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友と呼ばれた冬~第19話

 自分が尾行されていたと分かったら大人でも恐怖を感じるものだ。今になって怖くなったのか千尋の足の震えは止まらなかった。あの時、千尋はすぐに俺の所へ戻ってくれた。いつだってこの子は自分の事よりも他人を思いやっている。

 俺はどうだ?
 
 タクシーの窓に反射した醜く歪む男の顔が憐れむようにこちらを見ていた。

 ”まるで尋問のようじゃないか”

 そう言われているような気がした。

 ”優しさをはき違えないようにしているだけだ”

 即座に言い返すことが出来ない自分に戸惑ったが、自分を俯瞰する気分にはなれなかった。ただ知りたい。今の俺はその思いに支配されていた。

「大野の失踪後に、おばあさんが大野に電話をかけていた様子はあったか?」
「心配で何度も電話をかけてみたって……」

 千尋と別居していることや北新宿に引っ越したことさえ会社に報告をしていなかった大野が、義母の家の電話番号を会社に伝えていただろうか。

 大野の携帯電話の電源が入れば、電源が切れていた間に着信のあった俺や千尋、千尋の祖母の番号の履歴がSMSで送られてくるはずだ。大野が電話帳に登録していなくても番号自体は知られてしまう。
 GPSアプリで千尋の居場所を確認するにしても、ペアレンタルコントロールを設定した大野の携帯電話が必要になる。
 おそらく大野の携帯電話は第三者の手にあるのだろう。

 千尋が15分早く到着したことがあの男にとっては行幸だった。
 GPSアプリを使えば千尋の動きは追えたはずだ。千尋の現在地が祖母の家から移動したことを確認してから電話をかけ、祖母から千尋の行き先を聞き出せばJR中央線を使って新宿駅で降車することは予想がつく。千尋が15分もの間、東口の前で動かずに俺を待っていたのなら、GPSを見ながら千尋を見つけることは難しいことではない。

 あの男が千尋の顔を知っていたのであれば。

 あの雪の夜、視界は悪かったかもしれないが千尋と俺が何者かに見られていた可能性は高い。しかし誰かをターゲットにする場合、探偵のように訓練を重ねた者でも写真やビデオで人相を脳裏に焼き付けておかないと不安は残る。別人を尾行していたなどと言うミスは取り返しがつかないからだ。

 もし千尋の顔を会社の行事で何度も見かけていた、あるいは行事の写真に大野と千尋が写っていたとしたら。
 あの男は大野と同じ新宿営業所のドライバーなのではないか? 雨の中、立ち去っていく男の足元を思い浮かべながら俺の推測は確信へと近づいていた。
 

 千尋の顔が知られているとわかった以上、今日みたいな事がまた起きるかもしれない。

「あの男の身元が分るまで学校を休んで家に居た方がいい。大野に少しでも自由があるなら何らかの方法で連絡をとるはずだ。それがないということは、大野の自由は完全に奪われている……」

 俺は言葉に詰まった。

「誰かが大野の携帯電話を手に入れていれば今日の出来事に説明がつく」

 千尋は何かを言いかけたが、唇が切れるほどに噛んで言葉を飲み込んだ。

「俺は大野に巻き込まれたと考えていた。だが今は違う」

 小さな拳が俺の左肩にぶつけられた。

「父のことは友達じゃないって……」
「すまなかった。今は俺を頼ってくれた大野を助けたい。本当だ」

 俺の言葉は虚しく響き、耳障りな雨音にかき消され千尋に届くことはなかった。

「不規則なタクシーの仕事をしながら父は私を必死で育ててくれた。でも私は父の負担になっているんじゃないかっていつも思ってた。祖母の家に行きなさいって言われた時、何か理由があるのはわかっていたけど、これで父の負担にならずに済むって言い聞かせて逃げたの!父が助けを求めていたかもしれないのに!」
「もういい、わかった」
「わかってない!わかってないよ!」

 俺は間違っていた。この子はたくさんの愛情と同じくらいの苦悩を抱えていたのだ。 

 天沼陸橋が見えてきて俺はドライバーに陸橋手前を左に入るように指示を出した。所在なさげに運転していたドライバーは黙って左にウィンカーを出した。


「子ども扱いして悪かった」

 千尋は嗚咽しながら真っ赤な目を向けてきた。

「もう逃げないって決めたんです。だから」
「君に万が一何かあったら大野が戻ったときに……、あいつにまで殴られるのはごめんだ。だから言うことを聞いてくれ。頼む」

 千尋の動きが止まった。両手で顔を覆って泣いていた。

「頼む。四六時中、君を守ることはできない。今日遭ったことを冷静に自分で考えてみるんだ。これからどうすることがベストなのか。」

 祖母の家に着くまで千尋は黙っていた。

「真山さん、父を見つけてください。お願いします」

 絞り出すようにそう言って降りると振り返ることなく家に入っていった。まるで俺を閉め出すかのように頑丈な門が静かに閉められた。


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