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友と呼ばれた冬~第16話

 梅島と話すこともなく新宿営業所を出たのは15時少し前だった。明治通りは相変わらず渋滞しているが待ち合わせ時間にはまだ時間があった。

 大野のアパートをもう一度調べる時間はある。諏訪通りでタクシーを拾い、そのまま小滝橋まで出て小滝橋通りから北新宿へ向かった。明治通りと違って渋滞はほとんどなかったが、消防署から救急車が出動するタイミングに当たってしまい少し足止めを食らった。新宿は昼でも夜でもサイレンが途絶えることはない街だ。

 木造の古びたアパートは雨に濡れて一層みすぼらしく見えた。周囲を歩いてみたが監視をしているような不審な者は居なかった。集合郵便受けには新たに不動産屋のチラシが増えていたが、201号室のポストが開けられた様子はない。

 こんなアパートに住む住人に分譲マンションのチラシを入れたところで、絶望を加速させるだけだろうにと毒づきながら、千尋から預っている合鍵を鍵穴に差し込んだ。

 鍵が差し込みにくい。鍵穴を調べてみると無数の傷がついていた。

 ピッキングは映画のように針金を差し込んで2、3回動かせば鍵が開くなどということはない。専用のツールを使って指の感覚を頼りに鍵穴の中のピンを外していかなければならない。鍵の種類にもよるが訓練を重ねても解錠には最低5分ほどかかる。その作業をするとツールの金属と鍵穴の金属が擦れて無数の傷がつく。

 ハンカチを取り出してドアノブを握り、回してみると思った通り鍵はかかっていなかった。ゆっくりとドアを開けるとタバコの臭いが混ざった湿った空気が流れてきた。

 緊張に身体が強ばった。勢いよくドアを開けたが室内には誰も居ない。荒らされているわけでもなく以前来た時と何も変わっていないように見えた。床を見たが土足で入った様子はない。玄関のたたきは乾いていて侵入者が居たとしても時間が経過していることを意味していた。

 靴を脱いで部屋の中へと入った。本棚も飾ってあった写真もそのままだ。本棚に置いてある小さな引き出しの中に大野の健康保険証と印鑑を見つけて回収した。これがあれば千尋が新宿警察署に失踪届を出すことができるはずだ。 
 シングルベッドに塞がれる形の押し入れの戸がわずかに開いていた。前も開いていたか思い出そうとしたが記憶になかった。押し入れを開けてみると段ボール箱が4個と衣装ケースが2つ入っていた。特に変わった様子は見られない。

 あの夜、俺は鍵を閉め忘れたのだろうか?もともと鍵穴の周りには無数の傷がついていたんだろうか?タバコの臭いは俺が吸ったタバコの残り香だろうか?

 何一つ確信が持てなかった。

 部屋を出てもう一度鍵穴を確認しようとかがみ込むと、インターフォンの底部が見えた。インターフォンのカバー部分を止めるネジが2本とも無くなっていてネジ穴だけが空いていた。

 インターフォンが鳴らないことは千尋と会ったあの夜に気づいていたが、ふと気になってカバー部分を引っ張って見た。わずかな粘着質の抵抗があったが力を入れると簡単にカバーが取れた。中を見ると配線が刃物で切られたかのように故意に切断されていた。これでは呼び鈴を押しても鳴るはずがない。

 タクシードライバーは出庫時間にもよるが長時間の勤務になるため、今日の俺のように昼頃まで寝ていることが多い。そうかといって睡眠を妨げられることを嫌がってインターフォンを鳴らないようにするだろうか?仮にそうだとしても、このようなやり方は温厚な大野のイメージにはそぐわなかった。

 通報するべきか迷ったが刑事や鑑識が来て家主の同僚である俺がこれまでの経緯をあれこれ説明することになるのは面倒だった。部屋が荒らされた様子もない。この部屋から無くなったものと言えば、知る限りでは俺が持ちだしたノートパソコンと保険証、それに印鑑だけだ。

 インターフォンのカバーをはめ込んだ後、指紋を残さないようにドアを閉め合鍵を使って鍵をかけた。視線を感じタバコの吸い殻が落ちていた場所を見たが、視界の中で唯一動いているのは雨だけだった。


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