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「君たちはどう生きるか」は考えることをやめた人には分からない

宮崎駿の映画には物語の中を飛び回る爽快感とか、かわいい欲望とか、大人には説明できない何とも言えない不安とか。


子供の心が踊る要素が、おもちゃ箱みたいに散りばめられています。


そんな映画を見てきた私たちは大人になりました。

「君たち」はどう生きるか


「君たち」は誰を指しているのでしょうか?
今までのジブリ作品を見てきて育った私たちだと思います。
高畑勲のストレートなパンチを受けて考えさせられ、宮崎駿が作り出す世界に迷い込んで冒険を乗り越えてきた私たち世代が、この映画を心から読み解けるんだと思います。


あのシーン、あのセリフ、あの小物、あの恐怖、子供の頃にジブリ映画で心を踊らせた古い記憶を宝箱にしまったきり、忘れていました。
この映画を見ると、その宝箱を脳の奥底から無理やり引っ張り出されて
頭の中に、これでもかとぶちまけられます。


メイを見つけてお母さんの笑顔を見届けたし、王蟲から人々を救ったし、心に秘めた恋をして、バルスと叫んで悪を粉砕し、デイダラボッチに命懸けでごめんなさいって言えた。ワルの自由奔放さに憧れてもみたり。

散らかった記憶を脳のあるべき場所に片付けても、それを超える勢いとテンポで次から次へと引っ張り出されます。
豚に化けた宮崎駿が脳みその宝箱を全部ひっくり返してるみたいな感覚です。そしてニヤって笑ってる。
これが80代の老人かって、でも宮崎駿だけじゃなくスタジオジブリの皆さんなんですよねたぶん。


アニメーション作りに関わってきた童心を忘れていないじーさんばーさんたちが みんなで寄ってたかってジブリ世代の脳みそをぐちゃぐちゃに引っ掻き回して笑いながら逃げていく。そんな映画だと思います。

君たちは「どう生きるか」

「どう生きるか?」子供の頃つかみかけていた答えがあったはずなんです。もう忘れてしまったかもしれません。
考えることをやめてしまった人は
いつの間にか感じることもできなくなってしまいます。年収とか学歴とか社会的地位とか物の値段でしか物事を感じることができなくなってしまっています。


「どう生きるか?」と問われたら金のためさ、愛のためよと口先だけで答えて日常に戻ってしまう。皮肉なことにカルト宗教信者の方がまだ、虚構のなかにドラマチックな日常を送っているかもしれませんよ。
「どう生きるか?」この問いかけはただの会話じゃないんです。これからの行動とか、その行動が連なった生き様が答えなんだと思います。



意味の無い労働と大量生産の食事、そして余った時間はスマホを眺める。
あらためて子供の頃の自分になって考えるべきなのかもしれないと思いました。「どう生きるか?」


私たちの日常の中にも迷っている子がいて、悪意を振りかざす人がいて、権力にしがみついて醜くブクブク太った哀れな王がいて。
ジブリを見てきた世代は立場や考え方は様々ですが、みんなが主人公だと思うんです。


アシタカのように自分自身の腕が呪いに食い潰されそうになりながらも
立ち向かわないといけません。
倒すべき相手は自分自身なんですよね。地位とか権力とか金に食い潰されながらも…最後まで飲み込まれずに、次の世代にどんな物語を残してあげられるか、なのではないでしょうか。

君たち「は」どう生きるか


あらためてタイトルを読むと変な文章ですよね。まるで英語の授業で出会う
l have a pen.
みたいな。私はペンを持っていますなんて一生言うことはないセリフです
どういうシチュエーション?
「私は」を敢えて言うなら「あなたは」がセットになりそうですよね。

「私たちはこう生きた 君たちはどう生きる?」
原作もコペル君の成長を見届けられずに亡くなった父親が、おじさんに託した「私たちはこう生きた、君たちはどう生きる?」というストーリーテリングと問いかけのセットなんだと思うんです。


私は風の谷のナウシカに勇気づけられ、宗教二世という生い立ちを自分の中に受け入れて前に進む力をもらいました。
いつしかナウシカは私のバイブルだと言うようになりました。
https://note.com/morusuko/n/nb200b2e14d22
「君たちはどう生きるか」はひとつの映画としても大傑作だと思います。だって、私はずっとナウシカの原作を映画化してほしかった。でもマンガだからこそ表現できるものであって、2時間のアニメーションには収まらない。


層になった世界を旅して、俯瞰して見た時に世界の成り立ちを知ってしまう。
そして最後のシュワの墓所で、生命は光であるという言葉に毅然と「生命は闇に瞬く光である」と返すナウシカ。
この禅問答のようなシーンに意味を持たせるためには「人間らしさとは?」を問いかけ続けないといけません。
そのためには虚構であっても人間の成り立ちを壮大なスケールで描き、そこに生きる人々の内面までを細かい解像度で表現しないといけません。


延々と繰り返している壮大な世界とその中にひとつの分子として存在している人間らしい自分。
子供のような自由な心を持ち続けたまま、この壮大な人生を味わう勇気のある人間なんて実はとても少ないのかもしれないですね。

そんな勇気を持てず、ナウシカを信奉してすがっていたのは蟲使い達だし私自身もすがっていたのかもしれません。

「君たちはどう生きるか」の骨格はナウシカの原作と似ている気がしました。たぶん見る人によって万華鏡のようにいろんな見え方があるんだと思います。

絶妙なバランスで積み上げられた13個の無垢な石にはいろんな解釈があるとは思います。
商業的な成功と、伝えなきゃいけないことの絶妙なバランスのような気がします。


宮崎駿監督作品の13作品目が「君たちはどう生きるか」
自分が人生かけて作ってきた作品を次の世代が自立するために壊す勇気は
ナポレオンすらも道を踏み外して歩めなかった「王道」なのかなと思います。


老人は経験の中に生きる。孫の笑顔の先に自分の我が子の笑顔を見ている。

もういいよ。分かったよ大丈夫だよ
化けて出るなよって言ってあげよう

私たちはどう生きるか
見て見ぬふりをするのか
正しい道とは何か。悪意の存在を未熟さと捉えて自分の中に受け入れて
それでも立ち向かう強さとは何か。日常のちょっとした行動で表現していきたいと思わせてくれる作品でした。



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