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踊る阿呆であり知る阿呆

2024年となり元旦も走った。


なんか走ってる実況ノートになってる。

初詣帰りなのか、深夜2時でも人がちらほらいる。
けれど深夜2時。とても静かで良い。

√オーランドーが終演して一週間。
この一週間は健康的堕落、華麗なる不摂生な生活を送っていたので久しぶりに走って身体が重い。

ヨロッコビールのカルチベータが体内を循環している。


ビール界で一番好きなカルチベータを思いながら、川沿いを走り折り返すと、突如激しい向かい風が。
足を前に出しても出しても進まない。
否応なくスピードを上げる。それでも進むスピードはいつもの半歩程度。

なるほど。今年はそういうことか。
元旦に吹きさらす強い向かい風。

どんな向かい風でもかかってこい!

そんな世界からの暗示を受けながら、家に到着し初詣へ。


いつもなら来年の目標を12月頭の段階で決めて遂行していく思いで臨んでいたけれど、今年は特になかった。
いや、あるけど、どれもこれもなんか今年の目標としてはピンときていなかった。

お賽銭の列に並び、どうありたいかを考える。

明確なような漠然としているような心構えと圧倒的にわかりやすい数字を出して、神様に表明。


目標とか夢とか持ってなくても良いんじゃない?と思った。
目標とか夢とかを持たされ、持つことが大事とか思わされ、それに向かうことで生きていけるってなんだかな。

そんなもんがなくても日々豊かに生きていける方がはるかに尊い人生な気がする。


俺は明確な目標があるし、それに日々近づけているかはさておき、その目標に向かう道から外れないように進んでいこうとするのは豊かであるのかな。

目標遂行のために、なんやかんやの本を読み手に入れた情報を生活サイクルに取り入れたり、なぞったり。

脳神経科学的には有効であったり、効率的な行動指針にはなる情報なのだと思うけど。
果たして人生はそれだけなのか。
目標に対して邁進するのみなのか。
個々人の本来の生き方とはなんだろう。


死ぬ直前に「人生とはこれである」と言えることが一つくらいは見つかるのか。
そんなものが、見つからないのが人生なのか。

死ぬ直前にわかったところでどうしようもないけど。



ということでアスリートに対する絶対的な尊敬があるので、生活や思考法など真似しまくります。
大谷翔平選手、鈴木誠也選手、香川真司選手、遠藤航選手などなど。
大谷翔平選手がバナナを食べれば、俺もバナナを食べる。
オリックスの若月選手がラムネを食べれば、俺もラムネを食べる。
長谷部誠選手が寝る前に瞑想をするのであれば、俺も瞑想をする。
鈴木誠也選手が日々の思いをノートに書くならば、俺も書く!


2024年もメディアの情報に楽しく踊らされたいと思います。

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