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進むだけでなく振り返る。今年の抱負。

「四知」という言葉がある。楊震という、後漢の官人の言葉らしい。

賄賂が当たり前の当時。楊震が、誰も見てはいないからと賄賂をすすめられたときに「天、地、我、汝。四者が知っている。誰も知らないことがあろうか。」と言い放ち、賄賂を拒否したという話である(どこかの政治家連中に聞かせてやりたい話だと思う)。

この言葉に出会ったのは、年初にたっぷり時間を取れた中で『三国志読本』という本を読んだ時。Amazonで「三国志」というキーワードが目に入り、思わず購入してしまった。

というのも、三国志には特別な思い入れがあるのだ。三国志は僕が読書をするようになったきっかけだった。

三国志との最初の接点は『三国志Ⅶ』というゲーム。小学生のとき、父から「俺には難しいからお前にやる」と渡された。ゲームは好きだったので、三国志Ⅶのシステムにもすぐに慣れて、はまっていった。

最初はキャラクターのステータスの強弱ばかり関心を持っていた。やがて、ゲームを攻略するために、「なぜこの武将はこんなに強い(弱い)のか」「なぜこの人物同士は仲が良い(悪い)のか」「いつ頃どんな歴史イベントが起きるのか」を理解しようと、ゲームシステム上にある解説文を通して三国志の歴史を学ぶようになった。

そうするうちに、だんだんゲーム内の解説だけでは満足できなくなっていった。三国志Ⅶのシステムが、在野だろうが君主だろうが好きな人物を選んでプレイするゲームだったこともあり、やりこんでいくほど詳細に歴史について知りたくなったのかもしれない。

そして、三国志に関するの本にのめり込む日々が続いた。本屋に行くたびに三国志に関する本を見つけては親にねだっていたことを覚えている。

特に、学校の本棚にあった北方謙三の『三国志』の小説は何度読み返したか分からない。三国志について知れば知るほど、その人物に対する魅力や、歴史全体の流れの面白さに惹かれていった。

三国志と出会うまでは本を読むことなんてほとんどなかった。僕が読書を習慣とするようになった起点は三国志にあったなと、『三国志読本』を読みながら思い返したのだった。

しかし、最近はあまり三国志の本を読めていない。ゲームも出来ていない。いつの間にか、三国志は僕にとって存在が小さくなってしまっていたのか。少し寂しいなと思った。

最近は人文書を中心として本を読み進めつつ、興味関心の範囲を広げている。読むペースもだいぶ早くなった。一冊を通読しては次の本を手に取る、そんな読書が中心である。

ただ、僕が本を読む原点を思い返した『三国志読本』の読書体験を経て、振り返ることも悪くないと思った。

進むだけでなく振り返る。今年はそんな本との向き合い方も、大切にしたいなと思う。

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