「ボイコットのnoteへの抗議」に関する応答について


●抗議に答えることから

先日アップしたnoteの記事
【DANCE×Scrum!!!へのボイコットはどこへいくのか 分かれるPACBIへの評価】
https://note.com/nori54takao/n/n2e7717854a13

は多くの反応をいただきました。ただ自分でも挑発的な表現が多かった自覚はあり、なによりデリケートな問題だけに、「感情の衝突ではなく、より議論がかみあうよう論点を絞ったブラッシュアップ版(主にガイドラインとスタンディング・トゥゲザー)」が必要だと思い、旧noteを一度閉めて準備していましたが、先に野坂弘氏から、私のnoteが事実誤認やヘイトな表現を含んでいるという投稿がされました。

そこで翌日には検証のために当該の旧noteを再び開き、ブラッシュアップ版をもとにしつつ野坂氏の指摘に沿った応答をこちらの新noteで記しておきます。

議論の交錯による混乱を避けるため一時的に旧noteを閉めたことをやいのやいのいう人もいたようですが、このケーススタディの内容の濃さと意図するところを見ていただければ、納得していただけると思います。

また大前提として、私はイスラエル政府による長年のパレスチナに対する「天井のない監獄」化、アパルトヘイトや不法な入植等といった一連の政策、そして現在進行中のジェノサイドに対しては一貫して反対しております。

●ヘイトではなく、論理的な帰結

私は当該のnoteでもBDS/PACBIは「暴力によらず、合法的な非暴力的手段であることは最も優れた点であり国際的にも評価されている。」と書いているように、その重要性は認識しています。

しかし野坂弘氏からは、

乗越氏はPACBIにおいて「大使館のクレジットの有無はたいした問題ではない。」「イスラエル人 アーティストである時点で、ボイコットの対象になることはほぼ決定なのである。」とし、 BDS/PACBIはイス人というアイデンティティーを実質的には対象にしていると受け取れる事実に反する言説を展開しました。

との指摘を受けました。
断定的な書き方であったことは認めますが、本意はそうではありません。

そもそも私は旧noteのなかでも、

PACBIは「イスラエル人やユダヤ人の出自やアイデンティティを理由に」個人をボイコットするものではなく、対象は「共犯関係であって、アイデンティティではない」という。

というPACBIのガイドラインについては明記してあります。

私は主張は、PACBIガイドラインの、

(1) 全体を通した原則として、反証がない限り、イスラエルの文化機関はイスラエルによる占領体制維持や、パレスチナ人の基本的権利の否定に加担するものである。イスラエルの国際法違反や人権侵害に対し、 沈黙を守るか、あるいはそれらの行為を正当化し、巧みな隠蔽行為に直接関与したり、意図的に注意をそらすことにより、共犯関係にあるのである。
「従って、このような機関、そのすべての製品、そしてそれらが後援または支援するすべての活動は、世界中の文化団体や文化活動従事者によってボイコットされなければならない。」

に即した場合、あるいは他のガイドラインの複数の条項を重ねて考えると、まずほとんどが自動的にボイコット対象になってしまうのではないか? という論理的な帰結です。

PACBIのガイドラインは、最も大切で最も重要な部分でしょう。
以下に具体的なケーススタディとして、ガイドラインを引きながら「これはボイコットの対象になるのか」という実例を挙げて考えていきます。
ガイドラインへの理解を深めていくことで、私の本意が、本当にヘイトであったのかを検証していきます。

ヘイトという言葉は、相手を社会的に抹殺しうる、きわめて重い言葉です。自分と意見が違うからといって簡単に使われていい言葉ではなく、使用者には検証する義務があります。
以下の点について、野坂弘氏の見解をうかがいたい。
質問形式にしたので、ぜひ見解をお聞かせください。

●PACBIガイドラインのケーススタディを通して

まず
「PACBI:イスラエルの国際的文化ボイコットガイドライン」の全文はこちらにあります。
https://note.com/bdsjapan/n/n2456e78e9cb4#3810f16f-ecd3-420e-a554-f053c7e7ea75

〈ガイドラインケーススタディ〉

◎1 たとえば、

ガイドライン(2)「イスラエルの公的機関や国際的な「ブランド・イスラエル」団体から資金提供を受けている非イスラエル(例えば、国際団体やパレスチナ団体による)文化的成果物はすべて、委託事業かつ政治的な動機に基づくものであるため、ボイコットの対象となると考える。

とありますが、
・イスラエル本国でイスラエルの公的機関の助成金を受けていた(「政治的な縛り」)
・しかし招聘された公演には、イスラエルの公的機関またはそれに加担する機関による後援が一切ないアーティスト

この場合、ボイコットの対象になりますか? その根拠はどのようなものでしょう。

◎2 もし上記公演がボイコットの対象になるばあい、「世界中、国際的に活躍するほとんどのアーティストはその国の助成金を得ている」という現状を鑑みると、「実質的にイスラエル人アーティストは全てボイコットの対象になってしまう」ことになりませんか?
 ならない場合、その根拠はどのようなものでしょう。

◎3 たとえばアメリカの大学で反イスラエルのデモに参加していたユダヤ人や、「ガザのためイスラエル政府に反対するデモに参加していたアーティスト」でも、イスラエル国内の公的機関の奨学金や助成金を受けている場合は、ボイコットの対象になりますか? 

◎4 

ガイドライン(1) 「成果物の内容そのものや、芸術的価値は、ボイコットすべきか否かの判断には全く関係ないことを強調しておかなければならない。」

とあり、さらにガイドライン(2)では、


「納税者である文化活動従事者の個人の権利として公的資金提供を受けて作成されたイスラエルの成果物は、国家の政治的・プロパガンダに利することが定められていない限り、ボイコット対象とはならない」
とあります。

とあります。
しかし(2)「成果物は、国家の政治的・プロパガンダに利するかどうか」は、作品の内容で判断されざるをえず、「成果物の内容」を問わないとする(1)とは矛盾しませんか?
 ならない場合、その根拠はどのようなものでしょう。

◎5

 さらに先ほどの、ガイドライン(2)は、こう続きます

「イスラエルの公的機関や国際的な「ブランド・イスラエル」団体から資金提供を受けている非イスラエル(例えば、国際団体やパレスチナ団体による)文化的成果物はすべて、委託事業かつ政治的な動機に基づくものであるため、ボイコットの対象となると考える。

最も明確な例は、イスラエルのアーティスト、作家、その他の文化活動従事者の多くが、国際的なイベントへの参加費用に充てるための国の資金を申請する際、イスラエルの公式プロパガンダ活動に貢献することを義務付けられているという事実である。文化活動従事者はイスラエル外務省との契約に署名し、「最高の専門的サービスを外務省に提供するため、忠実かつ責任を持って、不断の努力を惜しまず行動することを約束する」と誓約しなければならないことが判明している。また、契約書には、「サービス提供者は、サービスを発注する目的が、イスラエルのポジティブなイメージ作りに貢献することを含め、文化芸術を通じてイスラエル国家の政策的利益を促進することであることを認識している 」と記載されている。」

私は先のnoteで「イスラエル大使館は、助成と引き換えに、アーティストにイスラエル政府を応援するよう要請していると言われている」と書きましたが、誤りでした。PACBIのガイドラインに書かれていたことでした。ただここで私が「イスラエル憎しの」と書いたのは不適切なものでした。謝罪します。

野坂弘氏は、このように書かれています。

乗越氏はPACBIにおいて「大使館のクレジットの有無はたいした問題ではない。」「イスラエル人 アーティストである時点で、ボイコットの対象になることはほぼ決定なのである。」とし、 BDS/PACBIはイス人というアイデンティティーを実質的には対象にしていると受け取れる事実に反する言説を展開しました。

私が「イスラエル人 アーティストである時点で、ボイコットの対象になることはほぼ決定なのである。」という書き方が断定的すぎる面があることは認めます。ただ、それは野坂さんがおっしゃるような、「PACBIがイスラエル人というアイデンティティを対象にしている」というヘイトが目的だったり、大使館のクレジット問題を軽く見せようという意図ではなく、

「これら複数のガイドラインに従う限り、大使館のクレジットがあるかどうか以前に、すでにイスラエル人アーティストで国際的なイベントに参加する人は、まずほとんどがボイコット対象になってしまうのでは?」

という論理的な帰結です。ガイドラインを複合的に読み込んだ結果でてくる疑問であり、上記のようなヘイトに基づいた主張をしたいわけではありません。
そんなことはない、とおっしゃるのなら、ぜひ、

「国際的に活躍していて、ガイドライン(1)(2)の条件を全て満たしながら、ボイコットの対象にならないイスラエル人アーティスト」は、どのような形なら可能なのでしょうか。

ぜひご教示ください。

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●対話なき「数の力」は危険

アートのボイコット問題を考えるとき、ガイドラインの「国際的な文化的ボイコットのための指針」にある、

(a)文化イベントや事業の多くは、不確かでグレーな領域に分類され、評価することが困難である。

という部分は非常に大切です。
だからこそその実践において大切なのは、まず相手を理解することの重要性でしょう。
野坂弘氏も、繰り返し対話の大切さを書いていらしたはずです。

今回、お仲間かどうか知りませんが、X上で、ある方と以下のようなやりとりがありました。

最初は丁寧な口調の問いかけをいただいたので、私はそのことは原稿にも書いていますよと画像付きでこちらの主旨を説明しました。
しかしそれに対する対応はなく、いきなり別で私を非難する書き込みをして「拡散希望」と呼びかけたのには驚きました。

非難するのはいいのですが、野坂氏のような対話の過程を踏むことなく、対話に応じている私をわずか1往復の会話で打ち切って、こんな簡単に「数の力」を使う人がボイコット運動をしているのかと思うと、しょうじき引きました。

野坂氏もよく、「ガイドラインに書いてないんだから、やってない」とおっしゃいますね。しかしいくら厳正なガイドラインを持っていても、ガイドラインから外れたところでこういう「数の力」を安易に使う人がいるのは、きわめて危険な行為です。
「ガイドラインに書かれていないことを、人間はやってしまうかもしれない」
という危機意識は、常に必要だと思います。

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●スタンディング・トゥゲザー

先だってのnoteは問題はありましたが、スタンディング・トゥゲザーと、BDS/PACBIへの様々な見方を紹介できた意義はあったと思っています。

ただしスタンディング・トゥゲザーを「PACBIより良い手段だ」のような書き方は間違いでした。比較自体がナンセンスなことであり、不当にPACBIを貶める結果となったことは謝罪します。

またこの項においては、PACBIのガイドラインにある、

(4) 植民地支配のノーマライゼーションに関与するプロジェクトはボイコット対象である。
〈パレスチナ人/アラブ人とイスラエル人を集め、それぞれの物語や見解を発表させたり、和解や「障壁の克服」などに向けた取り組みを目的としたイベント、事業、出版物、映画、展覧会など、不正義の根本原因や、正義をもたらすことに関心のない事業がこれに該当する。〉

という「強大な抑圧者と被抑圧者を並べるような文化イベントが、両者を同等の関係のように見せてしまうリスク」についても十分に説明されていませんでした。これは善意を装って強者を正当化し、巧妙に問題を矮小化しようという罠への警鐘として、きわめて重要なものだと認識しています。

それらを踏まえた上ですが、私は、いまだに当該のnoteで述べたスタンディング・トゥゲザーの人々を、つまり「いま」まさに行われているガザのジェノサイドを止めようと立ち上がりデモをしている人々を、ボイコットの対象にするべきだとは思っておりません。

これら主催者のXで報告されている胸が熱くなるようなデモは、

https://x.com/AlonLeeGreen/status/1748049158454247873


世界中で行われている様々なデモの人々と、なんら変わりはないと思います。むしろ彼らは、周囲のイスラエル人から「裏切り者」と非難されるなかでデモをしている分、さらに困難な状況の中で、ガザの人々と連帯するために立ち上がっていると言えます。

いま進んでいるジェノサイドという緊急事態に、いても立ってもいられなくなってデモに駆けつけている彼らを応援することを、野坂弘氏のように「パレスチナ人の人権をさておいて、イスラエルにも頑張っている人がいますよという主張だ」「構造の問題なのだ」と切り捨てることは、私にはできません。そのことは、最後に記しておきます。

野坂さんが、ガイドラインを離れて、一人の人間としてこのデモの映像を見てどのように思うのか、ぜひお聞かせ願えれば幸いです。

以上です。

最後ながら、このたびは私が書いた原稿によりPACBIと関連する皆様にご迷惑をおかけしたことを心からお詫びいたします。

しかし「ヘイトに基づいている」という主張には同意できません。本稿でみてきたガイドライン検証を根拠として否定し、撤回を求めます。

野坂弘氏からの旧noteへの指摘は今後も続くとのことなので、その際には、今回、非ヘイト検証のためケーススタディで挙げた質問(と最後の質問)の回答も合わせてお送りいただくようお願いいたします。
このnoteは更新していきます。
これはPACBIの活動の否定や攻撃を目的としたものではありません。
対話と相互理解のご提案なのです。

2024年5月12日 乗越たかお

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2024年5月17日の返信と応答


野坂氏より以下の返信があったため、

以下の返信をしました。

私の返信の全文はこちら

お返事ありがとうございます。
しかし野坂さんは、非常に危ういことを発言されていると思います。

僕がブラッシュアップ版(新note)を用意したのは、こうなることが容易に予想できたからです。

「感情の衝突ではなく、より議論がかみあうよう論点を絞ったブラッシュアップ版」が必要だと思いました。そのためにPACBIのガイドラインを、徹底的に読み込んで書いたのが新noteのケーススタディです。

その最中、議論の交錯による混乱を避けるため一時的に旧noteを閉めたことをやいのやいのいう人もいたようですが、このケーススタディの内容の濃さと意図するところを見ていただければ、納得していただけると思います。

ちなみに僕は議論は理性的に進めたいので、論理的に不明確になる音声は対象としません。
オープンに、皆が議論できる文章を対象に話をさせていただきます。

で、文章を読ませていただきました。
旧noteに関する具体例を挙げておられる点は拝見しておりますし、あらためるべき部分は新noteにて認め、適宜補足や謝罪もしています。

しかし野坂さんが「旧noteにはこれだけ書きながら、新noteの内容となると、一切答えない」というのはなぜなのでしょう。
新noteの話になると、とたんに「対話する義理はない」「対話はできません」ばかりなのは。

新noteは、旧noteの前半部分で最も広く効果を及ぼす前提となるであろう
「PACBIは人種を根拠にしている、大使館のクレジット表記をたいしたことがないと乗越は言っている」
という「ヘイトの根拠」に対してのものです。僕は、ガイドラインを複合的に読み解いて、
「この条件を全てクリアしてアーティストが海外公演をするのは、そもそも論理的に不可能なのでは?」
という論理的な疑問を呈しているに過ぎません。そもそもPACBIが人種を根拠としないことは旧noteでも明記しています。

ただ、この質問は、どうしても野坂さん達が根拠としているPACBIのガイドラインに「矛盾点らしきものが見受けられるのでは?」という根源的な質問をすることになります。
これは否定でもなんでもありません。読み込んだ結果の「疑問」です。

この疑問に、野坂さん達は、答える責任があります。
なぜなら現実に、野坂さんたちはこのガイドラインを根拠に抗議という形で他人に「力」を行使しているのですから。

それとも、ガイドラインには、一切疑問を持ったり、質問してはいけないのでしょうか? 何も疑わず、黙って全てを受け入れろと? そんなことはないですよね。なのに、

「対話する義理はない」「対話はできません」
という野坂さんの返答には、しょうじき驚かされました。
民主主義の世の中に、こんな主張をなさるとは。

野坂さんには「断罪」と「拒絶」の二択しかないのでしょうか?

どれだけ正しいことを背景にしても、一方的に断罪を叫ぶだけでは、広い共感を得ることは難しいと思いますよ。
あなたの言葉は、ほとんどが「誰かの言葉」じゃないですか。

僕はあなた自身の言葉が聞きたい。だから対話をしましょうといっているのです。
新noteの最後の質問はいかがですか? ジェノサイドを止めたくて矢も盾もたまらずデモへと立ち上がる彼らを切り捨てるのは、あなたの本当の気持ちなんでしょうか?

今回の書き込みで、やっと少しだけあなた自身が垣間見れた気がしましたが、対話の拒否のためだとは、非常に残念です。

権力勾配といいますが、抗議した相手も公共劇場という、個人よりはよほど大きな存在じゃないですか。そこにあなたは「対話」を求めて、応じられず(実際には文章の対応はしていたと聞きますが)寂しい思いをしたと書いてらっしゃるじゃないですか。
なぜ僕との対話はできないのでしょう? 対話しましょうよ!

僕の新noteでの問いかけにはもう一つ大きな期待が込められています。僕の新noteの「疑問」を肯定するにせよ否定するにせよ、
「野坂さんが一人の人間としてガイドラインに対峙する姿」を野坂さん自身の言葉で見せてほしいということです。
その結果がどちらでも、僕は受け入れましょうとも。

まあ、もともと新noteで噛み合った議論をするために旧noteを閉じていたわけです。先に野坂さんの書き込みがあったので検証のために開いているだけで、僕自身旧noteはいつ閉じてもいいと思っているんですけどね。訂正や謝罪は新noteに書いてありますし。
まあ現在はヘイト検証のために開いているわけですが、野坂さんと新noteでの対話が深まるのなら旧noteは普通に閉めてもかまいません。
しかし野坂さんに対話をする気がないとなると、どうしたもんかな……
====(終わり)====

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