デモと迷惑

バイデン政権がイスラエルへの弾薬輸送を停止すると報道があった。アメリカではいま大学や街中で大きなデモが起きてる。ふとこの前会った人に言われた言葉を思い出した。「村本さん、イスラエルに対するデモするのは勝手にしてくれたらいいんですけど、道塞いだり、関係ない人たちに迷惑かけるデモってなんですか?」と。友達の大学の教授に迷惑とデモに対してLINEを送ったら返信が来た。

「デモはそもそも迷惑をかけることを目的にしているものではないが、反復している日常しか見ない人が、迷惑をかけないと、目を向けてくれないだと思う。だからデモは一種、日常を撹乱するための装置でもある。関係ない人がいないから、目を向けさせる必要があるだろう。もちろん、迷惑をかけすぎると、反発だけを喰らうので、作戦が大事だろう。問題はメディアの報道。今回はあまり良くない。イスラエルに対してかなり批判的になっているにも関わらず、デモしている学生が反ユダヤ主義者だというレッテルをはりがちだ」

「反復してる日常しか見てない人たち」

たしかに、と思った。彼女が壊されてるのは自分の反復している日常だ。いつもすんなり通れる道が通れなかったと言う自分の日常。 一番最初の座り込み運動は当時、アメリカの南部の黒人の人がカフェに行ったら黒人にはコーヒーは出せないと言われその店の椅子に閉店が過ぎても座り込みをした人だと聞いたことがある。当時の反復する日常を送っていた人は思ったと思う。「抗議するのはいいけど、店の閉店後に清掃する人に迷惑をかけちゃダメだよね」と。

シカゴの学生やニューヨークのコロンビア大学の学生たちも逮捕者が出たと聞いた。爆弾がひとつでも止まれば、巡り巡って、たくさんの人の命は助かると思う。


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