自己責任どうのこうのを斬る


なんやら死に関する夢を見て
起きたら妙な考えがモヤモヤと貼りついているので
とりあえず書いてしまう。いや、直接に死とは関係ない話だけど。


先日TwitterのTLで、自己責任論について触れる人を2~3人見かけた。

おそらくあれらは何かのメディア(人物)の発言に対してのコメントなの
だろうけど、私は元本を見ていないので、以下はそれとは違う方面の話です。


私も最近に、身近な人(といっていいのか微妙だが)が
「自己責任」という言葉を使うのを聞いた。
聞いた瞬間は確かにイヤな感じがしたけれど
今考えると、「あれはあれで仕方のないもの」としか思えなかった。

その人は家を支えるために仕事を時に2つも3つも抱え、
おそらく自分の自由になる時間や睡眠時間をほとんど持っていない。
その状態で、家族の誰かが新たに体調を崩すと仮定する。
「誰かを介抱する側になれば働き手はいなくなるし、
 当人が働き続けるならば介抱する人間がいない」ということ。

当然、上記の生活状態を見れば
身内を長期入院させたり、介護施設に預けたりするだけの
金銭的余裕は無いんじゃないか
とも想像する。

だからあの「自己責任」は、
「今の状態でもう手一杯だから、せめて自分のことぐらい自分で管理しろ」
という意味の、線引きというか、悲鳴のようなものですらあるんじゃないかと。

勿論、言った当人は、苦境に置かれたのも自己責任と断定したことになるし、
自身が誰かに助けを求める可能性も否定していることにはなる。

「ここへ来たのは私の選択だから」という意味での解釈ならそうだけど、
彼女がここまで生きてくる上で、どんな悪行をしたというんだろう??
保身のための嘘や打算、ときに感情的になって暴言を言う程度は
生きている上では多少はするものだろうけれど、
それの報いが今の状態だというのなら、少々不釣り合いじゃないか。
軽度の過ちをしながらも、一般水準の家庭生活を送れている所はいくらでも
ある。

だから「自分のしたことが返ってきている論」にも
同時に疑問を覚えざるを得ないのだけども。

もちろん後半のほうは
完全にその人の生い立ちを知らないので
無責任な推測でしかないのだけどね。


低所得層の食生活どうのこうのも今話題になってはいるけれど、
それよりも、
「もう少し ゆとりのある人間なら出来たはずの考え方が出来なくなる」、
(ように周りからは見える)という意味では貧困は悲しいこと
なのだと思う、
それでいて周囲からは、性格がキツいと誤解されたりするのだから。

誰か彼女にまっとうに感謝したのだろうか、ということは
実は ぼやーっとなんとなーく気掛かり。
周りにいる人はそこまで無骨でないので、しているだろうとは思うのだけど。


ゆっくりと自分の時間を持つことができたり
生活費を維持することがそれほど困難ではない層が、
下層に対して「自己責任」を振りかざすのは確かにいただけないという事
だろうけど、世の中は必ずしもその形だけじゃないような気がするよ、
という話でした。


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