見出し画像

北海道遺産シリーズ(25)〜北海道の集治監(樺戸、空知、釧路、網走、十勝)

 北海道にだって歴史がある。そんな歴史をたどり、未来へ紡いでいく北海道民の宝物。そんな北海道遺産を自身の足(車)で巡り紹介しようとおもう。なお、記事作成にあたって、『北海道遺産 完全ガイド』北海道新聞社 を参考にさせてもらった。

 北海道には「広域に渡る遺産」というものがある。これは、北海道各地に点在する遺産をまとめたもので、今回はその中の一つである「北海道の集治監」を紹介する。訪れたのは樺戸(月形)と空知(三笠)の2箇所で、その他の場所は今後の訪問時に追加したいと思う。

歴史的背景


 明治維新が起こり、日本は急速に近代化を進めた。その一環として、新しい領土の開拓や経済基盤の強化が求められた。北海道は未開発の土地が広がっており、資源も豊富だったため、政府はここを開発することで国力を強化しようと考えた。

それには莫大な費用と労働力が必要であり、大量の囚人を安い労働力として、時の内務卿である伊藤博文が、以下の方針で北海道に集治監を設置しようと考えたのである。

  1. 政治犯や思想犯が多かった時代(西南戦争などの内乱に関わった反乱旧士族など)に、これらを隔離し、収監することで治安維持を目指す。

  2. 囚人の安い労働力を利用して、北海道の開拓を一気に進める。

  3. 刑期を終えた囚人を北海道に定住させることで人口増加と発展を狙う。

囚人労働は北海道の開発に大きく寄与したが、その労働環境は非常に過酷で、多くの囚人が病気や過労で命を落とした。それでも、この時期の開拓によって北海道の基盤が整備され、後の経済発展につながったという点では成果があったと考えられる。

こうした集治監は全国で8箇所設置されたが、そのうち5箇所が北海道に設置されている。

漫画ゴールデンカムイとの関わり

 北海道遺産を巡る旅をしていると、ときどき、漫画ゴールデンカムイに登場する場所や施設に出会うことがある。集治監も樺戸集治監が永倉新八さんとの関連で、登場するし、網走監獄は、漫画内でとても重要な位置づけとして描写されている。集治監巡りは、ゴールデンカムイの聖地巡礼のような活動に思えたりする。

樺戸集治監

 明治14年(1881年)北海道に最初に設置された集治監で、全国では3つ目であった。旧福岡藩士であり、維新後に、今で言う警察官僚であった月形潔さんが、北海道を調査し、選んだ土地がシベツ太(今の月形町)であった。そうして樺戸集治監が設置され、月形潔さんは初代典獄となった。月形町は、月形潔さんの名前をとった地名となっている。

 ここで収容される囚人は、旭川ー札幌の動作整備(今の国道12号線)や留萌ー増毛の道路整備(今の国道231号線)などに動員されることとなる。

 当時の本庁舎が再建され、いまは博物館として、公開され歴史を振り返ることができる。


博物館


実際に使われていたという鐘
月形潔さんの胸像

空知集治監

 炭鉱の町、三笠市に明治15年(1882年)にできた集治監で北海道では2番目。囚人たちは、当時一大産業であった炭鉱(幌内炭鉱)での労働力として動員された。空知集治監の跡には、典獄(所長)官舎のレンガ煙突が残っているのみである。



ぽつんと立つエントツ


集治監跡と思われる場所にはなにもない

北海道集治監釧路本監分監

明治18年設置

http://www.sip.or.jp/~shibecha-museum/_src/4062/2005集治監-.pdf


釧路監獄署網走囚徒外役所

 いわゆる網走監獄で、明治23年に設置。


北海道集治監十勝分監

 明治28年、今の帯広市に設置



最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?