見出し画像

家庭訪問の日の朝に見つけた、いろんなもの

今日は、次男の家庭訪問です。
だから仕事は一日お休みしました。

掃除は当日の朝にやればいいや〜と、結局前回のお休みの日には何もせず。

もともと物は少ない方なので、1時間弱で終わった!

そしてついでにと関係ない押し入れの中を片付けていたら、大切ないろんな物が出てきました。



おかあさんへ
しんぱいしてくれてありがとう。
ぼくが生まれるのをまっててくれてありがとう。
たのしみにしてくれててありがとう。


小学校低学年の時に、次男からもらった手紙です。
「自分が産まれてきた時のことを家族に聞く」という宿題があって、そのあとにもらった手紙。

お腹にいる時は、無事に元気に産まれてきてくれるのかがとても心配だったことや、それ以上に会えることがすごくすごく楽しみだったことなどを話したと思います。

こちらこそ、ありがとうだよ。


そして、友達がWANIMAのライブに行った時にライブ中投げられたテープをゲットしたからと、くれたもの。

私も違うライブにその友達と行ったとき、腕に巻いてたものも出てきた。
(腕に巻くやつが、なんていう名前かわかりません💦)

もう5年も経つのかあ。
ライブまた行きたいなあ・・・。



そして、Superflyのベスト。
DVD付き。
これは、今日観よう✨

そこになぜか・・・、

試供品のバンドエイドが挟まっていました。
なんでCDの中に・・・。


そしてそして、小さなノート。


日付が書かれていないからいつ書いたものか分からないけれど、当時好きだった「設定変更」の藤本さき子さんの言葉をメモしたノート。

じっくり読んでしまうくらい、
今の私にも響く言葉ばかりでした。


全て対等という心理の視点で眺める。
人生に「分かれ道」などありません。
どっちを選んでも同じ。
人生を分けるのはあなたの「在り方」一つです。
上っ面の選択肢に優劣をつけるから悩む。
どの道も対等。
自分の心が楽しい感じがするか。
自分の心が喜ぶ感じがするか。
それだけで選ぶ。
その「自分の心に沿って生きる」という在り方が、人生を分けていくのです。
いつでも今ここが、ゼロ地点。
今ここから、スタートできる。

これまでの自分は一旦置いておく。
今、何かを決めるのにこれまでの自分は一切関係ありません。
全てを過去で決めずに、今好きなようにしていいんです。
今、ここにいる自分は、どうしたいですか?

嫌いなままで許すこともできます。
「許す」ということは、「幸せ」に不可欠です。
「許せない」ものが多ければ多いほど、それは自分を縛ります。
何かを許す時に「好き」になる必要はありません。
嫌いなまま、許すこともできます。
「嫌いだけど、別にそのままでいいよ」という「存在への許し」です。それは、「相手」に向けているようで自分自身に作用します。
しかし、自分が何かを許していない人は、ここで自分に縛られます。「こんなの許されない」と。
日常で、「あんなのダメでしょ!」「あんなの許されないでしょ!」という気持ちが湧いたら、チャンスです。
それを好きになる必要はありません。
ただ、嫌いなまま、許すんです。
私のことを嫌いな人もいっぱいいる。
けれど、私が幸せであることになんの差し支えもない。
「私は許されている」
他人を許している人は、すでに自分自身に完全に許されているのです。
どんなに嫌われても、堂々と勝手に幸せで在ることができます。
その在り方は、さらに幸せを創造します。

「書く」ことは、瞑想によく似ています。
目の前の世界を離れて、自分の内側に広がる海に潜っていく感覚です。
続けていくうちに、それはとても静かで穏やかな時間で、自分の内側にこんな聖域があったんだと驚くかもしれません。
しかし、その静かな場所から全てを見る視点こそ本当の自分の視点です。
そこからの視点を知らないまま、外側のうるさい世界に翻弄されて生きていきますか?
それとも、静かで愛に満ちる世界から自分の世界を創っていきますか?
「書く」ことは、その世界への入り口です。



片付けをしていると、いろんなものが出てきて面白いですね。
片付けているのか散らかしているのか分からない状態になっているけれど💦


さっ、午後からは家庭訪問です。
それまでは、ひとりの時間を楽しみます✨



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
今日もみなさんにとって、素敵な一日となりますように♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?