「最も日向坂らしいこと」とは「日向坂ならやりかねない」なのでは説
11th「君はハニーデュー」の全楽曲が先行配信されましたね。体調の関係で自分はMVを見れておらず Apple Music で聴いているのですが、11th を全曲聴いたあとに再び「君はハニーデュー」に戻ったとき、ちょっと泣きそうになりました。
やっぱり自分はハッピーな日向坂が一番好きなんだなと改めて気づいて、そんなハッピーがしっかり戻ってきたんだなと感じられて、なんだか感傷的になってしまいました。ティザー映像の「おまたせ!」はそういう意味にも感じ取れるなーとか適当なこと妄想したりまでして。最初の「いぇーい!」なんて最高ですよね。
去年12月にメンバーみんなで話し合って、メンバー自身で立ち戻ってきた「ハッピーに」というスタンスは、やっぱり日向坂の本質の一つなんだろうなと感じます。なので 11th のどの曲も素敵なんですが、やっぱり自分は「君はハニーデュー」が一番好きです。
結果の方も比較的順調で、以下のデータを見ると、MV再生回数速度で前リリースの勢いを上回るのは実に 6th の「ってか」ぶりくらいでしょうか。
さらには以下のように Billboard のストリーミングランキング指標を見ても、7th 以降から続いていたランキング圏外傾向が改善されています。
ずっと下降トレンドが続いていただけに、それを巻き返せたのは素晴らしいですね!これはそう簡単にできることではないと思います。いい感じ!
とはいえもちろん、今でもかなりスゴイんですが、メンバー自身が「おひさまの輪をもっと広げたい」と願っているからには、結果の面ではまだまだ上を期待したいところではあります。MV再生回数速度の自己ベストはまだまだ上ですし、特にストリーミングは「LINE MUSICキャンペーン」を展開してゲタを履かせた上での数字なので、Apple Music 指標に限ってみるとランク外傾向は変わっていなかったりします。
しかし、ただの一ファンとしても「まだまだ日向坂はこんなもんじゃないよな」という気持ちですし、「このまま終わる日向坂じゃないぞ」と確信もしています。
そんな思いのままにこの記事では、何が今後の日向坂の爆発的なうねりを生み出すカギになるのか勝手に予想したことだったり、自分が日向坂に感じている魅力を言語化するとどうなるだろうと考えたことについて書いています。
※体調を崩して以来、公式ニュース以外の情報はブログやメッセージ、雑誌のインタビュー等も含めほぼ見れていないので、周回遅れの話をしているかもしれません。
「日常」にある「最も日向坂らしいこと」が大躍進のカギ?
Netflix のアジアコンテンツ統括トップで、「イカゲーム」など多くのヒット作を手掛けたキム・ミニョンさんのインタビュー記事に、興味深いことが書かれていました。
さらには、韓国コンテンツが勢いを持って成長できた背景について分析した書籍「コンテンツ・ボーダーレス」でも、以下のように書かれています。
キム・ミニョンさんの発言もこの書籍で書かれていることも、どちらも同じような事を言っているように思いました。成功の方程式までは存在しなくとも、少なくとも成功のための一つの必要条件は「らしさの追求」であり、その「らしさ」は意外にもありふれた「日常」にある。そしてその「らしさ」の追求は一見すると消費者(顧客)の裾野を狭めるようでいて、実は最も広げることにつながる、ということです。
これは韓国コンテンツに限らず普遍的な観点にも思えて、たとえば音楽シーンで高いプレゼンスを誇るアーティストには存分に「らしさ」というものを感じますし、映画にしてもアメリカ(ハリウッド)らしさ、フランスらしさ、インドらしさ、タイらしさというものがあると思います。
さらに「コンテンツ・ボーダーレス」では、海外で人気を集めた日本のコンテンツとして「片づけのこんまり」や「孤独のグルメ」「深夜食堂」を挙げ、「最も日本らしいものがいかに日常的であるか」を説明しています。
「深夜食堂」は僕も好きなドラマで見てたのですが、これが海外でも人気を博していると知ったときには正直、
「まじ?海外でウケるには地味すぎひん?」
と驚きました。
こんな風に、当事者にとっては当たり前すぎて特別な価値を持たないように感じることが、他者からすると高い価値を持つというのは、以前書いた以下の記事で述べた「才能」の考え方に近いなと思いました。
アーティストにとっても、多くの人を魅了する「才能」はそのアーティストのごくありふれた日常にこそ潜んでいるのかもしれません。
となると、日向坂にとっての「日常」とは何で、その日常に見え隠れする「最も日向坂らしいこと」とは何か、が気になってきます。その「最も日向坂らしいこと」が「おひさまの輪をもっと広げる」というメンバーの想いを叶えるはずだからです。
「日常」とは「ひなあい」なのではないか
「日向坂としての日常」を考えると、いわゆる「ハレの日」に相当するライブやイベントなどはむしろ非日常に当たるかと思います。また、ブログやメッセージアプリなどは日常的なものに思えますが、グループとしての日常というよりはメンバー個人の日常としての側面が強い気がします。
定常的に訪れる「グループとしての日常」となると、やはりそれは「日向坂で会いましょう」になるのではないでしょうか。
看板こそ変わりましたが、ひらがなけやき時代から続く唯一のグループ冠番組であり、毎週放送され、ときには全員で参加するほどに多くのメンバーが収録に参加します。まさにグループとしての日常を見るのに最もふさわしい場に思えます。
以前に「ひなあい」が特集された B.L.T. が発売されましたが、定期誌としては異例の増刷がされました。
しかも2回も。
B.L.T. の公式アカウントを見る限り、今のところ増刷したのは「ひなあい」特集号が最初で最後のようです。「ひなあい」が魅力あふれる「日向坂の日常」を存分に映し出しているからこそ、視聴者はそこに最も「日向坂らしさ」を感じ、これだけの注目を集める結果になったんだと思います。
「ひなあい」に存在する秩序と混沌のバランス
では、「ひなあい」が日向坂にとっての日常だとして、そこはどういう場なのでしょうか?
個人的に感じるのは、「秩序と混沌がバランスよく含まれた空間」だということです。
オードリーの若林さんは、自身で「骨組みを作る役割」とよくおっしゃるように、番組に秩序や構造をもたらすスキルがめちゃくちゃ高い方だと思います。他方で、もともとは春日さんに「台本通りやんなや!」と冗談めかしつつ本気にも見える要求をしたり、「ひらがな推し」の初期や「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」などで「どうなるか見えてないけどとりあえずやってみよう」と自ら無秩序な状況に突き進んでいくような、混沌を愛する人でもあると思います。
さらに春日さんも、真面目で秩序が立ちすぎるがゆえに、逆説的に混沌とした空気を作り上げてしまう側面があるように思います。アイドル番組のドッジボールなのに、佐々木美玲さんにしっかりめにボールをぶつける姿なんかはいかにも春日さんらしいですよね。
このようにオードリーは、秩序だけでなく混沌をもたらし楽しむ節があるように思いますが、日向坂のメンバーもイッキサンを中心にそんな混沌を楽しもうとする、なんなら生み出そうとする性格的特性が強い気がしています。さらには「混沌に入るならば皆もろとも」のような「みんなでなんとかしよう」という集団的文化もあるかもしれません。
もちろんそれだけでなく、坂道グループ全体がトンマナとして持つ上品さや、オードリーが日向坂を評するときによく口にする「育ちが良い」という側面などからも分かるように秩序も持ち合わせています。
さらには、「陰」の雰囲気があるオードリーに対し、日向坂全体で見ると「陽」の雰囲気があって補完的な関係になっているため、これらのことからオードリーと日向坂の両者の相性がよく、お行儀が良すぎて退屈なわけでもなく、かといって刺激や奇抜が過ぎて食傷気味になるわけでもない、絶妙に楽しくハッピーな空間になっているのではないかと思いました。
そんな二組が織りなす「秩序と混沌のバランス」こそ「日向坂にとっての日常」である「ひなあい」の中軸であり、そこに日向坂が元来持つハッピー感を加えたものが「最も日向坂らしいこと」なのではないか、というのが個人的な考えです。
バランスを最もよく表す言葉「日向坂ならやりかねない」
「日向坂ならやりかねない」という言葉があります。日向坂のデビュー1周年記念YouTube生配信で、髙橋未来虹さんから生み出された言葉です。何度か「ひなあい」のテロップにもなってますね。
どういう文脈だったかというと、坂道研修生組の3期生3人が初めて日向坂に合流する日に「迎え入れる先輩メンバーたちのレッスン着がメイド服ドッキリ」を仕掛けられ、その3人もメイド服を着させられたわけですが、その当時について佐々木久美さんから聞かれたときのことでした。
髙橋さんはまだ加入して1ヶ月そこそこなので日向坂に「さん付け」してるのが初々しいですが、この言葉、今思うと絶妙な表現だったんだなと思います。
「日向坂ならこれくらいやるでしょ」というほど混沌としすぎているわけでもなく、「日向坂はこんなことやんなくない?」というほどには秩序立ちすぎてもいない。
「そっかー、日向坂だもんなー、あり得なくもないなー」という、意外性はあるけど蓋然性もそれなりにあるような、絶妙なバランスの雰囲気を日向坂が持っていることを示す、非常に簡潔でインパクトのある言葉ですよね。
秩序があって、でも混沌も愛する文化だからこそ「やりかねない」という表現になる。いっそ、日向坂の価値観というか、行動指針として定義してもよいくらいにピッタリな言葉の気がしています。なにか行動に迷ったときには日向坂ならやりかねない方を選ぶ、みたいな。
予想:カオスを含む「日向坂ならやりかねない」曲が新たな代表曲となる
「日経エンタテインメント!日向坂46 Special 2023」のインタビューで、佐々木久美さんはこう話していました。
では、そんな未来の代表曲はどのようなものになるのでしょうか?これまで述べてきたことを総合して予想してみると、
現状のハッピーをベースにした秩序ある楽曲に、
「日向坂ならやりかねない」と感じられるカオスがバランスされると、
それが「最も日向坂らしい曲」となり、大躍進を生むのではないか
というのが個人的な見解です。
「そのカオスさって具体的になんだ?」と言われると定義が難しいですが、普段「ひなあい」を見て僕らが感じているような、ぐちゃっとしたことをむしろ愛してみんなで楽しむような集団的な雰囲気で、「日向坂ならやりかねない」と思えるような遊び心がふんだんに含まれた曲になるんだと思います。それが表現されるのは歌詞なのか、曲なのか、編曲なのかレコーディングディレクションなのかは分かりませんが、MVではなく完成した楽曲そのもので表現されているといいんだろうなと思います。実は1-4thまでにヒントがあるんじゃないかとも思っていますが、それはまた次の記事で書く予定です。
何らかの形でカオスさが表現されたとして、次は「大躍進」がどう定義されるかというと、ざっとこんな感じのイメージです。
定量的な観点
MV 再生回数速度が過去最大よりも数倍から十倍のオーダーで伸びる(絶対値の大躍進)
Billboard チャートで長期間、上位ランクインする(相対的プレゼンスの大躍進)
定性的な観点
子どもたちが公園で歌ってる
音楽番組で「最新曲がバズりまくりの日向坂46」という感じで紹介される
人に「日向坂が好きなんです」と言うと「あー、◯◯でしょ」とその曲名がまず出てくる
こんな未来が作れたら、メンバーが望む「おひさまの輪をもっと広げる」という目標がきっと実現されていると思います。
まずメンバーがその曲に一番グッとくる必要があるのでは
さて、そんな感じで未来の代表曲について予想してみましたが、個人的にはもう一つ大事な要素があると思っています。それは「メンバー自身がその曲にグッときている」ということです。
冒頭で引用したキム・ミニョンさんのインタビューの一部を再掲します。
これを日向坂の楽曲に置き換えたとき、まず誰に一番グッとくる必要があるのかと考えると直感的には日向坂のファン、つまり「おひさま」になりそうです。しかし個人的には、実はまずメンバー自身なんじゃないかと思っています。
実際のところ、日向坂の楽曲の一番最初の顧客はメンバー自身だと言えます。メンバーは完全なるゼロイチを担当するのではなく、仮歌までが入った原曲をもとに「1→10」に仕上げるのが役割で、おおよその完成形を最初に受け取る立場だからです。そんな最初の顧客である日向坂のメンバー自身が心からグッときていないと、その楽曲にグッとくるファンもやはり多くならないと思いますし、大きなうねりも生まれないんじゃないかというのが僕の予想です。だからこそまず、日向坂の曲ならば「いかにも日向坂の曲だ!」とメンバー自身にヒットし、メンバー自身にグッときていることが大事になるんじゃないでしょうか。「青春の馬」が一つのカップリング曲という立場を超えて日向坂にとって特別な意味を持つような曲となっているのも、メンバー自身の心に深く刺さっていたことが大いに影響しているのではないかと推測しています。
さらには、メンバー自身がその曲にグッときているかどうかは意外と客観的に分かる気がしています。仕事で自社の新製品等について顧客インタビューなどをやったことがある方ならピンとくるかと思いますが、その曲について「感情で喋っているかどうか」です。
どんなに美辞麗句を並べようとも、分析的・評論的な客観的視点で喋っていたらそれはその人には全く刺さっていません。逆に、どんなに語彙が乏しくても、感情が溢れ出て主観的に喋っていたらそれはその人に激刺さりしています。
分析・評論的な例(客観的、刺さってない)
「すごく便利だと思います!」
「この機能は◯◯な人とかめっちゃ使いそう!」
「デザインもおしゃれです!」
「絶対流行ると思います!」
感情的な例(主観的、刺さってる)
「すごー!」
「うわー!」
「え、やば」
「こっちもいいけどこれには勝てんよね」
前者は一見すると高評価のように見えますが、よくよく聞くと「誰かにとって」とか「一般的に見て」という視点で話してしまっていて、「自分にとって」じゃないんですよね。でも言ってることはポジティブだしテンションも高かったりするので、インタビュアーとしては「お、これならいけそうかも」と惑わされやすい。でも本当に刺さっていたら語彙って減りがちです。あなたがめちゃくちゃウマいもの食べて飛びそうになったときを想像してみてほしいんですが、第一声が「うめぇ!!!!」にはなっても、「◯◯と□□のハーモニーが絶妙ですね」にはならないんじゃないかと思います。感情が整理されないまま思わず言葉に溢れ出ちゃってるような状態が「刺さってる」ってことになります。
そんな感じで、カオスみがありつつ、メンバーからまず感情的な言葉が飛び出るような曲がきっと、未来の代表曲になるんじゃないかと予想します。
改めて日向坂の魅力を言語化してみる
個人的になんですが、もともと日向坂の魅力はとても繊細で、言葉にするのが難しいものと思っていました。実際、メンバー自身も「ハッピーオーラ」という言葉に希望と葛藤の両方を見出し、
「ハッピーなのは他のグループも同じだよね」
「元気さ、明るさは他のグループにもあるよね」
「そもそも醸し出すものだし、自分たちで言うことなのかな」
と、そのアイデンティティの表現に苦しんでいた過去もあると思います。
そんな日向坂の魅力ですが、ここまで述べてきたようにただ一つのわかりやすい言葉で表されるというよりは、ハッピーであり、秩序があり、しかし混沌さも愛するという重層的なところにあるのかなと感じました。なのでそれらをまとめて、エレベーターピッチ風にこんな感じで表現してみました:
日向坂46というアイドルグループは、
持ち前のハッピーさで見る者の心をぽかぽか温かくして笑顔にし、
安心して見ていられる秩序と、
ワクワクさせて飽きさせない混沌さをバランスよく持ち合わせている。
(※ご指摘いただき、確かにこの世のすべてのグループについて深く知るわけではないのに適切な表現ではないなと思いましたので「他のグループと違い」という文言を上記から削除しました)
あるいはもっと短く簡潔に表現するならば、坂道であること自体が秩序を意味するとして、
「日向坂46はハッピーカオスである」
といったところでしょうか。
個人的に感じている日向坂の魅力を表現するにあたって、今のところこれが一番しっくりきています。あくまで個人的な観点ですけどね。
自分はアイドル界隈に興味を持ち始めてもう14年ほど経ち、メジャーグループから地下アイドルまでいろいろ見てきたんですけど、たいていどのグループも長くて2−3年ほどで興味が薄れてしまっていました。そんな中で日向坂はもうファン歴が8年になり、顕著に長いです。これだけ長く興味を持ち続けられているのも、この「お行儀が良すぎてつまらなさすぎることもなく、かといって奇抜すぎて飽きちゃったり見るのにハラハラしちゃうこともない」という、重層的なバランスが自分にとって絶妙にちょうどいいからなんだろうなぁと改めて思いました。
まとめ
ハッピーに帰ってきた日向坂がさらなる大躍進を見せるには、「最も日向坂らしいこと」がカギになるのではないか
そんな「最も日向坂らしいこと」は「ひなあい」という「日常」にあるのではないか
それは「秩序と混沌のバランス」、つまり「日向坂ならやりかねない」なのではないか
ハッピーをベースに「日向坂ならやりかねない」楽曲が新たな代表曲になると思う
日向坂の魅力は単一の言葉ではなく、重層的な表現でこそ伝えられるのかも
ということを述べました。
未来の代表曲についてはあくまで個人の予想なので、外れたら笑ってやってください。日常を今回は「ひなあい」としましたが、ここはいろんな切り口があると思います。「楽屋での姿」がそうなのかもしれませんし、色んな要素をつまんで日常としてまとめることもできるかもしれません。
なんにせよ、日向坂にはこれまでの結果をそれこそ誤差にしてしまうかもしれないほどの爆発力がまだまだ眠っていると思っています。そんな瞬間に立ち会えるように、体調を何とかしながらこれからも応援し続けたい所存です。
ご意見・ご感想などあれば、ぜひお気軽にコメントまでよろしくお願いします。
余談
「ひななりのモノマネ回」では全然気づきませんでしたが、「夜明けのスピード」の山下葉留花さんの歌声にめちゃくちゃシビレました。めっちゃ好き。そんなんもできるんかい。歌も伸ばしていってほしいなぁ。
小西夏菜実さんもキレイな歌声してるなと思うし、清水理央さんもガールズバンドのボーカルみたいな青春感のある歌声だし、もちろん藤嶌果歩さんもいるし、四期生は歌の面でも楽しみが多いですね。
「日向坂ミュージックパレード」では歌う姿も多く見られると思うので、早く見れるようになりたいなぁ。
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