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鹿島槍ヶ岳(東尾根〜赤岩尾根)


忘れられない、山行になった。


Day 1

出発地点となる大谷原の駐車場には、すでに3台の車が停まっていた。2泊3日の予定で東尾根から鹿島槍ヶ岳を目指し、赤岩尾根を下りる。東尾根にあがる取り付き以降、トレース(*1)といばカモシカの足跡のみで、人の気配が全くなかった。他の車も停まっていたし、連休2日目だし、と内心ちょっと、いや正直かなり期待していたのだけれど...。

冬山では、先行トレースがあるかないかで、歩くスピードや体力の消耗度合いが大きく変わる。背中には、テントやロープなど山で数日過ごすために必要な装備を詰め込んだザック。自分の体重とそのザックの重みで、一歩踏み出すたびに、足は虚しく雪の中に埋もれていく。はじめのうちは脛の真ん中あたり。少し深いところになると膝くらい。沈んだ足を持ち上げ、次の一歩。沈む。持ち上げる。沈む。持ち上げる...。すぐに身体が火照りはじめる。しんどいけど気持ち良いなぁ! このときはまだ、景色を愛でる余裕があった。 

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夏場は植生を守るという意味でも、また単純に歩きやすいからという理由でも、登山道がある場合はそこから外れずに歩く。しかし積雪期は、極端にいえばどこでも歩くことができる。鹿島槍ヶ岳の東尾根には、目印となるような赤いテープや道標がない。雪庇(*2)に細心の注意を払いながら、雪崩のことも頭に入れつつ、安全かつ最短と思えるルートを選んで進む。考えながら歩くから、体も頭もエネルギーを使う。普段どれだけ登山道やトレースに頼りきりなのかがわかった。ふり返れば、真っ白な雪原にのびる1本の道。山に登るたび、「人の足ってすごい」と何度も思う。

なかなかスピードが出ないまま、一ノ沢ノ頭に着いたのは出発してから8時間後のことだった。日の入りまではまだ時間があったため、進もうと思えばもっと先へ進めたけれど、相方もわたしも少々疲れていた。一ノ沢ノ頭を本日の幕営地と決め、テントを設営した。
時折、強い風が吹くことがあったが、テントの中に入ってしまえば暖かいと感じるほどの穏やかな夜。調理や飲用に、雪を溶かしてお湯をつくっていると、思った以上のペースで燃料のガスがなくなっていった。2泊3日の行程を思うと少し心もとなくはあったが、この時点ではまだ「節約して使えば大丈夫だろう」と深く捉えなかった。このことも後々、自分たちを追い込むことになる。温かいご飯を食べ、ぬくぬくとした寝袋に潜り込む。翌朝は3時15分起床と決め、この日はぐっすり眠った。

(*1)トレース...踏み跡のこと。
(*2)雪庇(せっぴ)...稜線上で、風下側にできる雪の庇(ひさし)。屋根のようにせり出している。雪庇の下は空洞になっているため、踏み抜くと滑落する恐れがあり危険。

Day 2

3時15分起床。朝ごはんはラーメン。朝からラーメン。スープまで残さず飲み干す。日中の行動時に飲むためのお湯をつくり足し、着替えてテントを撤収して、などとしていると、あっという間に2時間が経った。

5時20分行動開始。稜線を歩きはじめてすぐ、行く手を阻むような垂直の雪壁があらわれた。高さは2.5mほど。片側は完全に切れ落ち、わたしたちが登ろうとしている側も、その雪壁の下には急斜面が続いている。アイゼンを蹴り込み足場をつくって登ろうとするが、ザラメのような雪は蹴り込んだ側からザラザラと崩れてしまい、体重を乗せて上にあがることができない。先頭を歩いていたわたしが何度かトライするも、背中のザックの重みで後ろに引っ張られそうになり、瞬間身体がギュッとこわばる。あれこれ想像しはじめると思いきった動きができない。

この時点でわたしは、相方に撤退することを提案した。普段なら、どちらかといえば撤退よりも前に突っ込んでいきたい派だ。だけど前日のスピードの遅さ、この日も歩きはじめて早々にこの雪壁。先を思うと気が重かった。一ノ沢ノ頭まで8時間もかかってしまった時点で当初の計画から大幅に遅れているし、たとえこの雪壁を越えたとしても、行程的にはまだ始まったばかり。岩峰も含めさらに危険な場所が出てくる。先日大雪が降った斜面を、ラッセル(*3)要員2人だけで進んでいくのは日程的にも厳しく、テクニカルな部分を切り抜けるにも時間がかかり過ぎるだろう。

だがこの日の相方は、山に身体が馴染んできたのか、昨日とは打って変わって元気だった。「ザックは後から引き上げることにして一回登ってみて良い?」── ハーネスをつけロープを結び、念のため近くの潅木をつかってビレイ(*4)する。何度目かのトライで登れてしまった。それでもわたしが渋い顔をしていると、このままちょっと先まで行ってこの先の道は大丈夫かどうか見てくるという。ちょっと行って見通せる範囲なんてたかが知れている。相方はとにかく前に進みたがっていた。わたしだってもちろん先に進みたい気持ちはある。だけど...。迷いはあったが結局雪壁を越えて、先へ進んだ。

第一岩峰を登るころから次第に風の強さを感じるようになった。続く第二岩峰も荷物の重さに苦戦しながら越えた。クライミングシューズを履き身ひとつで登るのであればなんてことない岩壁も、冬靴にアイゼンをつけ、背中に20kg近くの荷物を背負った状態だと、重心が後ろにずれ、上手くバランスをとることができない。まずわたしがビレイし、相方が先に空身で登る。次に相方の荷物を引き上げ、最後にわたしが上からビレイしてもらいながら自分の荷物を背負ったまま登る。言葉にするとたったこれだけのことなのに、ここでもかなりの時間を要してしまった。

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この日は第二岩峰を登りきった平らな部分に雪穴を掘り、さらに雪のブロックで風除けの壁を作りテントを設営した。相方はまだ飄々としていたが、わたしは急斜面のトラバースや登攀で緊張状態が続いたため、精神的に疲れていた。あと1日で降りられないかもしれないという考えが頭をよぎるが、まさかと打ち消す。2人とも下山予定日の翌日から仕事だった。
わたしたちは2人で山を歩くと「足が早いね」「体力あるね」と言われることが多かった。「それなのに今回は、1日に移動できる距離が想定していたよりも短いからまずい」とは考えずに、「だから今回もきっと大丈夫だ。このあと取り戻せる」と考えた。完全に調子に乗っていた。己の認識の甘さを、翌日いやというほど思い知らされる。

相方の意識が180度変わったのは、夜中の1時。風の音でふと目を覚ましたわたしは、何かに頭や肩を押されていることに気づいた。嫌な予感がする。予報通り夜半過ぎからの風雪で、テントが半分ほど雪に埋もれて側面が圧迫されていた。相方も目を覚ます。「これはまずい」すぐに起きて雪かきをしてくれた。外は氷点下10度以下。風が強いため体感温度はさらに低い。そんな状況のなか寝袋から出て外に行く準備をして靴を履いて...わたしなら1時間前から気持ちをつくり覚悟を決めないとできない。それなのに相方は、このとき何のためらいも見せずすっと動いてくれた。わたしは暖かい寝袋の中から尊敬の眼差しで彼を見送った。雪かきを終え戻ってきた相方とともに、今後の天気予報をあらためて確認する。翌日は吹雪の予報。東尾根の核心と考えていた岩峰は越えたものの、北峰から南峰へ向かう稜線など、ルート上にはまだ危険な箇所がある。いつもなら布団に入ったら3秒で寝る相方が、情報収拾の結果、「不安で眠られへん」と言い出す。時刻は午前2時。わたしは猛烈に眠かった。今さら焦っても仕方がないし、どうせあと1〜2時間後には起きないといけない。とにかくいまは寝よう。
「こんな状況でも寝息を立てながら眠るあなたを見て安心した」などと言って、そろそろ起き出す時間になって相方もまどろみはじめた。

(*3)ラッセル...雪の中をズボズボとかき分けながら進んでいくこと。体力の消耗が激しいので、複数人で行く場合は先頭を交代しながら進む。たまに「ラッセル大好き!」ツワモノもいる...らしい。
(*4)ビレイ...ロープを使って登る際に、登る人の安全を確保するためにおこなう。万が一落ちた際、その落下を途中で止める。

Day 3

風が強い。雪が四方に舞っている。が、朝の時点では10m〜20mほど先までは見通すことができた。気合いで寝袋から這い出し、出発の準備を整えテントを撤収する。雪は深いところで膝〜腿くらい。ときどき強風で柔らかい雪が吹き飛ばされ硬くしまった雪面が出てくる。歩きやすいが、その分アイゼンも浅くしか刺さらないため、トラーバスは神経を使う。1時間半ほどで北峰に到着。時刻はまだ9時前。ここから南峰を経て冷池山荘〜赤岩尾根と下山予定だったが、北峰に着いた時点で風はさらにひどくなっていた。細い氷のような雪が容赦無く顔を叩く。まつ毛が凍る。垂れ流しの鼻水が凍る。自分の呼気に含まれる水蒸気のせいで、顔前に落ちてきた髪の毛も凍る。南峰へ向かう稜線が全く見えない。何度か行っては引き返し、地形図を見て方角を確認し、再度進もうとするが崖のようなところである。数m先の視界も怪しくなってきた。

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一旦冷静になろうと、ふたたび北峰に戻り、スノーフライ(*5)を被って風を凌ぎながら、これからどうするべきか話し合った。身体は冷え切っていたが、オレンジ色のスノーフライをかぶると、守られているような安堵感があった。風を避けるものが何もない場所で止まるとき、ツエルトやスノーフライ、テントなど、ただ被るだけでも全然ちがうとはこのことだったのかと実感した。この状況で下手に動くと滑落の恐れも、道迷いによる遭難の可能性もある。来た道を戻り、テントを張ることができる場所を探してビバーク(*6)することにした。時刻はまだお昼前。度重なる判断ミス、認識の甘さ、準備不足。反省ばかりの山行となったが、このときの決断だけはよかった。

ほんの数メートル先が見えない。暴風のなか、できる限り深く雪を掘ってテントを張った。ガスの残量が不安だったけど、気持ちを落ち着かせるため、お湯を沸かして温かい飲み物を飲んだ。この山行中、これが最後の温かい飲み物となった。

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幸い電波が入ったため、職場や下山予定日を伝えていた家族と友人に謝罪と現状報告の連絡を入れた。自ら山に入り自ら招いた事態。「あの時、あの時、あの時...」すべてが遅すぎる反省と後悔の念。迷惑や心配をかけてしまっているのに、下界から届く温かい言葉に、張りつめていた糸が切れそうになる。泣きたくない。泣くなら無事に下りてからだ......気持ちとは裏腹に溢れ出てくる涙を、フリースの袖でごしごしと拭った。電池を節約するため機内モードに戻す。「大丈夫だ、大丈夫」「2人とも、まだ体力も気力もあるから」「絶対に帰ろう。帰ったら温泉ね」「トンカツ食べたい、まずはコンビニで温かいお茶が飲みたいなぁ」あえて口に出した。夜ご飯は湯を沸かすことをあきらめ、チョコやナッツ、ポテトチップスなどの行動食でやり過ごした。
日が落ちて外が暗くなった。着れるものはすべて身につけ寝袋にくるまっていても、体が小刻みに震える。「このまま低体温で動けなくなったらどうしよう」「いや、絶対に下りる」浅い眠りを繰り返した。寝袋の外側やザックなど、テントの中のものも凍りついていく。

(*5)スノーフライ...冬場にテントを張る際、風や雪の侵入を防ぐためいちばん外側に被せる。保温性と耐風性に優れている。
(*6)ビバーク...予定通りに下山できず、緊急に夜を明かすこと。

Day4

午前6時。テントの中に朝陽が差し込んできた。無理をせず、外が完全に明るくなってから歩き出そうと決めていた。これまでのことを考えると、下山まであと2日はかかると覚悟していた。朝ごはんはカロリーメイトを1本ずつ分け合って食べた。温かいものが飲みたかったが、この日のうちに降りられない可能性が高い以上、水をつくるためガスは残しておく。

テントから出ると、すごい景色が広がっていた。

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こんなところにいたのか。

協力してテントを片付ける。アイゼンを履く。指先がかじかみ、一つひとつの動作にいつもの何倍もの時間がかかる。

眩しいほどの快晴だったけれど、頂上付近は風速25m/s前後の爆風で気温は氷点下18度。本来なら動くべきではなかったと思う。しかし、食料もガスも残り僅か。風向きと登山道の位置的に、谷底に落とされる可能性は低いと判断して進むことにした。南峰へ向かう稜線上には雪煙が空高く舞っている。

風下に顔を向けてもうまく呼吸ができないほどの爆風は初めてだった。吸うこと吐くこともままならなくて、喘ぎながら、驚いていた。こういうことなのか。風速25m/sってこういうことだったのか。どんどん気力が削がれていく。それでも、晴天に救われたのだと思う ─── 風が少しでも弱まる岩陰で、何度も呼吸を整えながらじりじりと進む。やっとの思いで南峰に着いた。堪えきれずにその場にしゃがみこむ。水を数口含むと呼吸が楽になった。ピッケルを握っていた指先はジンジンと痛み、写真を撮る余裕はもうない。このままずっとこの風が続くとしたら・・・「頑張れ。頑張れ。負けんな」と思っていた気持ちが「もう楽になりたい」に傾きそうになる。

このまま山頂にいても体力や体温を奪われていくだけなので、喝を入れ、反対側へ降りはじめた。すると、風が少し弱くなった。助かった。もうあの風は経験したくない。アイゼンやピッケルはただの道具ではなく、命を守るための道具なんだ。

ギリギリの思いで一番の危険箇所を通過したら、目を見張る景色が広がっていた。鹿島槍ヶ岳から爺ヶ岳へとつづく稜線。その稜線をぐるりと取り囲むように連なる真っ白な山々。深い濃い空。太陽が体を温めてくれる。なくなったと思った元気が、もう無理だよと思っていた気力が、不思議と、湧いてくる。もう、なんの涙かわからなかった。いや、わかってる。不甲斐なさ、申し訳なさ、安堵、どれも全部そう。でもこの瞬間は、南峰を越え爺ヶ岳へとつづく稜線を歩いていたこの瞬間は、足りないものはなにもなかった。この景色と出逢うために、山に、登ってきたんだろう。「有り難い」稜線を歩いているあいだ、ずっとこの言葉が心にあった。

南峰を下っている途中、初めて人の足跡を見つけた。「おお!」ただの足跡なのに、なにか尊いものを発見したような心持ちになる。遠目に見ると雪のつきかたから夏道の跡がはっきりとわかった。風もおさまり、固く締まった地面はラッセルの必要もない。この日の目標にしていた冷池山荘(今シーズンは冬季小屋も閉鎖中)まで、良いペースで歩くことができた。午前11時、冷池山荘に到着。休憩をはさみ、このまま赤岩尾根を下れるところまで下ることにする。

冷池山荘から数十メートル登り返すと道標があり、ここから東にそれ赤岩尾根へ入っていく。トラバース気味に下りていくと、今度は稜線上にはっきりとしたトレースがついていた。途中、数メートルの雪壁があったが、アイゼンやピッケルがしっかり効いたので、ロープは出さずにバックステップで慎重に下りる。さあ、あとはとにかく一歩ずつ前へ。背後には堂々とした鹿島槍ヶ岳がいつまでもあった。
午後4時、大谷原の駐車場に到着。無事に、降りてくることができた。手袋を外すまで気がつかなかったが、相方は両手の小指が黒ずみ、凍傷になっていた。下山の翌日から毎日病院で血管を広げるための点滴を受け、いまは順調に回復してきている。

無事に降りてくることができたから言える「いい経験になった」。このタイミングで痛い目にあったことの意味を噛みしめる。
一つひとつ振り返ると、避けることのできた事態のはずだった。計画段階でビバークも想定して日程を組み、十分な燃料や食料を用意していたら、おそらくあんなに追い込まれることはなかっただろう。周りの方に心配と迷惑をかけてしまった。自分たちでどんどん状況を悪化させた。何度も判断を間違えた。途中でそのことに気づき、そこから最善の道を探った。起こしてしまったことと起きてしまったことは変えられないから、せめてこの山行で学んだことを忘れないようにしたい。

自分のことを冷静に俯瞰することができなければ、山ではきっと生きていくことができない。わたしは見えている「つもり」になっていた。今までたまたま大丈夫だっただけなのだ。それに気づけて、気づかせてもらえて本当によかった。

見たい景色がある。その景色を、伝えたい人がいる。どうやって叶えられるかまだわからないけれど。

あの日わたしはテントの中で凍えながら「もう、こんなハードな登山はいいかな・・・」とたしかに思ったのだった。でも、心が、身体が、どうしたって山に向かっていく。だから、せめて、いのちだいじに、生きるために山に行こう。日常と非日常の有り難みをしっかりと抱きしめながら。



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