2022.05.24 12年目に入ったフクシマ被害地を歩く Day1


訪問の目的と理由

2022年5月24日、福島第一原発事故により今も帰還困難区域に指定されている浪江町・大熊町・富岡町・双葉町を訪問した。表題に書いたが、12年目になった現場はどのようになっているか自分の目で見て確認しておきたかった。
数年前から行こうと思っていたが、コロナウィルスの影響と体調が優れずに中々行く決心がつかなかった。コロナも多少落ち着いたタイミングで行けるときに行かないと後悔すると思って被害地を訪問しようと思った。
また、避難指示区域がいくつか解除されたところもあったので、緊張しつつも行ってみようと思った。

併せて、10年目に入った被害地がどの程度汚染されているかも自分の目で確認したかった。参考資料として下記資料を参考にして頂ければと思う。

いざ現地へ

私は新幹線に乗り、東京から福島駅まで向かい、そこからレンタカーを借りた。
まずは浪江町津島地区に向かう。


川俣町の中心街まではどこにでもある田舎の街並みだったが、川俣町を過ぎると雰囲気が徐々に変わってきた。まず感じたのは車の交通量がかなり少なくなる。たまに車とすれ違う機会があるが、ほとんどはダンプやトラック・原発関係の車両ばかり。住民とすれ違うことはない。時が止まっているように感じる。

津島地区に到着するも帰還困難区域の為、ほとんど立ち入ることができなかったが、道路沿いにある津島保育所付近は写真に収めることができた。
以下の写真は2022.05.24、津島保育所で撮影したものである。

荒れ果てた景色に息を呑んでしまった。これが長年積み重ねたことによる朽ち果てた姿だと思うととても胸が痛む。「うわ〜」「あ〜」とか訳のわからない独り言をずっと呟いてしまった。

津島地区を後にしてからそのまま国道459号線に乗って浪江町の市街地へ向かい、堰守橋に移動すると息を吞む光景が目の前にあった。

浪江町津島から堰守橋(福島県双葉郡浪江町室原仲沢付近)までの移動経路
堰守橋手前にある旧堰守バス停にて

3.22μsv/hという数値を見て、私は目を疑った。
控えめに見積もっても原発事故前よりも70~80倍の数値である。
津島地区から堰守橋までの間ずっと線量計が鳴っており、2~5μsv/hの数値を記録していた。10年目でこのような数値だったら、事故直後はどれだけ汚染されていたのだろうかと容易に想像できる。

堰守橋から撮影した写真

草木や雑草が生い茂って民家を覆っている姿に言葉を失った。
人間に制御されなくなった自然剝き出しの姿を見て何と表現したら良いのか。自然が主となった世界はどういうものか現場に来て初めて理解した。
これが原発事故後の姿なのだろうと。
戦火なき戦争の世界を垣間見たような気がした。
民家も前まで行きたかったが、立入禁止のため近くまで行くことができなかったのは大変残念だった。

堰守橋を後にして大野駅(福島県双葉郡大熊町)へと移動する。

堰守橋から大野駅までの移動経路
大野駅

大野駅周辺を見回ったが、原発事故後の惨い姿が多数あって色々と考え込んでしまった。以下の写真は大野駅周辺で撮影した写真である。

福島県双葉郡大熊町下野上大野にて。タイヤの空気が抜けている。
天井部が日に焼け、アルミサッシが錆びついている。
雑草が成長して大木になりつつあり、どこが玄関なのか分からない
屋根のビニールシートが日に焼けてただれている
瓦も破損していて、雨漏りとかしている

荒れ果てた家、公共施設、無造作に散らかった部屋、、、
原発事故の亡骸であると同時に、事故後被害者がどれほどパニックになっていたか。また、12年経っても故郷に帰れない現実に私は考え込んでしまう。
2021年に東京オリンピックが開催されたが、復興など何一つできていない。
全ては茶番劇であるとしか思えない。これのどこが復興なんだろうか?

大熊駅周辺を歩き回った後、駅から少し離れた場所にファミリーマート大熊町新町店(福島県双葉郡大熊町大字熊字新町271)があり、そこに立ち寄ってみた。私の中ではDay 1で最も衝撃を受けた場所である。

大野駅からファミリーマート大熊町新町店までのルート

ファミリーマートの店内に入ろうとした際、たまたま現場で復旧工事の誘導をしていた警備員から声をかけて頂く。警備員からは「震災起きてからずっとこのままだから、上からモノが落ちてくるかもしれないから気を付けて」とお気遣いのアドバイスを頂いた。
心の準備をしてから意を決して中に突入する。以下の写真を見て頂きたい。

ファミリーマート大熊町新町店の外観
拡大すると2011年4月号の雑誌が今でも陳列棚に置いたままになっている
日に焼けた影響で表紙がめくれている

私は人類絶滅後の世界を見ているのだろうか?
狂った世界に放り込まれたのか、それともこの状況が正常な世界なのかよく分からず、頭の中が狂いそうだった。平静を努めることに一杯だった。
モノは散乱して飲み物や食料が腐り、肉まん等は得体の知れないものになっている。
空調機は地震の影響で外れていて、ATMがひっくり返っている。誰かがお金を盗もうとしていたのだろう。
店内の時計は14:46で止まったままになっていて、現実のお化け屋敷だと思って背筋が凍る。人間の凶気と原発の暴走が混ざり合った醜悪な世界を見てしまった。

ファミリーマート大熊町新町店を後にしてすぐ近くにあるツルハドラッグ大熊店(福島県双葉郡大熊町大字下野上字大野580-1)にも立ち寄った。
ここも衝撃的過ぎて言葉が出なかった。以下はツルハドラッグ大熊店の写真である。

ファミリーマート大熊町新町店からツルハドラッグ大熊店までの移動経路
駐車場で線量を計測したら空間線量が2.24μsv/hを示している。事故前と比べて50~60倍の線量。
コカ・コーラやアクエリアスのラベルが日に焼けて色褪せている
右側の扉がこじ開けられていて、右側のガラスが割られている

この場所は福島第一原発から半径4~5km圏内であり、放射能汚染が最も酷いエリアの一つである。
周辺の建物や民家は全て被害を受けていて、更地になって建物自体が無くなっているところが多かった。
ファミリーマートやツルハドラッグを見て死の街以外に表現できる言葉があるだろうか。

ツルハドラッグ大熊店から今度は富岡町にある夜ノ森駅まで移動した。

ツルハドラッグ大熊店から夜ノ森駅までの移動経路

夜ノ森駅周辺も散策して印象的だった写真を撮ってみた。
以下の写真を見て頂きたい。

夜ノ森駅東口前にあったタバコ自販機
銘柄が日に焼けて消えてしまっていて、めくれている。
植木が野生化して灌木みたいになっている。1階部分まで覆い尽くされている。

夜ノ森駅から歩いて10分ほどのところにレイクサイド(福島県双葉郡富岡町字夜の森南2丁目9)というアパートが建ってあるが、ここも印象的だった。

レイクサイド

裏手に回ったらドアが開けっ放しだったので思わず写真を撮ってしまった。
ここの住人は原発事故後、どこでどのように過ごしているのだろうか。
突然避難するよう言われ、逃げるようにして慌てて出てしまったように想像してしまう。自分の身に置き換えたならどうなっていたか。
そんなことを思いながらDay 1を終えた。

                          (Day 2に続く)

参考文献


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