ドタキャンほどピンポイントで心がすり減るものはない気がする
まぁタイトル通りっすわ。食事の約束をドタキャンされた。これだけ。
仮に自分が地獄行きだとして、閻魔大王に「最後に自分の善性を訴えることはあるか?」と聞かれたらこれだけは伝えようと思う。
「人生において、ドタキャンをしたことはありません」
胸を張って言える。まぁ、ドタキャンの定義にもよるんだけど。
思い返せばこの前の学会は胃潰瘍とカンピロで飛んだし、嘘っちゃ嘘な気もする。
でも、自分のために時間を捻出して、店を予約してくれた人のことを軽んじたことは無い。これだけは誇れる。
ドタキャンされたんすよ。18時の予約で、店には17:58に入って、ちょっと待って、来ないからとりあえずビールだけ頼んで、それでも来なくて、予約してる以上頼まないのは同義に反するから何品か頼んで何杯かだけ飲んで、店を出た。
店を出て数分後、既読がついていなかっあ事故でとしてないかと思った確認LINEを見たのか、本人から電話が来た。切ってしまった。
ど忘れしていたらしい。
ど忘れしていたことは言い訳にはならない。むしろ、ど忘れする程度の扱いでしかなかったのだと考えさせられた。
ほんまに忘れてたらしい。
会うつもりがあるなら、そもそも忘れることは無いだろう。これは自分の育ちの良さでも何でもなく、どれだけ人に対して誠実であるかだけの問題だ。
カッとなっていたわけではない。でも、『なら忘れへんよね^ ^』と送ってしまった。これだけは自分は正しかった、間違えてなかったと思いたい。
^ ^の絵文字を自分が使うときは、そこそこ気分を害しているけど怒る価値もないしそれを伝える義理もないと思ったときだと思い出した。
^ ^
便利な絵文字だ。
ドタキャンされたことに怒ることは減った。去年も何度か色んな人からドタキャンされたことはあった。
まぁそんなもんかと思い込む。そして、自分はそうされるくらいにしか軽んじられていることに密かに落ち込む。正直、本人に対してよりも、そう思われるような存在である自分に嫌気がさす。
仮に自分が社会的名声があったり、資本家だったら、今日ドタキャンした人は間違いなく予定表やスケジュールアプリに重要事項としてメモしただろう。
自分はそうではなかった。
忘れていてもLINEの詫びで済む程度だった。それがさっきから胸に刺さる。
だってこれが仮にーーーー(有名タレント)とのご飯だったらどうよ?道中で事故っても這ってでも行くでしょ。そういうことなんよ。
1人分のキャンセル料代わりの、1皿のポーションが1.5人前のアテをつまんで、2人分くらいのお酒を飲んで、店を出た。
嘘でも良いから、病気か事故とでも送って欲しかった。
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