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私の旅打ち遍歴 その2 ~競馬に誘われるまで~

どうも。荷桁です。

さて。今回も私が何をきっかけに競馬を始めて、何をきっかけに旅打ちにハマり、どういう旅打ち人生を送ってきたのかという、非常にどうでもいい話をうだうだとしてまいりたいと思います。

前回のノートでも申し上げましたとおり、私は小学生時分に競馬(賭け)に興味を持ったものの、あまりそれを突き詰めることなく高校時代を終えてしまいました。今回はそのつづきで、大学に入学して以降のことを書いていきたいと思います。

タイトルの時点で、ほぼこの先の流れは見えているわけですが、私は大学生時代に生まれて初めて競馬場に行くことになります。早いもので今から10年以上前の話になってしまうんですな。

さて2005年に高校を卒業した私は、いろいろあったものの、一応大学に現役合格し、同年の4月から東京で一人暮らしを始めることになった。私は愛知県の高校生にしては珍しく「とりあえず東京の大学に行きたい」と思っていたタイプの学生で、東京の大学ならどこでもいいやとばかりにいろいろ受けていたら何とか第三志望の大学の文学部が拾ってくれて無事に上京とあいなったのだ。

もちろん高校時代の「そこまで競馬には興味がない状態」はそのまま変わらずにいたので、基本的には大学に入ったからと言って、さっそく競馬に行くぞ!とはならず、まずは真面目に学校に通う日々が始まったのである。

大学に入ってみてびっくりしたのは周囲にいる人たちが想像以上に金持ちだった、ということだ。私の親も、私を東京の私立大学に進学させることができるということで言えば、それなりの収入があるサラリーマンだったわけだが、そんなに潤沢に仕送りができるわけでもなく、当然自分でもある程度アルバイトをしないと文化的な生活をするのは厳しいという感じであった(もちろんもっと厳しい境遇の人もいたため、それくらいは当然というのは当時から自覚していた)。
 家に関しても、私の大学は東京23区内にあったのだが、家賃が折り合わず、結局学校からかなり距離があるJR中央線武蔵境駅から徒歩20分の、窓を開けると下に墓場が広がる素敵なアパート(6畳1R・洗濯機共同)に住み、毎日1時間くらいをかけて大学まで行っていた。しかし、みんなこんなもんなんだろうな、と思っていたのだ。

ところが大学の同級生の話を聞いていると、どうもそういうタイプの学生がうちの大学においては少ないらしいということが分かってきた。首都圏出身で親元から通う子も、地方から上京して来ている子も、何故か金持ちが多かったのだ。特に地方から来ている女の子なんかはいわゆる「お嬢様」が多く、私の3倍くらいの家賃の部屋に住んでいる子も珍しくなかった(仕送りの総額も聞いたら鼻血が出そうになった)。また、金持ちとまではいかなくとも、実家暮らしの子らも比率としては多く、彼らはアルバイト代がまるっと自分のために使えるので、明らかに自分と比べると金銭的に余裕があるなと、飲み会や昼メシのときなどにヒシヒシと感じる日々が続いたのである。

結果的につるむようになるのは同じような境遇で金銭感覚が自分と近いタイプ、すなわち田舎から出てきてそんなに仕送りがあるわけでもない、冴えない男子学生ということになる。

結局、そんな流れもあり、大学一年の夏休みが終わった頃にはいつも同じ学科の男3人でつるむようになっていた。一人は私と同じ愛知県出身のF。もう一人は隣県静岡県出身のMである。FもMも一年浪人していたため年は上だったのだが、3人とも酒好きということもあり、授業の後にスーパーで「のどごし生」を買って公園でうだうだ飲んだり、一緒に同じアルバイトに登録して働いたりして、まあ学生らしく仲良くしていたのだ。

そんなこんなで迎えた2005年の10月。ひとつの出来事が起こる。ある日のバイト帰り、突如としてつるんでいた3人のうちの1人であるFが「俺、今週末、京都に行ってくる」と言い出したのだ。

あまりに唐突だったので、なんでまた急に京都へ?と聞いたところ「ディープインパクトという馬が無敗の三冠馬になろうとしているからだ」と言うのだ。そう。実はこのFというのが根っからの競馬ファンだったのである。

もちろん2005年当時、普通にスポーツニュースやワイドショーを見ていれば、ディープインパクトという名前は何度も出ていたので競馬にさほど興味がなかった私もその馬のことは知っていた。ただ、当時はクラシックだの三冠だのという概念はさっぱり分からなかったので、Fが一生懸命に「この菊花賞は生で見ておかなくてはいかんのだ」と熱弁をふるっているのを聞いても「そんなに凄いもんなのかねえ?」という感じで、正直ピンとは来なかった。今の自分からすると信じられんことだが「そんなことのためにわざわざ京都まで行くなんてアホちゃうか?」というくらいに思っていたのである。うう・・、すまんのう、Fよ。

結局、Fはバイトで貯めたなけなしの金で夜行バスに乗り、淀までたどり着き「人が多過ぎてほとんど見えなかった」とは言いながらもディープインパクトの三冠を目撃して、東京に戻ってきたのであった。

その話を熱っぽくするFに対して思わぬ反応をしたのがMであった。そう。実はMもダビスタで競馬に興味を持ち、浪人時代を通じてちょいちょい競馬をやっていたという男だったのだ。Fが競馬が好きということはMも知っていたものの、MはMで体育会の部活に所属していたので何となく土日はそちらの練習に出ないといけないということもあり、場外で大きいレースだけ買うという程度にとどめていたらしいのである。ただ、Fのディープインパクト現地生観戦の話を聞いて、Mも現地に行きたくなってしまったようで、Fとその場で何やら日程の相談を始めて、たまたまMの部活の練習がない少し先の日曜日に競馬場に行こうぜということになったのである。

その話を脇で聞いていた私はそうかそうか二人は競馬に行くのかと、まるで他人事のようにぼさっとしていたのだが、次の瞬間Fが「荷桁は競馬は興味ないの?」と聞いてきたのである。

今思えばこの一言が私の人生を変えてしまったのだ。

「いや、まったく興味がないことはない。」
私は正直にそう答えた。
「なら、お前も行こうぜ」
FもMも決まりだという感じで言う。
「その競馬場というのは近いのか?」
私が聞くと、2人は顔を見合わせて笑った。
「いやいや、お前の家は武蔵境だろ?俺たちの中では一番近いぜ」

何と、家賃が折り合わず、やむを得なく住んでいた、JR中央線武蔵境駅から徒歩20分の、窓を開けると下に墓場が広がる素敵なアパート(6畳1R・洗濯機共同)は、はからずも彼らが行こうと言う東京競馬場へ行くには比較的便利な立地だったのである。人生分からないものだ。

「ちなみに、なんてレースを見に行くんだ?」
と私が聞くと、二人は声を揃えて答えた。

「ジャパンカップ」

「まあよく分からんけど、行ってみるわ・・・」


・・・とまあ、長くなってきたのでここらで一旦切りますが、こうして私の人生の舵は大きく切られることになったわけです。

次回はこんな流れで初めて行った競馬場での話を書こうと思います。今回もしょうもない話を最後まで読んでいただきありがとうございました。つづきはまたいつになるかよく分かりませんが、引き続きよろしくお願いいたします。





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