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パンフレットから読み解く、トトロ2ではなく『君たちはどう生きるか』だった理由

パンフレットの長編企画覚書というページにこう書かれている。

われわれの映画は、どんな状況下のどんな気分の人々に出会うのだろう

続く言葉に選択肢として2パターンの映画が提示されている。

一、戦争が始まったら作ることに意味が出る、うんと平和なトトロ2のような映画
二、戦時下を舞台にした映画

長編企画覚書の末尾には2016.7.1と記されている。今から7年前だ
ジブリ映画を語るのだから政治や宗教の話は敬遠しよう。読者はそんなことを求めていない。少し昔まではそれが当たり前だった。

今は違う。宗教と政治の蜜月の関係、政治と様々な団体の癒着が日本を新しい戦前とも言える方向に進めてきた。
まだ報道の精神を失っていない人達が報じてくれる。そしてSNSで拡散される時代だ。
でも、二極化していると思う。

宮崎駿も戦争体験者として今の日本の状況を7年前から鋭く見ていたはず。


トトロ2と戦時下を舞台にした映画、この2つを提示されると『火垂るの墓』と『となりのトトロ』の同時上映を連想する。

1988年 高畑勲は火垂るの墓を、宮崎駿はトトロを世にだした。
火垂るの墓を見ると疲れる。色んな感情がぐちゃぐちゃとかき乱される。単純なNo more war!だけではない。戦争を生きて、死んだ2人の人生を追体験して、いろいろと考えさせられる映画。

重くて熱くて怖くて血生臭くて人間臭くて。直視出来なかった人がほとんどだと思う。
古き良きトトロの世界に浸りたかった人が多かったのだと思う。


「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョとなりの山田くん」「かぐや姫の物語」高畑勲はメッセージ性を強く持った、儲からない無垢な映画を作り続けてきた。
その後ろ姿を常に見ていた宮崎駿は高畑勲を特別な存在として認めていた。

高畑勲はもういない。このような背景から考えると、宮崎駿は最後の作品としてトトロ2ではなく『君たちはどう生きるか』をつくることを決断した理由が心に染みる。

公開時にこの映画を見る人たち、特にジブリ映画を見て育った世代を信じた。

戦前に書かれた『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の中で大切にしまわれていた。
それを(映画)として私たちにバトンタッチしてくれたのだと思う。


火垂るの墓のバトンを受け取れたか? 当時の大人には難しかった。
「われわれの映画は、どんな状況下のどんな気分の人々に出会うのだろう」
戦時下を舞台にした映画を受け取ってくれると信じている。大人はダメだった、子供にしか伝わらない。でも君たちはもう大人になった。そう言われた気がします。


人は戦争と融合を繰り返してきた。農耕と共に生まれた組織的な戦争は「村vs村」からどんどん拡大し、時に分裂して縮小し…
行き着いた先は核兵器を突きつけあった最終戦争だ。新しい戦前は最後の戦前かもしれない。
戦争をやめさせ世界に平和をもたらす救世主なんかいない。誰しも悪意を持っている。
カリスマ性のある個人にすがろうとする大衆は雨ごいの為に生贄をささげる人たちと何も変わらない。


上級生からの暴力を恐れて仲間を裏切った自分を認めて、自分の言葉で謝罪したコペル君。
悪意によって自分を傷つけ、大叔父にその悪意を正直にさらけ出した真人。
生命とは闇にまたたく光だと言い放ったナウシカ。
悪を未熟さであると言い換えて、自分自身の中にあるものだと認める事ができ、誰かに依存せず自分の足で立って生きていく。
そういう人が自由に対等に繋がりあった社会は戦争っていうものを卒業できるかもしれない。

ここまででパンフレットの読み解きはおしまい。自分で考えている人には伝わる。それで十分。

トトロは実は怖い話で途中から影が無いでしょ!とか、
大叔父は誰を比喩していて、オウムは何を比喩していてとか。
そういう表面的な推理ゲームだけを求めている人には、火垂るの墓の人間臭さを自分の中に見つけることはできない。

いろんな角度で解釈できるように巧妙に作られた万華鏡のような映画だから
誰かの解釈を聞いて満足するんじゃなくて、
その人が自分の目でこの映画のところどころに、人間らしさを見つけることに意味があって、私はどう生きるかを考えるきっかけになる事が製作者の皆さんが期待していることなのかなと思う

私はカルト宗教から這い出す過程で、どう生きるか? に自分なりの答えを見つけた。見つけたから這い出す事ができたのかも。
死を直視することがきっかけだった。知り合いの二世の首つり自殺、教会の窓から飛び降り自殺、愛する人の死、自分自身の死。
だからこそ生きる事に自分で理由を決めることができた。死に向かってどう生きるかを表現し続ける人生だし、とても時間が足りないと思っている。

「君たちはどう生きるか」この映画に謎なんてない。
私がこの映画を事前情報なしに見たときに、最初のシーンが戦時中だったからこそ安堵感を持って映画に没入できた。
漫画版 風の谷のナウシカのラストシーンを最後に映像化してくれた事に涙をこらえるのがやっとだった。
「私はどう生きるか」をたくさんの人がテーマとして持てると良いですね。


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