院試に落ちたから、恩師のアドバイスを曲解して電子書籍を出版した話

※今回のテキストの内容はタイトルに全て集約されております

はじめまして
根本聡一郎と申します

一昨年まではしがない大学生をやっておりまして
就職活動を1秒もしないまま大学4年の冬を迎え
いろいろあって今は電子書籍で小説を出版しています

知人にも
「根本って結局何してるの? 大学院生なんだよね?」
などと言われるのですがそのたびに
「お、おう…」
といった調子でお茶を濁していたので
この際自分にあったことを徒然なるままにここに記そうと思います

「引かぬ!媚びぬ!省みぬ!」
といったことを周囲に吹聴していた大学最終学年時代の私ですが
強気の主張をしつつも実際はなかなか悩んでおりました

3学年の終わり頃から
周囲は黒衣に身を包み東京へと高速バスで次々と出荷されていたのですが
僕はジャージを着て相変わらず沿岸部で畑の瓦礫を拾ったりしていました

東日本大震災が起きたのは僕が大学2年生の時でした
「これでいいんだろうか」と常に自分へと問いかけながら
ポケモンの育成にのめりこみ、イーブイをボックスに満載していた僕は

「ここで何もしなかったら、きっと一生後悔する」

と思い、避難所運営や沿岸部での瓦礫撤去のボランティアをはじめました

当時の喧騒の中で、僕は
「世界が分かりやすく見えた」
と思いました

自分のやるべきこと、そうでないこと
信頼できるひと、そうでないひと

今まで複雑で分からないことばかりだった世界が、
ずいぶんシンプルなものに見えました

目の前に困っている人がいる
その人のために役に立つことが、自分にとっても役に立つ
人はいずれ亡くなってしまう
その瞬間は誰にも分からない

それからは、自分のやりたいことに嘘をつかないことにしました

人や世間から刷り込まれていたものを忘れて、
自分がしたいことをすることにしました

地震があってから分かったことは、
僕は東北が、自分の故郷が大好きだったということです

東北の人々が哀しい目に遭って
福島の人々が酷い言葉に晒されて
毎日、悔しくて悔しくて
それでやっと、自分がどれだけ故郷を愛していたかを知りました

地震が起きる前は、
「就職は東京でしなくちゃいけないのかな」
となんとなく思っていました
そういう風に周りからも言われていたし、
地元にはあまり働き口がないからです

ただ、地震があってから、
僕は一生東北に住むことを決めました
仕事はないなら作ればいいんです
故郷は他のどこにもないんです

そうして東北で働くことを決めたものの、
いきなり起業するというのは非現実的ですし、
沿岸部に通いすぎた結果、
元々取ろうと思っていた教員免許の取得も難しくなっていました

いろいろ悩んだ末、僕は大学院試を受けることにしました
卒論では、玉蟲左太夫(たまむしさだゆう)という仙台藩士の思想と
その先進性について書いたのですが、
そうしているうちに「もっと深く東北の思想を知りたい」と思い
所属していた「日本思想史研究室」へ願書を出願しました

そして大学院試
ペーパーのテストは順調に回答できたのですが
最大の関門は教授、准教授との面談でした

教授、准教授は、あまり大学に来ない不良学生の自分のことも見てくれており、丁寧なアドバイスをくださいました

ただ、学部時代の僕をよく知っている両氏は、僕の性格も理解していました

「根本くんは研究に向いていないと思う」

その一言が面談の全てであり、結果の暗示でもありました

「根本くんはやりたいことがはっきりしている良い学生だと思っているけど、そのやりたいことに史実を寄せてしまっている。我々のような文献学の仕事は、骨を拾うことであって、骨を作ってしまってはいけない」

「根本くんは論文ではなくて、小説を書いた方がいいと思う」

お二人の言葉は一言でいえば「研究者としては失格」という意味で
その言葉を聞きながら、自分は日和っていたと思いました

要するに僕は逃げ道として「研究室」を選ぼうとしていたのでした

教授たちにはその僕の考えが見透かされていて、思い描く理想に、物事を寄せて創作してしまう自分の特性も見抜かれていました

(こう書きながら改めて、自分は研究者にしてはいけない人材だと思います)

面談を終えたあと、僕は本屋でアルバイトをはじめました
感触的に院試は間違いなく落ちていますし
卒業後は大学時代から続けているNPOの活動を継続して行うつもりだったのですが、その活動だけでは凡そ食べていけるだけの収入は作れそうになかったからです

慣れないレジ打ちのアルバイトをしながら、毎日たくさんの本を見、
案の定落ちていた院試の通知を眺めながら、
「これからどうしようかな」と思いました

自分のやりたいことの方向性は決まっていて

東北のために仕事をすること
人のために働くこと

この二つが自分の軸でした

そんなことを考えながらアルバイトをし、
毎日様々な小説に触れているうちに、
准教授から送られたアドバイスを思い出しました

「根本くんは論文ではなくて、小説を書いた方がいいと思う」

今思えばこの言葉は
「お前は小説家になれ‼︎」
という激励ではなく
「研究者はやめとけ」
という助言なのですが、フリーター生活で疲弊していた自分には、それが導きの言葉に感じられたのでした

それからはアルバイトの合間に小説を書き始めました
舞台は東北で、テーマは「死」にしようと思っていました
ただその「死」は残酷でリアルなものではなく、
優しく、それでいて身近なものにできればと思いました
東北の人たちに、残酷でリアルな死は「もうたくさんだ」と思ったからです

その頃には、あの地震から2年が経過し、
東北への関心も、ずいぶん引いてしまっていると感じていました
「つらいこと」「悲しいこと」を何度も聞かされると、自分が責められているような気持ちになり、聞きたくなくなることがあります
メディアの震災報道の一時的な過熱は、東北を「悲しい場所」にし、
その結果、東北とそこで起きていることから、距離を置く人が出ているのではと思いました

だから僕は、東北から「救われる物語」を書こうと思いました
ただただ悲しい話でなく、奔放に楽しい話でもなく、
つらいこと、悲しいことがあっても、読んだ後には前を向けるような、
一筋の光明が見えるような物語を作ろうと思いました

そんな物語を作ることで、読んだ人の気持ちが楽になれば、
少しでも東北に、また関心が集まればと思いました

そうして小説を書いているうちに、自分が所属するNPOの代表が
「根本最近小説書いてるんだよね? これ貸すよ」
と言って、電子書籍を出版する方法を紹介している本を
僕の机にどさりと置いていきました

完成間近ながら100ページ程度の文量だった僕の小説は、
いきなり紙にするには迫力がなく、
どうやって発表するかをちょうど悩んでいたところでした

電子書籍の良いところのひとつは、分厚くなくとも出版できるところです

本屋店員をしていた僕は、本を売る際に「厚さ」という要素が
どれだけ重要かを感じていました

本屋の棚に、表紙の見える状態いわゆる「平積み」で置かれる本はごく一部で、人気のないものはすぐに本棚に背表紙しか見えない状態で陳列されます
こうなると「本の厚み」というのは存在感を示す上で非常に大切で、
最低でも300ページほどの厚みがなければ、人気作家でないかぎり
その著作は簡単に書籍棚の中で埋れてしまうのです

そういった諸々の事情を考えた結果、僕は書籍を参考にしながら見よう見まねでAmazonの電子書籍ストア「Kindle」で小説を出版することにしました

書籍の中で紹介されていた電子書籍作製ソフト「Sigil」を使いこなすのは
なかなか難しく、作成後調べ物をしていたところ
「初心者にSigilを勧めるのは鬼畜」
という2ちゃんねるのレスがあり、なかなかキツい作業をしていたのだなと思いました

そうして紆余曲折ありながら、現在はNPOの仕事を続けつつ、
2作の電子書籍を出版しています

これからは3作目の作品を執筆しながら、
こちらに電子書籍を出してみての経験談や、役に立つと思った情報、
自分が描いた短編小説などを投稿していこうと思います

いろいろ実験していきますので、見守っていただけるとありがたいです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?