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SaaS企業はコンパウンドスタートアップを目指すべきか?(前編)

ドキュメント概要

freeeのようなマルチプロダクトカンパニーが、コンパウンドスタートアップに転向するべきなのか、を考えるため、コンパウンドスタートアップが生まれた背景や、展開するのに適した分野、組織体制を整理してみます。

整理にあたっては、できるだけ一次情報にあたるべく、Parker Conradが出演しているPodcast 7本を主な出典としています。

今回、自分向けの整理をすると共に、noteでも公開してみます。

自己紹介

澤悠詩(@kujira_poe)と申します。8年間freeeに在籍しています。
顧客インタビューとSaaSとプライシングが好きです。


コンパウンドスタートアップとは

コンパウンドスタートアップとはなにか、についてはこちらの記事が詳しいので、今回は深く掘り下げません。ただ、Parker ConradのPodcastのなかで、彼の一番言いたいことなのではないか、と思った部分がありますので貼っておきます。

“人々が抱いている最大の誤解は、多くの人々がポイントソリューションこそがクラス最高の製品だと考えていることです。しかし、それが間違いだとしたらどうでしょう。私は、単体のポイントソリューションではほとんど不可能な、他の多くのシステムとシームレスに相互運用できる製品こそが、最高の製品だと考えています。統合こそが製品であると信じています”
“私たちの基本的なテーゼは、従業員グラフとの統合を深めることで、さまざまなビジネスシステムにおいて重要な製品機能を引き出すことができるはずだ、ということです”

僕の理解を簡単にまとめると、次の3つがコンパウンドスタートアップの特徴だと思います。

  • 特定の業務分野で基軸となるデータをXXグラフとして定義して、グラフを軸に複数製品を展開する。製品で得られたユーザーデータは、グラフに還元される

  • 共通機能をミドルウェアとして構築して、複数製品で共有する

  • これらを当初から意図して行うことで、高品質な製品を素早く構築できると同時に、突出したAttach rateのマルチプロダクトカンパニーを実現できる

ここからは基本Parker ConradがPodcastで語っていることを断言調で記載しています。「~と思う」と書いている部分は、私の解釈です。


コンパウンドスタートアップが生まれた背景

コンパウンドスタートアップはなぜ今のタイミングなのでしょうか。Parker Conradは背景を4つ挙げています。

コンパウンド企業の復権

そもそも、コンパウンド企業は新しい概念ではありません。長らくソフトウェア業界を支配してきたプレイヤーは、すべからくコンパウンド企業です。
例えば、過去20〜30年のビジネスソフトウェアの歴史を振り返ると、大きな成功を収めた企業はSAPやOracle、Microsoftといったコンパウンド企業です。顧客にとって最も優れた製品を少ないコストで生み出すことができるのは、コンパウンドな手法で構築されて、幅広い領域をカバーする巨大なソフトウェア・ベンダーであり、事実彼らは非常に幅広い製品ポートフォリオを展開してきました。

ソフトウェアの流通形態がオンプレミスからクラウドへと移行する過渡期においては、シングルSaaSを構築することが一時的に合理的になりました。既存のコンパウンド企業は、自社のプラットフォームをクラウド上ですぐに再構築することは難しかったため、シングルSaaSを立ち上げる競争の隙間ができたのです。したがって、オンプレミスの巨大ベンダーの機能を、いかに早くシングルSaaSとして提供できるか、がこの20年間業界の焦点になってきました。

しかし、ソフトウェアをクラウドで提供することが一般的になった今、シングルSaaSは無数に存在しており、企業同士の競争は激しく、かつてほど参入するチャンスは多くはありません。無数に存在するシングルSaaSに対して、コンパウンド企業のもっている、深いソフトウェア同士の統合、バンドルの価格設定といった製品・競争優位性が再び優勢になると考えられます。Parker Conradは、そういった新世代の巨大なコンパウンド企業がSalesforceであり、Rippling、Ramp、Notionといった企業はその系譜に連なることを目指している、と語っています。

コンパウンドがソフトウェア企業の王様だとしたら、、、

競争による製品仕様の収斂

SaaS製品の競争は苛烈を極めます。例えばアメリカではHR&Payroll分野には463のSaaSがあり、日本においても61あると言われています。

一方で、こうしたコモディティ化し始めたソフトウェア分野では、競争によって顧客が必要としている機能群が収斂してきており、特定の業務分野における製品仕様は明確になってきています。コア機能の競争はもはや終わりつつあり、競争は別の次元、つまり機能の有無ではなく、周辺の機能の強さや統合の強さに移行して、バイヤーが製品を購入する理由になっていると語っています。具体的には分析機能のリッチさ、ワークフローの自動化、ユーザーごとの権限管理やポリシーカスタマイズなどを、バイヤーが他の製品よりもある製品を購入する理由として挙げています。

つまり、シングルSaaSが飽和している分野では、コア機能の仕様は明確なため企画に労力をかける必要はなく、周辺機能をリッチ・抽象化して製品同士で共通化するコンパウンドスタートアップが選ばれるようになってくる、と言っているわけです。

「ホリゾンタルSaaS カオスマップ2022」を公開します -カテゴリ別資金調達動向を解説-


野望に見合った大型調達ができる資本市場

大きな野望に必要な資金調達ができるようになったことも、見逃せない背景です。

ながらく投資家が「一つに集中しよう」と言ってきた背景には、それが投資家が投資を行う上で、ちょうどよいサイズのリスクと商品のかたまりだったからである、とParker Conradは語っています。一方で、VCのファンドサイズが巨大化し、より大きなリターンを生み出さないといけなくなったことから、より野心的なことに取り組むためスタートアップが必要な資本を調達できるようになりました。もちろんRipplingの場合、Parker Conradが連続起業家という大きな与信をもっていたことも大きな理由であると思いますが、ファンドサイズの変化は、コンパウンドスタートアップを可能にした大きな背景に間違いないと思います。

【トレンドレポート】大型化する世界のVCファンドと資金調達、何が起こっているのか?


マルチプロダクトを生み出す企業文化

重要な課題、つまり最も価値のある企業を生み出す可能性のある課題は、SaaS製品にまたがって存在しています。一方で、企業がシングルSaaSから複数SaaSを展開しようとしても、シングルSaaSから始めた企業のDNAは簡単に変えられないケースが多く見られます。

ソフトウェア企業が取り組む課題はなんであれ、掘ろうと思えばいくらでも掘れるほど深いため、最初にAをやってからBをやろうと考えても、長い間Aに固執する傾向があります。コンパウンドスタートアップは重要な課題全体を解くために、当初から複数製品を前提とした企業文化を作る必要があります。そのたm、途中から企業文化を変えるような労を避けることができるのです。

開発におけるメリット

コンパウンドスタートアップでは、複数製品で利用する共通のミドルウェアを構築をします。ミドルウェアの構築には開発上の2つのメリットがあると語っています。

ミドルウェア共通化による高いROI

コンパウンドスタートアップではミドルウェアを複数製品で利用するため、ミドルウェアへの開発投資がシングルSaaSが投資できないレベルで可能になります。

どのB2B SaaSでも、同じように繰り返し構築される機能群が存在します。Ripplingの場合、複数製品を開発するため、それらをミドルウェアとして開発しています。具体的なミドルウェアにはワークフローの自動化、ユーザーごとの権限管理、カスタムポリシー、承認、ルーティングなどがあります。

上記のような機能は、シングルSaaSでは優先順位が落ちやすく、プロダクトに後づけされるのが一般的です。一方、コンパウンドスタートアップではすべての製品で再利用できるようにするため、優先度を上げられるどころか、より高度な機能にするための開発投資も正当化できるようになります。
その結果、ミドルウェアの機能自体が強力になることに加えて、ミドルウェアが製品と深く統合されて、ミドルウェアを通して製品同士が統合されることが、シングルSaaSには無い製品の優位性になります。例えばRipplingのレポート分析機能は、機能自体がTableauやLookerと競合する高度なレベルを目指していることに加えて、複数製品をまたがった分析が可能になっていることで、シングルSaaSの分析機能の10倍優れた体験を提供できます。

Ripplingでは従業員を軸とした、他社製品も含む、製品横断の分析ができる
https://www.rippling.com/workforce-analytics

新製品の素早い構築

2つ目のメリットとして、新しいプロダクトを早く安く構築できることです。コンパウンドスタートアップでは、どの製品でも再利用することができるようにミドルウェアを作り込むため、新しいプロダクトを作る際の開発コストを大幅に効率化することができます。

Ripplingは、競合の開発投資の20%程度で、市場における最高クラスの製品に匹敵するか、多くの点でそれを上回る性能をもつ製品を作ることを目標にしています。

RipplingではUnityというミドルウェアを構築している
https://www.rippling.com/blog/introducing-rippling-unity

ビジネスにおけるメリット

コンパウンドスタートアップでは、前述したミドルウェアの上に複数のプロダクトを構築します。ビジネスにおけるメリットを3つ挙げています。

バンドルによる価格優位性

コンパウンドスタートアップの最大の利点は、価格設定における競合優位性です。シングルSaaSの場合、1つの製品からの収益を最大化しなければなりません。S&Mに十分に投資できる程度には高い価格である必要もあります。一方で、コンパウンドスタートアップは、複数製品を展開するためS&Mコストを効率化できます。その上、顧客単位の契約金額を最大化すればよいため、製品単位では競合他社を下回るような価格設定が可能になります。

Ripplingでは、Outreach・Calendly・Chili Piper・Lean Data・Gongを営業で利用していて、営業1人当たりのSaaS費用はが300ドルにのぼります。例えば1社がこれら5つのことができる製品を作って100ドルで提供できれば、顧客は節約できて、提供側は(1人50ドルのSaaSを提供する場合と比較して)ARPUを最大化できるようになります。実際、MicrosoftがTeamsでSlackを圧倒した事例を、この価格設定による優位性の例として挙げています。Microsoftは、S&Mコストをより広範な製品群にわたって償却できるので、特定の製品価格ではSlackのような企業を下回ったとしても、バンドル全体の価格を最大化できれば問題ないわけです。

Ripplingでは、プロダクトのなかで中核を為す給与計算ソフトは例外的にかなり低い粗利、つまり低価格にしています(注釈 おそらく給与計算が顧客の入り口であり、かつ従業員データを握るために重要なプロダクトなため、競合製品を寄せ付けない低価格にしているのだと思います)。
給与計算で取り逃した粗利は、他の製品から得られる収益で補えるように設計しています。

効率的なクロスセル(によるARPU最大化)

コンパウンドスタートアップは、顧客に関して統合したデータセットをもっているので、クロスセルするべき製品、提案するタイミングを特定することができ、効率的に顧客単価を最大化できます。

コンパウンドスタートアップは複数製品の基礎として共通したグラフ(Ripplingの場合は従業員、Salesforceは取引先)があり、関連する情報はすべてグラフに統合されています。Salesforceを利用したことがあれば、取引先に無数の項目を作ることができ、関連するオブジェクトを跨いで自由に分析できる取引先グラフをイメージできると思います。コンパウンド企業側では、統合された顧客の状況を把握することができるため、使うべき特定の製品、提案すべきタイミングを正確に特定することができるようになります。Ripplingの例で言えば、顧客データを見て、育休中の社員がいれば育児休暇管理のTiltを紹介してクロスセルしたり、といった具合です。

新プロダクトを素早く立ち上げることができており、新製品を発売するたびに、その立ち上がり曲線は加速しています。2021年にリリースしたとある製品のARRは4ヶ月で80万ドル、月次成長率は約40%です。Ripplingには製品が25個あり、既存顧客へのクロスセルで毎月数百万ドルの新規ARRがありますが、新プロダクトの立ち上がりが早いため、最も大きな製品でも割合が10%以下になるほど、製品ポートフォリオが分散しています。


SMB市場でこそ活きるコンパウンドスタートアップの特性

前述した2つのメリットを踏まえると、コンパウンドスタートアップは個々のプロダクトは低単価に抑えて価格優位性を作りつつ、効率的なクロスセルを行うことで顧客単価が高くなります。結果として、企業規模が小さい顧客の市場でもビジネスが成り立ちやすくなります

ほとんどのSaaS企業がエンタープライズをターゲットにするのは、ユニットエコノミクスが成立しやすいからです。対して、SMBでCACを正当化できるほど十分な利益を得られる企業は非常に難しいと言われています。
コンパウンド企業は、幅広い製品を扱っているため、顧客のウォレットシェアが非常に高くなります。個々の製品が顧客にとって低価格であっても、全体としてはARPUが大きくなります。この構造があるおかげで、SMB市場でも野心的な規模を目指すことができるようになります。

2023年3月UB Venturesのレポートで取り上げられている国内トップのSaaS企業の4/5がマルチプロダクトを展開するSMB企業であることを踏まえると、直感的にもコンパウンド企業で国内SMB市場に取り組むことには高い合理性がありそうに思います。

SaaS Annual Report 2022

デメリットは立ち上げ自体の難易度

これだけのメリットがあると、なぜこれまでSaaSのコンパウンド企業がいなかったのか不思議になりますが、当然ながらミドルウェアの構築と個々の製品を同時に立ち上げること自体の難易度が高いことが理由として挙げられています。

“なぜ誰もやらなかったのか。その答えは、「本当に難しいから」です。これまでの常識では、「難しすぎるから、やらない方がいい」と言われてきました。だから、まだ誰もそのマイルストーンに到達していないのだと思います。難しいことについては答えがありません。だから、スタートアップ・グラインドと呼ばれるんです。すごく大変なんです”

大変だけど、メリットも多いコンパウンド企業。では実現すると顧客にどんな提供価値があるのでしょうか。またコンパウンド企業として成功するためには、何が必要なのでしょうか。

後編で整理します。


参考Podcast

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