音楽と衝動

こんばんは、野村です。

みなさんは衝動的に音楽を貪ったことはありますか?

私はあります。
何度か話しているエピソードなのですが、深夜2時にどうしてもプールと銃口のさよならアクアリウムが聴きたくなって泣きながら収納をひっくり返してCDを探したことがあります。
当時はEggsで聴けることを知らなかったので配布音源を探すしかなかったのです。
さよならアクアリウムは私にとって大切な曲ですが、どうしてこの時そこまでの衝動に襲われたのかはわかりません。

この「衝動」が、私の中でのロックかどうかの基準になっていたんだろうと思います。
ここまででなくとも、泣いてしまう曲、それ以外の音を拒絶したくなる曲、、、病的と思うほどに音楽とともにいました。
文字に表すとたいしたことないような気もしますが、耳が痛くとも頭に響こうとも聴き続けていたこと、その曲が無いと気が狂いそうなくらい気持ち悪くなってしまっていたこと、あの感覚を言い表す言葉を衝動以外に知りません。

ですが、最近その衝動が薄れつつあるのを感じます。

もちろんライブでは思わず体は動きますし、聴き続けたい音楽もあるのですが、全て理性でセーブできてしまうのです。

以前のように狂ったように一曲を聴くことは減りましたし音楽で泣くことも少なくなりました。ゆっくりとゆっくりと、ロックバンドをロックバンドたらしめていた衝動が、私の中から消えていくことに気がつきました。

信じていた音楽が形を変えていき、失うことを覚えたからでしょうか。
期待を下回る音楽があることを知ったからでしょうか。
たぶん、どちらも間違いではないです。
友人の表現をヒントに言語化すると「反抗期特有の衝動」だったんだろうなと思います。
あの衝動は、頭を支配してしまう思考から逃げるものだったのかもしれません。頭を支配する、現実が絡む嫌なことを受け入れたくないというムシャクシャする感情のはけ口がロックバンドの音楽だったんだと思います。

今も、嫌な記憶はフラッシュバックしますし考えたくないことに頭は支配されます。ですが、音楽に対する衝動を理性でコントロールできるのと同じように、ある程度対処できるようになりました。

これが大人になるということなのでしょうか。
自分は大人に慣れたとは思っていませんが、確実に近づいているのだろうと思います。
過去の自分は大人になる恐怖と戦っていたにも関わらず、あっさりと大人に向かってしまいました。
今となっては、もう2度とあの衝動を味わうことはないのだと思います。言語化し、理解を深めたことによって確信に変わりました。

ああ、悲しい。
またひとつ、私のアイデンティティを失った気がします。

はやく私にとっての新しいロックが見つかることを願います。

ネバーエンディング思春期。
私がハンブレッダーズを好きになったのは、自分の思春期が終わりに向かいつつあることに対しての、最後の反抗なのかもしれない。