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晴れの日も雨の日も#271 ピッタリ

できるだけ丁寧に言葉を扱いたいと思っている。
というほど繊細な人間では元来ないのだが、仕事上「人の心を扱うこと」の身近にいると、たとえば一括りにするような言い方を避けたいと思っている。のみならず、そういう粗っぽい話には自分自身違和感を感じることが多い。


振り返れば、すごい幸せだなあという思いの中にあったこともあるし、なんでこうなるかなあ、ということもあった。どうやオレって、と意気高揚する思いも経験したが、カンベンして〜という思いももちろんたくさん味わっている。
学生のリクルーターをしていた頃、ボロを出すまいと澄まし顔の学生に「キミ、三日三晩涙が枕を貫き通すような失恋したことある?」とトンデモ質問をして相手を困らせていた。半分はイタズラ心だが、相手の「気持ちの扱い方」を見たかったのも事実だ。
山あり谷あり、いろんなことを感じてきた半生が、心の動きを大事にしたいと思うことに、当然のことながら色濃く影響している。


言葉に関心があるから、語彙の豊富な人は羨ましいと思う。別に漢詩の小難しい一句を知っているとかフランスの古典文学の一節を引用駆使できるようになりたいのではない。もっと、心のなかの動きをよりピッタリと表現できるようでありたい、と思う。

たとえば「嬉しい」と言ったっていろんな「嬉しい」があるんじゃないのか。温度感。肌触り。ボリューム感。
「怒り」もそうだ。苛立ち、頭に血が上る感じ、許しがたい思い、いろんな色彩の「怒り」があるだろう。くくって言えば「面白くない」「不快」ということなのだが、その本質は何なのか、どこからその感情が湧き上がっているのか。
怒りだと思ったものが実は嫉妬だったりするかもしれない。
そうか嫉妬なのかと思ったが、さらに掘り下げてみると、自分の奥深くに巣食う劣等感だったということもありうるだろう。

「愛している」というのはある意味それで全てが完結するぐらいオールマイティー言葉だが、そんな単一な景色なのか??若いうちは「恋に恋する」なんてことも十分ありうるし、愛していると言わなければいけないんじゃないかみたいな状況や錯覚感もあるかもしれない。 


今、自分の心のなかで本当に動いているもの。そういうことに敏感でありたいし、それをできるだけピッタリ表したい。
それが他人の心の中のことを適切に扱うことにつながっていくと思う。
さらにはそうして自分の心にピッタリ寄り添ってもらえたと相手に感じてもらうことが、相手との関係性を一段と高次元のものにしていくのだと思う。


人の心にはいろんな色がある。温度感や手触り感もさまざま。
ひょっとしたらそうした視覚感、触覚感だけじゃなく、それでは捉えられない匂いもあるかもしれない。
耳を澄まさないと聞こえないものすごいビミョーな音で何かを伝えようとしているかもしれない。

そんなことを感じ取ったり、表現できたりできる人に、少しでも近づきたいなあと思う。ボクは絵も音楽もできないので、「言葉」でその世界に歩み寄るしかないのだが。

咲き乱れる春菊の花。食べて良し見て良し。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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(続く)

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