら、これもアリじゃん?というのが私の正直な感想です。この子が本当に食べたくないなら、吐くなり、泣くなり何らかの意思表示はしていると思うので。きっと「いやいやと駄々をこねることで、長引くコミュニケーションを楽しみたかった」あたりが、この子の本音なんじゃないかと思います、知らんけど。

日本の昔話って、悪いことした人はとんでもない目に合わされている物が多いと思います。かちかち山では、タヌキは、畑で豆をまくおじいさんにむかって「爺様のまめ片割れになれ」とからかっただけなのに、狸汁にされそうになり、うまいこと逃げても結局泥船で川に沈められ溺死。(まあ、でもタヌキはおばあさんを殺害しているので、これは仕方のない報復)
こぶとり爺さんの、隣の家に住む反対の頬にこぶのある爺さんは、自分のこぶも取ってほしかっただけなのに、鬼たちに踏んだり蹴ったりの目に遭って、おまけに人のこぶまでくっつけられる。
おむすびころりんでは、同じように、ねずみたちにおむすびを与えたはずなのに、化け物が入ったつづらを土産に持たされて散々な目に遭う。
全部、恐怖を用いた倫理観形成のしつけでしょう。良い人にはいいことがあるよ、悪い人には悪いことが起きるよ、というね。

多かれ少なかれ、恐怖によるコントロールを使うシーンは、必ず子育てしていればあります。断言してもいい。
でも、「それしか手段を持たない」から虐待に発展するし、「それしか手段を持たない」から子どもは、大いに傷つけられて親を恨むのです。
恐怖を使うコントロールは、たまに使うから効果絶大。毎回やってたら、脅しがきかなくなるので本当に手を挙げたり人格を貶めるような暴言をいったりという、暴力に移行していくのだと思います。

選択肢の一つとして、恐怖によるコントロールをしつけに使える、使いこなせるとしたら、それは、スキルと呼べるのではないでしょうか?
長々説得して、泣かせて、こじらせて、お互い疲弊する毎日より、鬼から電話がきて寝てくれるなら、そんないいことないじゃない?と私は思います。

自分の育児を自分で否定しない。自分を責めすぎない。
親の罪悪感ほど、子育てに悪影響なものはありません。
やりすぎた、と思ったらごめんと謝る。そして、どうしたらよかったのかを考えたり、できれば子どもと話し合ったりできるといいですよね。そもそも、話し合いが成立するとは思えない、二、三才児を対象に考えているので相当な難題だとは思ってますが。

(ちなみに、今回ABAと全く関係なさそうに見えるでしょうが、嫌子を使った行動の弱化、という意味では、ABAに適っているともいえましょう。たぶん、本家の先生方は、もっと良い方法をご存じなのだと思いますが。わたしゃ、最短で効果があるなら、それもよし派です。泣かせる時間は短ければ短いほど良いと思っている。)

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