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私が書くことを「好き」と言わずに「得意」に留めることになった原体験を掘り起こす

noteを書き始めて早3カ月。
最近は記事を更新してない日にも過去noteのスキ通知がきてアガる。

ふらっと通りすがりに目を通してくださった方からのスキ。
自分の好き勝手書いた文章が読む人をそれなりに楽しませられた、
ある程度は読める文章であった、
という第三者的な評価はとっても嬉しいもの。

だって、他人から見たらだいたいのことって
自分で思っているよりもずっとずっとちっぽけでつまらないものだから。

noteを書くこと自体は義務でも苦痛でもなんでもなくて、むしろ楽しいなあと思う。
やらなきゃいけないこともやるべきこともたくさんあるのに、気づいたら時間を費やしてしまっている。

こういうことって、結構幼少期にルーツがあるって言うじゃない?
ほんとかな?
小さい頃に小説書こうとか思ったことないよ?
小学校のころから日記を書き続けてます!みたいなこともない。
でもふと思い出した。

あったよ。原体験。

小学校3年生、日記を書いた人はいつでも先生に提出していいよってなってた。
宿題の日も確かあったけど、日記を出していいよのボックスが先生の机の上にあった。
とにかく私は暇を持て余しまくってたので、結構書いてたんだよね、日記。
何を書いてたかは全然覚えていないけど、15×15文字くらいかしら。
特にどうしてほしいということもなく、ただのアウトプットを、出す先があったので提出していた。
ある日、帰りの会で配布された学年通信に私の日記が載っていた。
確かこんな内容。

「私の兄」
私の兄は中日ドラゴンズのファンだ。それも熱狂的な。シーズン中は毎日テレビに食い入るように試合を見て全力で応援している。
私は特にファンではないが、応援歌もぜんぶ歌えるし、選手の名前も打順も全部覚えている。
「いけー!!そこだそこそこそこそこ!」
「あぁ~、なにやってんだよ~」
試合に勝ったら機嫌がいいし、試合に負けるとものすごく不機嫌になります。
こんな兄のことを尊敬していいのでしょうか?

あいまいな記憶とはっきりした記憶を混ぜ合わせた日記

詳細は覚えていないけれどこんな日記だったと思う。

兄の家での野球観戦の様子をセリフで書いたこと、
野球の勝敗で機嫌が変わること、
締めが「こんな兄のことを尊敬していいのでしょうか?」みたいな文章だったこと、
は、覚えている。
普段1枚のところを3枚くらい使って書いたので、もっと文章量はあったと思う。

まったく大したことは書いていない。
それなのに学年通信に載った。
びっくりした。
そうか、よほど日記の提出者が少なかったんだな。
同じクラスの男子が「うわ~わかるわ~!」って読みながら言ってるのをみて「他の人が私の文章を読んで共感している」と嬉しくなったのを覚えている。

次の記憶は、その日の帰宅後に兄がめちゃくちゃ怒っていたということ。

ひとつ上の学年の兄に、たぶんその日の部活で同学年の誰かが話したり見せたりしたんだろうな。
蹴られて痛かったとか兄に怒られたとかそれ自体については特に傷でもないし何もショックは受けていないけど、
「私が兄のことを日記に書いたせいで兄は怒っている」
という事実がショックだった。

それまでもきっと家のことは書いていたと思う。
だって、当時の私には 学校 か 家 しかない。
ので、日記に書くとすれば必然的に家のことになると思う。
母や父たちの本人たちが知られたくないようなことも、もしかしたら勝手に先生に教えていたのかもしれない。
まったく覚えていないけど、もしそうしていたらごめんね。

それ以降、日記に書く内容に配慮するようになった。
端っこに「これは〇〇(学年通信)にのせないでください」と書いてボックスに提出した。
そして次第に書かなくなった。
書くことがなくなったからだ。

自分が好きなように文章を書けなくなった。
自分の書いた文章を人に読まれること自体が恥ずかしくなった。
自分の書いた文章を読んで人にどう思われるのかをまず考えるようになった。

最終的には、自分の授業ノートや勉強ノートを誰かに見られるのすら恥ずかしくて、教科書や筆箱でノートの記載部分を隠しながら授業や勉強をするようにまでなった。
字が汚いとか間違えてるとかそういうことではない。
自分が書いている姿、自分が書いている途中の文章を読まれるのが恥ずかしい。
今も文章を打ったり書いたりしている途中の様子を夫でさえ見られるのはすごく恥ずかしいと思っている。

が、あの出来事がなかったら、味をしめてどんどんプライバシーなく家のことや家族のことを日記に書いていたかもしれないから、そういう意味ではよかった。

それでも。
あのときもし、と思う。
もし、母なり父なり先生なりが、テンポがいいよとか情景が目に浮かぶよとか文章の構成がいいよとか、ayanoは文章を書くことが好きなんだねぇ、ということを声をかけてくれていたら?
文章の内容については今後配慮が必要だけど、書くことは続けなさいね、と言ってくれていたら?

ちょっと、違っていたのかもしれない。よね。

今になり大人の目線に立てば、兄はただプライベートを思いがけず晒されたことが恥ずかしかったのだと思う。
本当にめちゃくちゃ怒られたかどうかの記憶も怪しくなってきた。
もしかすると照れ隠しに「やめろよー!///」くらいだったのかもしれない。

でも私はあれ以降、
文章に自分の気持ちを正直に載せることが難しくなった。

いざ書き出すと長文になってしまうものの、それが得意だとか好きだとかいうことには結びついていなかった。
少し前から、得意なのかもしれないなあ、とは思っていたけれど、好きだなんておこがましい。本気でそう思っていた。


そうか。
私はあの出来事でくじけたのか。

くじけてくじけっぱなしだったのか。
そんなもんなんだな。

まじか。

育児ってむずいな。

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