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「犠牲」がなんなのか知りたくて福島県双葉郡浪江町に行った話

Yahoo!ニュースにYahooトピックスがある。いまみんなが気になってるニュースのランキングだ。それはラインニュースにもある。前から気になってたことがある、それは例えば沖縄で米兵が犯罪を起こす、例えば被災地の原発のニュースがある。それらはその日一気にランキングのトップまで上がる。だけど翌日には消える。

有名芸能人の不倫ニュース、飲酒運転のニュースはずっとランキングの上位に、安倍総理が「悪夢の民主党政権だった」と発言し、それに対して野党が「撤回しろ」と言ったニュース(おれから言わせりゃそのやりとりを大の大人から見せられる方がよっぽど悪夢だわ)もランキングに入り続ける。それはアクセス数の高いものが上位に入る。前に田原総一郎さんに僕が「なぜテレビは沖縄のニュースをもっとたくさんやらないんだ」と聞いたら数字が取れないから。と言われた。

沖縄の人とそれに関心がある少数しかアクセスしない、原発事故関係のニュース、原発がある地元の人とそれに関心がある人しかみない。だから一瞬はランニング上位にあがるけど翌日にはランキングから消える。僕は無関心でいることの罪の意識を感じてる。基地がある地域に関心がないことへの罪悪感、原発がなんなのかも全く気にせず、福島の事故があっても、薄っぺらく「たいへんそう」という感想がでてくる罪悪感。

ご飯を食べるときにも感じる、おれが牛を自分の手で殺して子牛も殺してたら「ごめんなさい、ありがとう」をいまよりも思いながら心からの「いただきます」が言えるんだろう。でもいまはポーズでいただきます、を言ってる。

当たり前のことを言うけど僕らは原発の町、基地の町、安いファストファッションの服を製造してくれてる国、チョコレートを食べたことのない子供がチョコレートのカカオを学校にも行けず、栽培してくれてること、当たり前でみてるニュースは戦場に命がけでいくジャーナリストが取ってきてくれ、様々な犠牲、いや「代わりにやってくれてありがとうございます」の上で生きてる。そんなことはみんなわかってる、でもそこを凝視しようとしない。みたいものしか見たくない。どうしたら見たくないものを見せれるのか考えたことがある、シリアから逃げ出した難民の写真集を作り難民の人たちの空いてるスペースに美女のおっぱいの写真を合成で貼り付けたらついでに、みるのでは?いやそれは違う、なぜならおっぱいだけみて写真集を閉じる。

てか、それなら別のおっぱいの写真集を買うだろう。「知る」と「知るきっかけ」を想像し作ってアプローチ。犠牲とはなんだろう、「犠牲者」って言葉と同じでネガティブなイメージがついてる。死ぬことはネガティブで生きることはポジティブなイメージがついてるのと同じで。言葉にべったりイメージが染み込んでるから言葉ってのは扱いが難しい。

犠牲とは?なんだろう。犠牲に感謝してたら原発、基地のニュースはランキングのトップに上がり続けるだろう。想像力か?沖縄の米軍のヘリが騒音で飛んでるうるさい空を知らない、知ってたら、せめて、知ることをする。同感力を失った人々で溢れてる。

僕は休みができたので福島の双葉郡浪江町に行った。そこは原発事故があった双葉郡。

事故で1年9ヶ月前までは立入禁止区域になっていた。田舎の何も産業がない地域からすると原発は雇用も生まれ国から補助もでて街が豊かになる。浪江町の前の町長は原発事故がある前までは隣の原発がある街をみて「喉から手が出るほど欲しかった」と言っていた。しかし東日本大地震で事故が起こり原発を置いてない隣町まで放射能の被害で街から人がいなくなった。

いま現在は、町に戻ってきてもいいという指示がでたが2万人いた町の人が800人になった。僕は話を聞きたくて、浪江町の町の人が集まってる居酒屋に行った。もうほとんどの店がなくなってく中、数少ない残ってる店だ。 そこで地元の人たちとたくさんの話をした。ここでは書ききれないすごい数の伝えないといけない話を聞いた。その中でとくにひっかかった話を。震災以降、地元を離れた人は福島差別を受けるという。

震災からまもなく8年なのに、僕が浪江町に行くと行ったら放射能がどうだとか、たくさんの間違えた情報を伝えられた。浪江町の人たちは言っていた。たしかに原発に甘えて生きてきた、だからって東京の使う電気のほとんどはここで使う。なんで、事故が起きたら「お前らそのおかげで飯食ってんだろ」「お前らが自分で選んだんだろ」と突き放すような言葉の数々。牛飼いのおじさんと話した、牛が被曝してるから殺処分しろ、と国から言われたらしい、犬や猫のペットは、被曝してても殺さなくていいらしい。

そのやり方が腹立つと言って、国からの勧告を無視して、牛を飼い続けてるおじさん。おれは思った、なぜそこに「牛飼いからしたらこいつらも家族」という発想がないのか。たしかに、屠殺して食べ物になる。でもそれとこれとは別。食べ物になるけど愛情持って育ててる。多分、この話は、申し訳ないが想像力と共感力のいる話。これをわかるわかる、という人と、だったら、殺さなくていいじゃないのよ、というやつがいる。

あとこんなおじさんもいた。放射能で危ないから国から町から退去命令が出たけど、家の窓にダンボールを貼り、こっそり、家に住み続けたおじさん。この話も、この文章だけなら、何やってんだ、このオヤジ!と思うかもしれない、この話も、その人と会って話せばすぐ納得できる。

前にオウム真理教麻原彰晃こと松本智津夫の娘のアーチャリーことりかちゃんにこんな質問をした「もし生まれ変わったらどんな家族の元に生まれたい?」と。とっても意地悪な質問だ、なぜなら、彼女はこのお父さんの元に生まれて、仕事もできない、結婚できるかもわからない、そんな人生を過ごしていた、だから聞いた。すると彼女は「また同じお父さんの元に生まれたい」と。

浪江町、いや東日本大地震の被害にあった町はまだまだ大変だ。彼らは言う、1円もいらないから前と同じに戻してくれ、町も近所との関係も。と。だから僕は居酒屋で聞いた「原発のせいでこんなことになった、生まれ変わったら次はどの町に生まれたいですか?」と「同じ町に生まれたい」と言った。そして次は原発に反対する。と。

宮城県の気仙沼の人は津波があったのに、そしてまた津波があるかもしれないのに、また同じ海沿いに住むと言う人がいる。子供の頃からみてきた同じ海をみたいから、と。

沖縄の米軍基地がある普天間の人に東京の人が「単純な話、危ないなら引っ越したらいいんじゃないですか?」と。そしたら「簡単に言わないでください」と怒った。

この話はわかる人とわからない人がいる。それはしょうがない、知らないだけだ。彼らの思い入れと郷土に対する愛を。

帰りに福島でラーメン食べてたら店に置かれてるテレビで原発関係のニュースがあった。その瞬間、まわりのお客さんが一斉にテレビに反応し、そのニュースに見入ってた。

その夜、東京の定食屋でご飯を食べてた、同じ原発関連のニュースが夜のニュースでやっていた、誰一人、テレビを見上げず黙々とご飯を食べていた。原発で作った電気に照らされながら。

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