3

大人になるにつれて、歳を重ねるにつれて、誰かを本気で好きになることへのハードルが上がっていく。安全圏で勝負したくなってしまう。自分のことを好きかどうか分からない人に好きの熱量をぶつけることにリスクを感じてしまうのだろう。

若い頃は、それで失敗したとしても次がある。何度も何度もある。そう思えた。大人になっていくと、そう何度もあることにように思えなくなってくる。だからどんどんと臆病になり、好きという純粋な気持ちが発生しても殺してしまう。本当は伝えるべきなのに、伝えることができなくなる。相手も自分のことを好きかもしれない、という何か確信めいたことがないと、心から好きになれない人も多いのだと思う。本気で好きになってしまうとことで、取り返しのつかないこともあるのだ。

僕はというと、誰かを好きになる際、少しこわいなという気持ちが介在するようになってしまった。ありがたいことにいろいろなメッセージが届く。こわい気持ちがあまりないのだろうか。でも、気軽に好きとも言えないレベルの、本当に、心から好きになってしまった場合、そんな臆せずにメッセージを飛ばせるものだろうか。

数年前だが、久々に好きな人ができた。結果的には片思いだったし、最後は振られてしまったのだが、ロジックを超えて感情で好きだった。思うに、ロジックではここまで好きになれない。相手のここがいいから、とか、ここにメリットがあるから、みたいな感じで付き合ったとしても、すぐに別れてしまう。そういう理論を超越して、「なんかよく分からないけど、好きだ」と直感で思った時の方がいろいろと長続きするように思う、個人的には。

彼に対してはまさに直感だった。初めて会った時も、居酒屋に行った時も、なんだかこの人のこと好きだなぁとぼんやり思っていた。2回目か3回目に会った時、僕らは映画館に行った。なんの映画を見たのかよく覚えていない。邦画だったと思う。映画の内容より、隣に好きな人がいて、物理的に手が届く距離にいることに常時思考が奪われた。胸がそわそわしてどうしたらいいか分からなかった。思い切って手を繋ごうか、でもいきなりそんなことをやると嫌われるだろうか、なんて考えながら、時間がぬるりと過ぎていった。

途中、一度だけ、手に触れてみた。でもほんの一瞬の出来事で、僕も彼も反射的にすぐに距離をつくってしまった。東京の映画館には、こんな曖昧な関係のふたりがたくさんいるのだろうかと思った。

なぜ彼のことを好きになったか分からない。分からないけど、いつに間にか完全に好きになってしまったのだと思う。ある日、キスをした。彼が上で、僕の中に舌を入れてきた。とろけるような気持ちよさで、こんなに相性がいいこともあるんだな、と思った。僕は太ってる人が好きのゲイなので、これまで人並みに経験はある。その中でも信じられないほど気持ちよかった。

キスをしたり、それ以上のこともした。彼の普段は人に見せない顔を見て、僕も普段は隠してる顔を見せた。ふたりだけの空間、ゆるやかに流れる音楽。全身をあらわにした状態で何度もキスをした。その日が何曜日だったか、何時だったかも分からない。帰る場所なんて存在せず、ずっとこのままでいれたらいいのに、と何度も思った。

それからもう合計で10回は会っていたと思う。途中、「今のところ恋人的な好きではない。でも今後関わっていく中で変わるかもしれない」と言われて、その言葉を日々の中でゆっくりと噛み砕いていった。どうやら僕は彼のことを恋愛的に好きだが、彼は僕のことを恋愛的には好きではないみたい、という事実。最後、文面でも言われた時、視界がぐらりと揺れ、胸がぎゅーっと深いところまで痛んだ。心が傷つくってこういうことだよな、と思った。久々の感覚に懐かしさすら覚えた。

不思議なことに、今はもう当時のような感情はない。新宿二丁目で彼と偶然会った時も、何もなかったかのように話をすることができた。時間をかけて彼との出来事は思い出になっていったのだと思う。

それにしても、彼の言葉や態度を振り返ると、僕のことを少しでも好きなんじゃないかと期待してしまう瞬間があったように思う。それがあったので僕も賭けに出た。気持ちを膨らませて、遠回しに想いを伝えたりしたのだ。しかし結果は違った。大人になって、誰かを好きになるのにはリスクがあり、取り返しのつかないケースに発展する場合もある、という言葉を思い出す。傷つき方も、若い頃と比べてより深刻になる。お互い同じ熱量で好き同士というのは、実は奇跡に近いことなのだ。

でも、こういう経験をしても、今では彼に感謝をしている。そもそも好きという尊い気持ちにさせてくれてありがとう、という感情がずっとあり続けている。誰かを好きになる、というのは、年中発生するイベントではない。実際僕も数年ぶりだったし、あれから数年が経っても、あの感覚の好きはなかなかなかった。めちゃくちゃ好きで、愛してる、という感情は、そんなに高頻度で出てくるものではないのだ、きっと。

誰かを好きになるのが怖い、という人も、取り返しがつかなくなってしまうのが嫌だ、という人にも共通してることがある。それは勇気だ。好きという感情は尊い感情であり、お金では買えない。ありがたいを漢字にすると有難い、であり、有ることが難しいからこそありがたいのである。好きという気持ちは尊くて、ありがたいこと。あと必要なのは勇気だけだと思う。

その感情が、気持ちが、叶うかは分からない。残酷なことを言うと、きっとほとんどは叶わないのだと思う。世の中、叶った想いと叶わなかった想いを比べると、叶わなかった想いのほうが物量的に絶対に多いはずだ。成仏できずにそこらじゅうに浮いているのかもしれない。

でも、じゃあ怖いから、とか、叶わないから、という決めつけで好きな気持ちを殺してしまうのも違うと思う。せっかく湧き出たそのありがたい感情は、大切にしてあげた方がいい。僕もまた誰かを好きになったり、振ったり、振られたりすることもあるだろう。そうやって、強くなってるのか弱くなってるのかよく分からない曖昧さでどんどん大人になっていく。結ばれないこともあれば、結ばれることもある。届く思いもあれば、届かない思いもある。大事なのは、自分の気持ちであり、その気持ちを殺さないことだ。僕はなるべく素直に、正直に生きていきたい。愛してるものがあれば、愛してると声を大にして伝えたい。たとえそれが届かなかったとしても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?