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死なずに今がある。

《閲覧注意》
今日は少し重い話です。 『死』をイメージさせてしまうので苦手な方はスルーして下さい。


今から約30年前の中2の頃。


今まで仲良くしてた

仲間から突然、ハブきになった。


登下校も部活も一緒だった仲間で

あまりにも突然な出来事。


私自身&家庭環境が↑こんな奴なので、

その現状を母親に言えなかった。

最初は、仮病を使って学校を休んでいた私。


ーーーでも、

やはりストレスは身体に出てきてしまい、


泣き叫ぶほどの激しい頭痛に犯された⚡


さすがの母親もその姿を心配し、脳外科へ。。

もちろん大きな異常なし。

ストレスだろうという話で終わる。


そこから、母親の尋問が始まる。

「学校で何かあったの!?」から始まり

私が色々伝えると

「あんたも悪いんじゃないの!?」とか

「なんで今まで言わなかったの!?」とか

全てが責められる。

多分、HSPだからそう感じてしまうのもあるのかもしれない。

人の言葉のトーン等から、色々感じ取ってしまうのだ。


心の中では

『だから言いたくなかったんだよ』と思っていた。


学校と母親に板挟みになった私は
確実に逃げ場が無くなった。



『どうする…?』悪魔の囁きが聞こえる。

『もう無理じゃない?』

私の中には、ブラックの私しか居なかった。

そして始めて

『…死にたい…』…………そう思った。


手首を切る?

首を吊る?

長い階段を転げ落ちてみる?

幼い私は色々考える。

でも、痛いのも苦しいのも嫌だった。


睡眠薬…そんなものは家にはないが、

風邪薬や、鎮痛剤はあったので

『これを大量に飲めば逝けるかもしれない』


そう思った。


親の目を盗み、手の平一杯に錠剤を出す。


ーーーそれから何錠飲んだだろうか、

途中で喉が通らなくなり……諦めた。


生きるチカラも無い私が
 
死ぬことも出来なかった。


それから、母親はハブきの話をすぐに学校へ。


仲間と私と先生との話し合いが設けられる。


結果、私のハブき理由は

『話しかけても相槌しかないから嫌だった』


そんなくだらない理由だったのだ。


部活も辞めたかったけど、母親はそれを許さず

それから私は、違う友人を見つけて
少しずつ自分を、取り戻すようになった。


↑↑こんな経験を経て今に至る。


あの時、苦しくて死にたかったから

「死」を選ぶ人の気持ちが何となく分かる。


ーーーでも、

今は生きてて良かったと

心から言える。


大人になった今の方が、格段に楽しい😆

家庭は色々あるけどw

私自身、溜め込みやすいタイプなので

こうやってnoteに吐き出せる事が

本当に救いになっている。
noteは私の逃げ場かもしれない。


人は苦しい時、
「助けて」が言えて、それを助けてくれる人がいることが一番だけど


「逃げる」事も大事で、

きっとその逃げ場がないから
人は「死」を選ぶんだよなぁ。。。


今はSNSが発達してきてる時代、

使い方を間違えると大変だけど、

上手く活用出来ると出会いの幅も広がり
楽しさが増しますよね。


皆さま、noteで繋がって下さり

いつもありがとうございます。


とりとめのない文を読んでくれて

日々感謝でいっぱいです✨✨

心から

ありがとう。


今回は重たい内容ですが、

なんせ30年前のはなし。笑

今は全く吹っ切れてるので

深刻に捉えなくて大丈夫ですからね🤗

ふと、話したくなったことでしたーー。

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