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ライバルに恋する少年たちー「ブルーピリオド」ー

「ブルーピリオド」はリア充高校生の八虎がある日、美術に目覚め、東京藝大を目指す物語だ。

友だちと渋谷でオールし、髪は派手に染めている。一見、不良の八虎は、成績が良くまじめに勉強する優等生でもある。

しかし、どんなことでもある程度人よりできてしまうことから、逆に何かに夢中になることができなかった。そんな時、初めて、絵と向き合う楽しさを覚え、それから毎日、とんでもない量の絵を描き始める。

そして、目標を藝大にしてから、さらに絵が上手くなる八虎は、あっという間に美術部全員を抜き去り、美術の予備校に通うようになる。

そこで出会った真の天才、世田介との出会いで、更に絵にのめり込むようになる八虎。

作中に登場する絵画が、すべて、藝大卒である作者の友人からの提供である本作はまるで本当の藝大受験を体験するかよようやリアリティがある。なにせ、藝大卒の作者が、美大受験の現場を描くのだから、説得力が違う。

世田介の言葉に傷つき、八虎が、「俺の絵で全員殺す」と泣きながら筆を動かすシーンは胸を打たれる熱さがある。

目標とするライバルの言葉に傷つき泣くほど悔しくなる主人公は、見た目のリア充さの反面、傷つきやすい繊細な一面がある。というよりも、純粋でまっすぐだ。

私は、この物語を読んでいて、「ヒカルの碁」を思い出した。「ヒカルの碁」は、ヒカルが藤原佐為という天才囲碁棋士の霊にとりつかれたことで、塔矢アキラというライバルに出会い、囲碁にはまり、やがてプロ棋士になる物語だ。

ヒカルも八虎と同じように囲碁にハマる前は、何かに夢中になれるものがなく日常を過ごしている。髪は前だけ金髪という名前が同じユーチューバーのヒカルを先取りしたかのような髪型だ。髪型だけ見れば、やはり彼も八虎と同じように友だちの多い陽キャのリア充だろう(作中ではそのあたりは特段描かれてないが、コミュニーケション能力は高い)。

この2作品には、ひとつの大きな特徴がある。それは、青春を描いているにも関わらず、主人公は異性に全く関心を持っていない点だ。

どちらの作品にも魅力的な女性は登場するのだが、八虎もヒカルも、全く興味を示さない。作中で彼らが、LGBTであることが示されることはない。単純に彼らには、思春期男子の最たる特徴である異性に対する関心が消えているように描写される。

彼らにとって、最も重要なことは、夢中になれることに全力を尽くすことで、自分より上をいくライバルを追いかけることなのだ。そこには、本来、恋愛に向かうべきエネルギーがそのライバルに向けられているかのように見えるほど、一途なものがある。

八虎は世田介を、ヒカルはアキラを追い続ける。「ブルーピリオド」の最新10巻では、八虎が世田介と渋谷でオールする姿が描かれる。今まで、分かり合えない世界にいた2人が、互いに少しずつ歩み寄るシーンだが、八虎はまるで片想いが少し報われたかのように喜ぶ。

「ヒカルの碁」でも、まるで恋愛のようにヒカルとアキラがお互いを意識し合い、高め合う姿が描かれる。

この2作品の作者は、「ブルーピリオド」は山口つばさ、「ヒカルの碁」はほったゆみと、女性が原作だ。※「ヒカルの碁」の作画は男性の小畑健。

2作品ともに陽キャのリア充主人公という特徴があれど、彼らが恋愛にうつつを抜かすことはない。現実世界では、思春期男子で彼女がいなければ、かなり辛いし、リア充でもないはずだが、彼らがそのことで自らのアイデンティティを失うことはない。なぜなら、異性への関心自体、描かれることはないからだ。

もちろん、主題が「絵」や「碁」にあるため、読者の気をそらす余計なことは描かなかったともいえるのだが、青春漫画なのにそのことを全く描かないことが、逆に気になってしまう。

そして、彼らは、恋の代わりにライバルへの熱い執着を見せる。私は、八虎やヒカルは、女性が描く美化された理想の少年たちだと思う。彼らの純粋さ、そして汚れのなさは、決して男性には描けないものではないだろうか。

恋をするようにライバルを追いかける少年たち。それは、「ちびまる子ちゃん」で描かれる大野くんと杉山くんのような少女の夢見る少年の理想的な関係なのだと思う。