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【日本遺産の基礎知識】海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~(福井県)

執筆:日本遺産普及協会監事 黒田尚嗣

福井県の日本遺産「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」の基礎知識を紹介します。
※本記事は、『日本遺産検定3級公式テキスト』一般社団法人日本遺産普及協会監修/黒田尚嗣編著(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋・再編集したものです。

日本遺産指定の背景

若狭は、古代から「御食国(みつけくに)」として塩や海産物など豊富な食材を都に運び、都の食文化を支えてきた地です。
また、大陸からつながる海の道と都へとつながる陸の道が結節する最大の拠点となった地であり、古代から続く往来の歴史の中で、街道沿いには、港、城下町、宿場町が栄え、また、往来によりもたらされた祭礼、芸能、仏教文化が街道沿いから農漁村にまで広く伝播し、独自の発展を遂げました。
近年、「鯖街道」と呼ばれるこの街道群沿いには、往時の賑わいを伝える町並みとともに、豊かな自然や、受け継がれてきた食や祭礼など、様々な文化が今も息づいています。

「鯖街道」若狭小浜西組旭座

1.海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群

日本海に臨み、豊かな自然に恵まれた若狭は、古代、海産物や塩など豊富な食材を都に送り、朝廷の食を支えた「御食国」の一つでした。御食国の時代以降も、若狭の「美物(うましもの)」を都に運び、京の食文化を支え、近年、「鯖街道」と呼ばれる若狭と都とをつなぐ街道群は、食材だけでなく、さまざまな物資や人、文化を運ぶ交流の道でした。

2.若狭街道 - 御食国若狭の原点と鯖街道のメインルート -

近世中期以降、街道最大の中継地となった熊川宿では、問屋たちが、小浜の仲買が送り出した大量の物資を馬借や背負に取り次ぎ、京都などに運ばせていました。1日1,000頭の牛馬が通ったともいわれる熊川宿などの宿場町は、馬借や背負で大いに賑わいました。

3.鯖街道の起点 - 湊町「小浜」の賑わい -

街道の起点である湊町「小浜」は、海外や日本海沿岸各地とつながる「海 の道」と、都とつながる「陸の道」の結節点として、さまざまな物資や人、 文化が集まる一大港湾都市で、南蛮貿易や日本海交易で繁栄した湊町小浜 の雰囲気を今に伝えています。
この地域には、廻船問屋の豪奢な邸宅・庭園や、桃山時代の「世界及日 本図八曲屏風」、南蛮渡来の工芸技術に倣って発展した若狭塗などが伝 わっています。また、近世の商人町「小浜西組」を中心とする城下町では、 京都祇園祭の系譜を引く小浜放生祭の華やかな山車(だし)や芸能が繰り広げられ ました。江戸時代以降、多くの芝居小屋が営業し、「旧旭座」はその一つ である文化財です。

鯖街道の起点「小浜」

4.針畑越え - 最古の鯖街道の歴史的景観 -

最大の物流量を誇った若狭街道に対し、古代、若狭国府が置かれた遠敷( おにゅう )の里から、針畑峠を越えて朽木(くっき)を経由し、京都鞍馬に向かう針畑越えの道 は、若狭と京都を結ぶ最短ルートとして盛んに利用されました。
険しい道のりでしたが、若狭の人たちは一塩(薄く塩を振りかけること) した鯖を背負い、「京は遠ても18里」、つまり、「京都まで遠いとはいっても せいぜい18里(72km)」と言いながら、急峻な峠をせっせと越えていました。

「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」の詳しい情報はこちら

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著者プロフィール

日本遺産普及協会代表監事。近畿日本ツーリストなどを経て、現在はクラブツーリズム株式会社の顧問を務める。旅の文化カレッジ講師として「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマに旅の講座や旅行の企画、ツアーに同行する案内人や添乗員の育成などを行う。また自らもツアーに同行し、「世界遺産・日本遺産の語り部」として活躍中。旅行情報誌『月刊 旅行読売』に「日本遺産のミカタ」連載中。著書に『日本遺産の教科書 令和の旅指南』などがある。日本遺産国際フォーラム パネリスト、一般社団法人日本旅行作家協会会員、旅の文化研究所研究員、総合旅行業取扱管理者

運営:日本遺産普及協会


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