見出し画像

社長と半ニートは同じベンチに座る

散歩:15561歩。

私がまだそれなりにちゃんとした会社で真面目に(?)週5日8時間働いていた頃、会社には社長と呼ばれている人がいた。
この社長なる人物に会ったのは最終面接と内定式くらいのもので、あとはどこで何をしているのか分からんがとにかく偉い人、という程度の認識だった。あとは似た顔をした役員やら幹部やらが頼りないボディーガードみたいに緩慢な動作でくっついていた。

今働いている農場にも社長と呼ばれる人がいる。
高価なスーツの代わりに泥だらけの作業着に身を包んで、1日中市場と現場を走り回っている。本当にいつ休んでいるのかも分からないし、じっとしているのを見たことがない。昼食の時も何かの資料らしきものを食い入るように見つめ、近くで食事をとっていた運の悪い社員さんは意見を求められていた。
動作もそうだけど喋るのもやたら早くて、体のどこかを常に動かしていないとこの人は窒息死してしまうのではないか、と思ったくらいだ。マグロみたいに。

そんな忙しない社長と少しだけ動きのない時間を過ごした。
私はその時日当たりのいいベンチでパンを齧っていて、その隣に社長が座ってきたのだ。何か話すのかと思って身構えていたのだけれど、社長は事務所と海の間にあるバイパスをぼんやり見ていた。私もそれに倣った。

「流木くんはいつもここでご飯食べてるね」と社長が言った。
「日当たりがいいので。あとはたまに海のほうで食べてます」と私はバイパスの向こうを指さして言った。

それを皮切りに私は社長となんでもない話をした。社長の新婚旅行の話とか(どういう流れでその話になったのか覚えていない)、お子さんの話とか、サッカーの審判をした話とか、少なくとも仕事とは関係のない、真昼の日当たりの良いベンチの上で交わすにふさわしい話だった。
そして話を聴いていると、どうやら社長は貴重な休みである日曜もイベントやら何やらで1日中動き回っているらしかった。

「そんなに働いてたら体壊しちゃいますよ」私は言った。
「でもじっとしてるほうが辛いよ。何かしてないと落ち着かない」と社長。

半ニートと社長ともなるとこうも違う。
というか、根本的なバイタルの値そのものにとてつもなく大きな差がある。
これが先天的なものなのか、あるいは経験や積み重ねによって広がりを持つ物なのかはいまひとつ判断がつかないのだけれど、それだけ動けるのは素直に凄いと思ったし、「じっとしているのが辛い」と思う人にとって世界は一体どう映っているのか純粋に興味が湧いた。とても実践はできないけど。

私がこれまで関わってきた人の中にも、動くのを止めたら死んでしまうのではないかというくらいアクティブなタイプは何人かいた。何か達成したい目標があってひたむきに努力している人もいたし、エネルギーの充填が早すぎるあまり自壊してしまうのを防ぐために無軌道にバイタルを放散させている人もいた。社長はどちらかといえば後者で、もちろん会社の成長という目的はあるのだろうけど、根っこのところでは持て余しているエネルギーをそちらにつぎ込んでいるだけのように見えた。お金を求めて動いているのではなく、放熱の結果としてお金が発生しているだけのような構図。

そういう人もいるのだと、むしろ社会をぶん回している「主役」はそういう傾向の人たちなのだと、低消費無生産な半ニート生活をしているとよく思う。

こんなんでも30年近く生きてきたのだから、自分が社会に対してどの程度働きかけられるのか(あくまで相対的に)は理解しているつもりだ。
自己憐憫でも自己否定でもなく、私はそういうアクティブな人たちが生み出した大きな流れの少し外側で、静かにもぞもぞしているくらいが丁度いい。


「よし、働くぞ」と社長は言ってベンチから立ち上がった。

「い、いやだぁ」と私は言った。
心の中で、心の底から。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?