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読書振り返り.『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か』.

年初のnoteで書いたとおり、今年の僕のテーマは「振り返る」ことである。本を読んで振り返ることを少しずつ実践していきたい。

今月読んだ本で特に印象に残った本は、『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か』だ。

「正義」は使いづらいことばである。その意味を説明せよといわれても答えるのに窮してしまう。その一方で、「正義」はよく用いられることばでもある。

たとえば、「正義の暴走」という比喩がある。コロナ禍における自粛警察は典型例だろう。マスクをつけていない人や外出をしている人に対して、個人の正義感にもとづいて私的に取り締まろうとする人たちがTwitter(X)上で話題になった。

こうした「正義」の使い方は、他者との「会話(ことばを用いた実践)」を打ち切ってしまう。その意味で、「正義」の使い方を誤ってしまっている。

著者の朱喜哲(ちゅ ひちょる)さんは言語哲学の専門家であり、こうしたことばの使い方を分析する。「正義」とは何か。そのことばの「ほんとうの意味」を理解せずとも、その「使い方」を見れば、会話における「正義」の正しい使用法のヒントを得ることができる。

そうした立場で、「正義」や「公正」といった「正しいことば」について日常的な使い方を、ロールズやローティなどの哲学者のことばづかいを参考に、ヒントを得つつ考えるのが、本書の内容である。

ことばの「適切な区別」

僕が「正しいことば」を用いるためのヒントとして受け取ったことは「適切な区別」だ。

たとえば、最初に行われる区別は、「正義(justice)」と「善/よいこと(the good)」の区別である。

「善」とは、何を「よい/わるい」と思うかについての個々人の考え方や価値観である。これは人それぞれに違うため、時に対立が生じることもある。一方、「正義」とは、それらの競合しうる「善の構想」同士を調停し合意にいたった状態において実現するのであり、そのための一連の手続きだ。

この区別の上で、さまざまな「善」の構想から、どうやって「正義」をつくることができるのかをロールズは『正義論』という書籍で描いている。

この区別があることで、たとえば「相対主義」のような、正義に対する誤った考え方を退けることができる。

相対主義とはざっくりいうと、「人それぞれに考え方が違い、またそれぞれの価値観に優劣はつけられない」という考え方だ。この立場を取られてしまうと、どんな異議申し立ても無効化される。「どっちもどっち」と言い換えるとわかりやすいだろう。

このような冷笑的な態度の結果、お互いの意見の違いを乗り越えようとしたり、誤りがあればそれを修正しようとしたりするような、建設的な会話の回路を完全に閉ざされてしまう。

しかし、ここで「適切な区別」が役に立つ。相対主義は「善」と「正義」を混同していることで生じる誤りだ。「善」は確かに人それぞれである。ただし、「正義」を語るためのことばの使い方と区別して考えなければならない。

雑談の場合には、お互いの「善」の違いを認めながら会話をすることは問題ない。ただし、何か社会の方向を決めたり意思決定するような場合には、その善の構想の違いを乗り越えるための「正義」について合意しつつ会話をしなければならない。

そのように適切に区別することで、われわれは相対主義に安易に陥って会話を止めることなく、「正しいことば」を用いることができる。

このような区別は、他にもさまざま紹介されている。「公/私」「憤激/ねたみ」「過去訴求的な責任/未来志向的な責任」といった区別だ。

これらは会話をぜひ書籍で直接読んでみて欲しい。

正義を諦めず、語りつづけるために

「ダイバーシティ」「ポリティカル・コレクトネス」などなど、社会はさまざまな個性や在り方を尊重する考え方が浸透してきている。

これまで理不尽な抑圧をうけていた人が、声を上げ、社会がより公正な方向に進む上で、この流れは望ましいと思う。

一方、これらの考え方は時に激しい対立を生む。それぞれの価値観が相容れず、人々を分断して会話が成立しなくなってしまうこともある。

ネット上の「論破」合戦や、「ポリコレ棒」といったネットミームをみると、他者とことばを交わすことがリスクとして忌避してしまう。

しかし本書を通じて、会話の中に「適切な区別」を設け、ことばの「使い方」を学ぶことで、他者との会話をとぎれさせないためのヒントを受け取ることができた。

ことばは人を切るためのものではない。人とつながるためのものである。

そして、つながるための正しいことばの使い方はある。ひととつながることを諦めず、正義についてことばを交わすことが出来る。そんなことを改めて信じさせてくれる本だった。

余談だが、今年は選挙イヤーだという。アメリカ、ロシア、インド等々、世界各国で重要な選挙が繰り広げられる予定だ。

そこから容易に想像ができるのは、さまざまな「善の構想」が対立することである。ネット上では多くの「議論」が巻き起こり、ときには激しい罵り合いが生じるだろうと想像できる。

そうした議論に過度に絡め取られて疲弊しないために、また冷静に社会の正義について会話を諦めないために、本書から学べることは大いにあるはずだ。

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